古代ギリシャ、封建時代に自分の好きなことが表現でき無い時代、2500年前にイソップ(アイソーポス)の鋭い洞察力と表現力によって物語ができました、

ぜひ、見て、読んで、楽しんでください。 [一部差別語が書かれていますがご容赦を」

 伝説 
 1 中原屋敷  2    3    4    5    6    7    8  
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       伝説  

       中原屋敷    平井寺、古川神社の南側にある土地の字名。その昔、木曽義仲の家臣、中原某が住んでいた屋敷跡。

 
   
信濃の民話 
 
1 こなべだての湯 2 怪力 工藤孫兵衛 3 金焼地蔵 4 屁をするお嫁さん 5 沈める鐘 6 本郷の笊水 7 法蔵寺のネ 8 絵ネコとネズミ
9 くもが淵 10 ほうえんさんとキツネ 11 背長地蔵 12 じさばさとおっさま 13 とんち役人 14 寝小便ねしょうべん 15 どうもこうも   送り犬

 送り犬

    塩田に嫁(よめ)にきた人が産月(うみずき)になって、 里方(さとがた)へ帰ろうと舞田峠(まいたとうげ)を

  日の暮(く)れ方に通りかかった。
  峠の途中で、 産み腰がついて共儘(そのまま)そこで赤ん坊を産んでしまった。  困(こま)って、
    「誰(だれ)か、 通行人(つうこうにん)があればよい、 事付(ことつけ)けしてやりたい。」
  と 思い続けていても誰(だれ)一人通らない。
  夜が段々と更けてくると

   一匹、 二匹と、 送り犬が寄(よ)って来て、
   産婦(さんぷ)を取り巻(ま)いた。

    「どうせ こんな所で産んで困っているから、 己(おれ)を食うなら食ってしまってくれろ。」
  と 恐(おそろ)し悲(かな)しで運(うん)を天にまかせていた。

   送り犬は何匹言うほど、集まって取り巻いていてはいるが、 少しもはむかわない、 いたって、 オオカミなどの、

  寄り付かぬように見守ってくれるようである。 其の中に一、二匹、 どこかへ抜(ぬ)けていった。

    産婦の里方は仁古田村(にこだむら)であった。
  送り犬 二匹は、 里方の家を嗅(か)ぎ当てて、 主(あるじ)の着物(きもの)をくわえて引っぱる。
  主は引かれるままに行ったら、 娘が初産(ういざん)していた。  然(し)かも送り犬に取り囲まれて安全に。
  主は、 一緒(いっしょに)に頼んできた人と共に、 産婦をつれ帰った。  

    そして送り犬に、
    「どうか 一緒について来てくれろ。」
  と 言って、 家へ着くと、 赤飯(せきはん)をこしらへて、 送り犬の一群(いちぐん)にふるまった。

    「送り犬とは、 オオカミの仲間であるが残忍性はもたぬものである。  送り犬にあったら、 

 言葉をかけると食いつかない。人が転ぶと、 その頭の上を飛び越える。 

 そのとき言葉をかけると食いつかないが、 だまっていると食いつかれてしまうといわれている。」

      小県郡民譚集 S8      小山眞夫著         郷土研究社            

 

 


          どうもこうも

    正直権兵衛(しょうじきごんべえ)はてっぱ酒屋(さかや)をしていた。
  若い女が立ち寄って休んだが、何時迄(なんどきまで)たっても行かないので、
    「もう はるかになるから いってはどうだ。」
    「遅(おそ)くなるから どうか 泊(と)めてくれ。」
  泊めてやったが其夜(そのよる)よい話ができて権兵衛の家内(かない)になった。
  それからというものはこの店のさかること一通(ひととお)りだはない。

   ある日 殿様(とのさま)がここで お休みになった。 家来(けらい)は驚(おどろ)いて、 

 こんな處(ところ)に休むなんて   怪(あや)しからんと肝(きも)をつぶした。
  暫(しばら)くたつと殿様はお帰(かえ)りになり、 直様(すぐさま)権兵衛に さし紙がついた。

 権兵衛は不審(ふしん)がは  れないが お屋敷(やしき)へまいり、
    「早速(さっそく)(まい)りました。」
    「よく早速参った。 して其の方(そのほう)の店にいる女は家内(かない)か妹(いもうと)か。」
    「私の家内です。」
    「何(いず)れにしても其(そ)の女をお屋敷へあげろ。」
    「とんだ事(こと)でござります。 あれのお陰(かげ)で店が盛(さかん)になったのに。 あげてしまへば家が

  つぶれてしまうからあげられませぬ。」
    「それでは黍(きび)十石(じゅっこく)(も)ってこい。」

   権兵衛はこの難題(なんだい)に返事(へんじ)はしたが、 心配(しんぱい)で家に帰って妻に語(かた)ると、 

  工面(くめん)して集(あつ)めてくれたから
  上納(じょうのう)した。  すると今度(こんど)は。
    「粟(あわ)の種(たね)十石持ってこい。」
   と 命(めい)ぜられたが 又(また)妻の力(ちから)で上納に及(およ)んだ。  殿様もあきれて今度(こんど)は、
   「どうもこうもうのというものを持ってこい。」
   「それはどんなものですか。」
   「どういふ もんでも聞かずに調べろ。」

   仕方(しかた)なしに帰って妻に語ると、 調べてくれたから、 悠々(ゆうゆう)権兵衛はそれを持って参った。
  「これが どうもうこうもうであります。」
   殿様が蓋(ふた)をとってみると、

   中から煙(けむり)が少し出たかと思うと、
  雷(カミナリ)がゴロゴロとなり 稲光(いなびかり)がして

   蛇髑(りゅう)が昇(のぼ)って空を まきまわした。

   殿様をはじめ見物(けんぶつ)していた人々(ひとびと)は、 命(いのち)あっての物種(ものだね)だと、

  一散(いっさん)に逃(に)げていった。

   それ故(ゆえ)どうもこうも ならなかった。   (里老)

      小県郡民譚集 S8      小山眞夫著         郷土研究社              

 
   

 

         寝小便(ねしょうべん)

    一人の子どもが冬の寒(さむ)い日に、遠(とお)くから帰(かえ)ってきた。
  ふと足もとに拾銭銀貨(じゅっせんぎんか)が落ちている。 天の恵(めぐみ)みと、 手をつけたが凍みついて拾(ひろ)われない。
  どうして取ろうと思っていると、 急に小便がしたくなった。 忽名案(こちめいあん)と銀貨の上に小便をはじめた。

  すると氷は溶(と)けて 銀貨は手にはいった。
  俄(にわか)にみぞれ雪がどさどさ降(ふ)ってきて、 冷(つめ)たいのに気がついて、 ひょいと目を開いた。


  今までのは、皆 夢(みな ゆめ)であって、
  床(とこ)の中は寝小便でびしょびしょであった。


    小県郡民譚集S8       小山眞夫著         郷土研究社       


   忽 この字の読み方が良かったのかわかりません。調べたいと思います。

 
 
   

 

  
         とんち役人

    むかしな、 仁礼(にれ)の村にとっても とんちのきく 役人がおったと。

    ちょうど秋のころだったで、 百姓(ひゃくしょう)たちを供(とも)にしてな、 松代(まつしろ)の代官所(だいかんしょ)

     へ年貢米(ねんぐまい)
  おさめにいくことになったと。
   仁礼というところはな、 山と谷間(たにま)の小さな村なもんで、 田んぼは、 ねっから(ほとんど)なかっただ。
  そんなもんで、 何台(なんだい)もつづく年貢米を積(つ)んだ車を、 村人(むらびと)たちは、 

     せつなく(悲(かな)しく)て泣(な)いて見送(みおく)ったそうな。
  村役人たちは、 いくつも山を越(こ)えて、 やっと松代についたんだと。

     代官さまが、 この衆(しゅう)を見て、

   「お前たちは、 どこからきたのじゃ。」

   「わしらは、 ずっとむこうの仁礼という所からめいりましただ。」

   「にれ・・・・・それはめずらしい名まえじゃ。
   して、 どんな(じ)じゃな。」

   「はい。 仁礼は、 のぼ土(火山灰土かざんばいどに、、

   真土(まづち(かべなどに使う土)に、 砂地(すなち)でごぜえますだ。」


 村役人ときたら、 むりやり、 (じ)(ち)を まちがえてせった(いった)んだと。
  「よくわからん。 ではいったい、 字のつくりはなんという。」
 って聞きけえしたと。
  村役人は、 またすっとぼけて、
    「申(も)しあげるほどのもんではごぜえません。 米はほとんど(あんまり)とれねえ 所で、 (つく)は、

  麦(むぎ)にヒエにアワでごぜえます。」
 ってせったんだと。 代官さまな、 少しおこって、
  「では、 にれの(へん)はなんと申す。」
  「はい。 (へん)でごぜえますか。 そうですな。 仁礼の辺は、 須坂(すざか)の町から一里半(いちりはん(約6キロメートル)

    ほどの山の中でごぜえます。」


  代官さまは、 とうとう おこりだしてしまったと。
   「いったい、 何を とんちんかん いっておるのだ。 もうよい、 とっとと うせろ。」
  それでも村役人は、 しらん顔して、
   「へえい。 このまんま けえってもよろしいんでごぜえますか。」
  って、 聞きけえしたそうだ。
    「いいから、 車をひいて けえれ。」
  いわれるまんま、 米俵(こめだわら)の車を ひいて けえってきてしまったと。

   それを見た村人は、 びっくりこいたり(したり) よろこんだりでな。 それから、この村役人を、 
  とんち役人ていって、 あがめて まつったんだてさ。
  これだおしまい。


             長野のむかし話  話者 須坂山原 篠塚久吾    羽生田 敏 編   


  「つくり」と「編(へん)」  漢字を組み立てている右側の方を「つくり」、左側を「編」という。

 
   

 


        じさばさとおっさま (爺さ婆さと和尚様)

    昔が一つあったと。
    困(こま)る家(うち) のじさとばさが 信心家(しんじんか)で、 毎日々々(まいにちまいにち)お寺へお参り行ったと。 
   三百六十五日、 今日はこねえという日はなく、 お参りにいったと。

   なんでも (何にも)じさとばさは持っていかねえだと、 そうしたところが、 和尚様(おっさま)が、
    「まあ、 おまえた幸苦(からく)してくるども(けれども)、 ちっとも後世(こうせい)は届(とど)かねぜ。」
   と そいったと。

 
    さあ、 じさとばさ 家(うち)へきて、
    「おら、 このぐれい一生懸命(いっしょうけんめい)行くでも(けれども)、 

   和尚(おっ)さんは後世が届かねてんだすけ(から)、 石臼(いしうす)の心(しん)でも持って行こうか。」

  そうして、 それを紙に包(つつ)んで和尚様のとこへ(ところへ)持っていったと。
   「今日は信心(しんじん)が届いた。 ああ よかった。」
 と いって、 じさとばさはよろこんでいたと。

 和尚様はじさとばさ 帰(けえ)ってから、金(かね)だと思って開けてみたら、 石臼の心(しん)だったと。
   「こんつら物持ってきて、 うすろばかめ。 よし、 こった明日(あした)ひでいめにあわしてくれる。」

  その次の日も、 またじさとばさ お参(めえ)りにきたと。  信心が届いたてんで じさとばさ よろこんで行ったら、

 和尚様が、
    「おまえた、 今日はなあ、 極楽(ごくらく)にやるさけ(から)、 このたね(雪けし池)の上方(うえかた)

   花梨(かりん) の木に上(あ)がれ。
  おれがここでお経(きょう)読んで、 鉦(かね)
  ゴーンとはたいたら、 手を放(はな)せ。  そうしれば極楽(ごくらく)へ行くすけ。」
   「はあ、 そうどこじゃねえ。 和尚様のおかげでもって、 極楽へ行く。」
 てんで、 じさとばさ 花梨の木に上(あ)がって、 しっかりとつかまっていたと。

    さあ、 じさとばさ 木に上がっている。 お寺の和尚様、
    「ニョーニョーニョーニョー・・・・・・・・・。」
  と お経読んで、 鉦(かね)ゴーンとはたいたと。  じさばさ 正直(しょうじき)に両方の手 放しちまったと。

 そうしたら、 五色(ごしき)の雲がきて、

  じさとばさ 天へつれて行っちゃたと。

  後(あと)むいて見たら、 じさもばさも いねえてんだ。


  < よう 、 おら 下方(したかた)へ落(おと)さと思ったのを、 本当(ほんとう)に五色の雲に乗(の)って行ってしまった。
  あっけな(あんな)じさとばさが 五色の雲に乗って、 天に登るこったら、  おらなら登るぐれいじゃねえすけ。 >
  と 思ったと。

   「小僧(こぞう)、小僧、 こったおれ(こんどは、おれが)花梨の木に上がっているすけ、 おまえ、 お経 読んで鉦はたけ。    そうすりゃ、 おれも五色の雲に乗って天に登るすけ。」
  そいって、 和尚様は緋(ひ)の衣(ころも)着て、 花梨の木に上がっていたと。

    さあ、 小僧は和尚様のいうことだすけ、 一生懸命(いっしょうけんめい)に、
    「二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 。」
   と お経読んで、 鉦ゴーンと たたいたと。  そうしたら、和尚様は手 両方を放したすけ、

  緋の衣を着て、 雪(たね)消し池の中の中へ

   バチャンと落ちちゃったと。

   そして、

    「オー オー オー 。」

   と いっていたと。


   それ、 小僧は後(あと)なんて見るどこのこっちゃねぇ、 どうでも五色の雲に乗して 天にやらず(やろう)と思って、
    「小僧 助けてくれぇ、 小僧 助けてくれぇ。」
   て いえば、
    「二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー ゴーン。」
    「小僧 ー、 小僧 ー。」
   てば、 
    「二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー 二ョー ゴーン。」

   しばらく たったすけ
    < へぇ 和尚様 五色の雲に乗って 行ったころだろう。>
   と 思って、 後むいて見たら、 和尚様 たねに(雪消し池)落ちこんで、 バシャン バシャン。
   死ぬばっかりで、 フゥ フゥ フゥ フゥと いっていたと。
   それで、 小僧やっと引っ張り上げたっつぁ。

     それっきり。

                     信濃の昔話     話 栄村平滝 上倉きわ    採録 浅川欽一       スタジオゆにーく 
 

 ほうえんさんとキツネ

   むかしむかし、 あるところにひとりのほうえん(法印)さんがあったって。 

    ほうえんさんてえのは、 おひまちやなんかして歩く人のこんだけども。

 あるとき、 大きなほら貝をもって山道をいくと、 キツネがひんね(ひるね)してたんだって。
  キツネがよくねって(ねむって)いるせんで(というので)もって、そのでっかいほら貝で、 キツネの耳んところへもってきて、

 そんでブーッせってふいたって。キツネゃたまげて
     はねおきて、からんからんどっかへにげていっちゃったって。
 

   それから、 ほうえんさんな、 よそへいって、 おひまちやって、 その村からけえってくるころは、 

 まくまく(ぼんやり)暗くなっちゃった。
  こりゃまあ暗くなっていわった(よわった)なそもって(と思って)、 

 うそざむしい(うすらさびしい)ような気して帰ってきたんだって。
  そしたら、 うしろから、 チーン、 チーンせってかねはたく音がしる(する)
 いっそうさむしいなそもっていた。  そしたら、 めっためった(どんどん)近づいてくる。 

 そんなもな(そんなものが)そばへくればおっかねえな(こわいな)
 松の木へあがって見ていずせうんで(見ていようというので)、 松の木へへえずりあがった。

  そうしたら、 その近まえへ(近くに) めっためった、 チーン、 チーンせってかねはたいて近づいてくる。
 松の木の下へきたら、 かついでいたはこをおろしちゃった。
 まあやだな。  こんな下へきておろしちゃって。  なんとしたもんだ(どうしたものか)そもって、 ふるえていたんだって。
  そうしたらこんどは、 火つけて、 ボウボウボウボウ、 かついできたはこもやすんだな。
 こりゃまあ、 どうなるんだやあ。  きびわるいなあ(きみがわるいな)そもって、 ぶるぶるぶるぶるふるえていたら、
 はこをかついできたしょう(人たち)はそれでけえっちゃった。

  やれやれよかったそもったら、 はこんなかからきびわりいつら(顔)したおばけがでてきて、
  ひょっと松の木を見あげて、

   「あちちぷるぷる、 まだなまやけだあ。」

 せって、 こんどは松の木

 にあがってくるんだっ
て。

 

 それで、 ほうえんさんな、 たまげて、 よっくよっくぶるぶるぶるぶるふるえてて落ちそうでなっとでもしょうねえ

(どうにもしかたない)。どうしたもんだそもって、 そのおばけを足でふみ落としちゃったって。 

  そうして、 早く夜が明ければいいがそもって松の木にふるえていたって。
 おばけは下へ落って、 からだいたくしたから、 ふうふうせってうなってるんだって。
 ひとっきりも(少しでも)早く明るくなればいいなそもっていたら、 

  村のしょう(人たち)が馬にのって飯前草(めしまえぐさ)かりにきたって。
   それで、 松の木の下に火をたいたあとがあるし、 おかしいなそもって上を見たら、 

  ほうえんさんがぶるぶるぶるぶるふるえて松の木にいらったて。
  「ほうえんさん、 へえ、 おめ、 明るくなったんだで。  どうしたんだい。」 せったら、
 「おい、 おらへえ、 よんべなはふんとに命(いのち)からがらに松の木へしがみついていたんだど。 

   おらへえ命(いのち)あってよかった。」
 せって、 よんべなのことを村のしょうにみんな話してきかした。
    「おめえ、 そりゃ、 キツネにばかされたんだねえか。」
 せって、 村のしょうは大笑いしたって。
  「キツネにやられたんかなあ。

   それじゃあ、 おれ、

   キツネがひんねしてたとこへ、 

  おれ、 ほら貝で、 プーとふいたから、

   キツネゃ、 たまげてはねおきて

   どっかへにげていったけん、

   そのかたきとられたんかなあ。」

 
  せって、 ほうえんさんな、 よっくよっく笑ったりふるえたりだったせう(という)

       長野のむかし話  話者、下高井郡山ノ内町 坂口いと ・ 再話、宮崎栄夫      日本標準                  
 
 

 

       くもが淵

  むかし、四か庄の青鬼に、 渋右衛門っていう鉄ぽうぶち(打ち)があったそうな。
  渋右衛門は、 ちいせえときい けどってきて育てた、 山犬(オオカミ)をつれちゃあ、 年がら年じゅう、 戸隠山から西岳、

  裏山から岳山の方へっていうように、 
  クマやクラシシ(カモシカ)なんかとっちゃあ歩いていたそうな
 ある年の秋のことだったそうな。 いつものように、裏山の木曽殿アブキ(岩がほれてできた穴)にとまってかあぎ(流木)を集めてき

  てごんごんたきながらねてると、 
   「渋右衛門 助けてくれやあ、 渋右衛門 助けてくれやあ。」
 って、 ほら穴のおくの方のうわ(上段)だんから、 せつなそうな声がしてくるんだって。
 なんだらず(何だろう)と思って、 渋右衛門がそばへいってみたら、 よわって動けなくなったでっかい山グモが、
  「このアブキの上山にゃあ、 とてつもねえうわばみがいて(とほうもない大じゃがいて)、 

  ときどき出てきちゃあおれの血をすっていく。 このまんまじゃ、 おれは殺されちまう。
  「おまえをここへとめてやるかわりに、どうか退治してくれねえか。」

 

 って、 たのんだそうな。
 そんなこんだら ぞうさもねえことだと うけあって、 よく朝夜があけると、 渋右衛門は鉄ぽうに玉をつめて、 

  今にくるか今にくるかと思って待っていたそうな。
  そうしたら、 上の方から丸たんぼうのような うわばみがすっときたかと思うと、 ひといきにクモをのんでしまったそうな。   そのうわばみのでっかくてすばしっこいったら
  ありゃしねえ。 渋右衛門がそのいきおいにたまげて(おどろいて)いるすきに、 うわばみはいつのまにか裏山の中に

  消えちまったそうな。

  あくる年の夏のことだったそうな。
  渋右衛門が、 木曽殿アブキよりちょっと下の、 清水とにごりが合わさるとこにあるでっかい淵の川原で

  昼ねしらず(しようと  思ってねそべっていたときだったそうな。
  にごり川が滝になって落ってる音でよく聞こえねえが、 ようく聞いてると足もとの方で、 

  ガラガラ、 ガラガラって音がしる(する)。 少したつとまた同じような音が
 しるんだそうな。 へんだなあって思いしま(ながら)、渋右衛門が起きあがって見ても何にもめえねえ(みえない) 。 
  それで、 またねそべってると同じような音がしるんだそうな。
 それから、 また起きあがって見ても何もめえねえ。 へんだなあって思いしま(な)、ひょいっと見たら,

 わらじをはいている足のおや指のとこへ、 ちいせえクモが糸をかけちゃあ、
  その糸をひっぱって渕ん中へへえって(はいって)いくんだそうな。 そのとき、

  ちいせえ石がくずれちゃあガラガラって音をたてるんだそうな。
 「おかしいなあ。」

 

 って思いしま、 渋右衛門が知らねえふりょ(ふりを)してると、 クモが渕ん中から出てきちゃあ、 足のおや指へ糸をかけて、   また渕ん中へへえっていくように、 
 同じことをくりかえすんだそうな。
 それから渋右衛門は、 そっと起きあがって、 クモが渕ん中へへえったすきに、 その糸を足のおや指からはずして、

 そばにあったかあぎ(流木)の根っこへひっかけて、ねえった(ねむった)ふりょして(ふりして)たんだそうな。
  ところがどうだ。少したつと、そのでっかい かあぎがぐらぐらっとしたと思ったら、グヮラ グヮラ 音をたてて、 

  渕ん中へ引っぱりこまれてしまったそうな。
 そりょ(それを)見て、 渋右衛門が、
 「やっぱり、 おれを引っぱりこんで血をすわず(吸おう)と思ったんだ。 それにしても助かったわい。」
 って思って、 渕ん中を見てると、
 「渋右衛門、 うんまくだましたなあ。

   わっはっはっは・・・・・・・・・・」

 

 って、でっかい笑い声が渕ん中でしたそうな。
 なんでも、 アブキの主のクモといい仲のクモだったそうな。 それからこっち、 そこんとこを、 

くもが渕っていうようになったそうな。
  そればっか。

   長野のむかし話  話者 上水内郡鬼無里村、川俣婦可ほ ・ 再話 川俣従道   日本標準  
            

 

 

       絵ネコとネズミ

  むかし、 あったってな。
  あるところに、 えらくネコのすきな子どもがおってなあ。 あけてもくれてもネコの絵ばっかりかいておったっちゅうに。 
 紙きれを見つければネコの絵、 庭へ出れば土の上へネコの絵というぐわいで、字なんかは、 

   ちっとも覚えようとしないし、 仕事もろくにしねえもんだから、 
 おとうがおこっちまって、
   「ほんとに、 どうしようもねえやつだ。 仕事もろくにせっこに(しないで)、 絵ばっかかいておって。 

  おめえのようなもの、 家においとくわけにいかん。」
 ちっと旅へ出て苦労してくるがいい。

 

  と、 かんどう(家からだされた)されてしまったって。
  子どもは、 しかたなく家を出てあてなくいくうちに、 いきくれて(とちゅうで日が暮れて)しまって、腹はへってくるし、

 金は持っておらんので、 ほとほと困ってしまったんな。
  そのうち、 一けんの家を見つけた子どもは、 戸間口(とまぐち)に立って、
  「今夜は、 いきくれて、 困っているので、 どうかひと晩、 とめておくんなんしょ。」 とたのんだ。
  その家のおかあは、 見ると身なりは悪い変なこぞうだったもんで、
  「気のどくだけど、 おらほうはせまいし、 大がない(大家族)だでとめてやるわけにはいかねえが、 

  この先にあきやが一けんあるで、 そこへとまんな。」
  と、案内してやったんだに。
 おそわった道をいってみると,

 なるほど、大きいあきやがあってなあ。そこには、ろばたもあるし、なべやかまもたなにならんでいるし、
  みそやしょうゆや米までそろっておったんだってな。 
  子どもは、 大喜び(おおよろこび)で米をしかけて、 ごはんをたき始めたんな。 やがて、 ぐつぐつ米がにえてくると、 

  のりがとろとろって出てくる。子どもは、いつを指につけてはネコの絵をかいてかべに張る。 

  また、のりを指につけてはネコの絵をかいてかべに張る。
 また、のりを指につけてはネコの絵をかいてかべに張る。 
  そんなふうにして、
  かべにぎっしりとネコの絵を
  張りつけたんな。
  たきあがったごはんを食べると、つかれておるもんだから、すぐねむくなって、いつねたともしれんようにねてしまった。
  夜中になると、  
   「ギャァー、 ギャァー、 ギャァー。」
  と、 ものすごく気味のわるい鳴き声が聞こえてくるんな。 こんなところを教えてもらってとまったが、あれはなんの声ずら。
   おれは、あのまものにやられてしまうかもしれん。
 えらいことになった。そう思ってなあ、子どもは耳をふさぐようにして、びくびくしておってな。 ひと晩じゅう鳴いていた声も、
   しょうじがいくらかしらんでくると、
 だんだん遠くへ消えていってしまったようだもんで、
   「やれ、 やれ、 助かった。」
  と思った子どもが、ろばたへいってみてたまげた。 そこらべったりネコの足あとだらけ。
 それに、ふしぎなことに、ゆうべかいた絵ネコが一ぴきのこらずどこかへぬけ出ていってしまって、ひとつも残っておらんのな。

 

 子どもは、はだしのまんま表(おもて)にとびだして村の衆(しゅう)を起こしてまわってなあ、ゆうべ声のした方へいってみると、
 まっかな血がぼたぼたと落ちているじゃないか。
 その血をたどっていくと、ものすごく大きなネズミがな、ネコにかまれてたおれていたんな。
 それを見た村の衆は、
   「さては、こいつだったんだな。おそろしいことだなあ。実はな、この家の衆は、なにかにたたられて、

   みんな死に絶えてしまってなあ。 それっきりあきやになったままな。」
   「ありがたいことじゃねえか。 おかげで村も静かになるに・・・・・・・・・・・・・・
 おまえさまのおかげよ。

  どうか、ここでゆっくりくらして
  もらえますまいか(くださいませんか)
 そう、 口ぐちにいって大喜びしたんな。
 子どもは、 そのあきやでくらすことになって、 やがてかわいいよめさんをもらって、 あんきにくらしたそうな。

 
 長野のむかし話      話者 下伊那郡大鹿村 竹村千晴    再話 藤田隆美      日本標準   

 


 

      法蔵寺(ほうぞうじ)のネコ

  むかし、 法蔵寺(今の上水内郡小川村古山)で、 でっけえネコをかってえ(い)たって。
  ある朝、おっしゃま(おしょうさん)がおきてみると、ねるときたしかにかけておいたころもが、ころもかけから落ちてえたって。
 それから、 次の朝もその次の朝も毎日ころもが落ってえるんで、 おっしゃまも、
   「おかしいなあ。」  って思ってたって。 よく見ると、 ころもにゃべと(どろ)までついてえたって。
  ある晩、 おっしゃまがねてえると、 夜中に本堂の方からかな(かね)まりやたいこの音が聞けてきたって。
   「おかしいな。」
 って思って、本堂の方へまわってそうっとのぞいてみると、 お寺でかっているネコが、 おっしゃまのころもを着て、

 おきょうをよんでえたって。
 それがまたおどけたことに、 鳥やウサギやサルなどがたあんと集まってたって。 おっしゃまもおどけちまって、 

  しばらく見てたが、 ネコにわからねように
 そうっとけえってきちまったって。
 次の朝おきてみたら、 ネコはゆうべのことなんか知らねえような顔して、 いろりの前で火にあたってえたって。

 おっしゃまは、 ネコのそばへえって(行って)
 頭をなでてやりながら、

   「ゆうべは大ごくろうだったな。 

  じょうずにおきょうがよめたな。」

  ってえったら(いったら)、 ネコはものすげえいきおいでとびかかってきたって。 おっしゃまは、 
   「ネコ、 おめえがあれぐれえのことでわしにかわって立つのは早い。なにか名を残してえのなら、 

    寺のためになることをして死ね。」
 というと、ネコははずかしいような顔をしてそおっとにげてっちまったって(にげていってしまった)。それっきりネコは
 どこへいっちまったか、 かくれたか、 けえってこなんだって(こなかった)。
 それから、はあるかたって、ネコのことなんか、もうよくよく忘れたじぶん、安曇の千見(せんみ)(今の北安曇郡美麻村)という

 ところに、死んだこう(そう式)があったって。下条とかいうりっぱなうちだって。 さっそく近所のお寺のおっしゃまをよんで

 せいだいに死んだこうをすることになったって。
 ところが、おっしゃまがおきょうをすませて出棺をするときになったら、急に空がくもってものすげえ雨や風が降ったりふいたりしたんだって。 そのうちに、棺が雲の中へうき上がったり、 またおりてきたりで、 どうしても出棺することができなかったって。
 うちのしょうも(人たち)困って 村のしょうといろいろ相談したって。そうしたら、おもてへひとりのむすぼらしい(みすぼらしい)ころもを着た旅のおぼうさんがき
て、
  「古山(ふるやま)法蔵寺さんへいって、くわしくわけを話をして
  たのんでみなされ。」
  とおせて(教えて)くれたって。 困っていたうちのしょうもむらのしょうも、 すぐ法蔵寺へいって、 
  「なにぶんおたの申す(なにとぞおねがいいたします)。」 ってたのんだって。
 わけを聞いた法蔵寺のおっしゃまが、はるばる千見村まで出かけていっておきょうをあげると、 たちまちのうちに雨や風もやんで、

  棺の上がり下がりもやんでしまったって。そこで、ぶじに出棺もすませ、死んだこうをすますことができたって。
 死んだこうをしていたころ、千見の空の方から

 矢のようにとんできたものが、
 法蔵寺の本堂の中へへえった(はいった)って。

 それは、めえに(前に)かってたネコのやせた死がいだったって。 死んだこうからけえった(帰った)おっしゃまは、 

 ネコの死がいを見てかわいそうに思って、
 ていねいにべと(土)の中にいけて(うめて)、おきょうもあげてやったって。 うして、少したってからりっぱな石とう(せきひ)

 もたって(たてて)やったって。
 ネコが千見までおっしゃまを呼びよせて、てがらをたてさせたんだということがわかったんだな。 そんなことがあってから、
   「法蔵寺のおっしゃまはえれえ(えらい)おっしゃまだ。」
 っていわれ、千見の方の人たちも法蔵寺の檀徒(だんと)になったって。
  檀徒・・・お寺にお墓があり、 そのお寺の費用を出す人たち。

  長野のむかし話   話者 上水内郡小川村 戸谷久吉  再話 山森 訓      日本標準   


本郷の笊水

小県の独鈷山が、 まだ殿城山といわれていた昔のことであります。
ふもとの上本郷という村を一人の旅の坊さんが歩いていました。
丁度夏の日ざかりで道はからからに乾き、 山々の青葉は今にも燃え出しそうにギラギラと照り返しておりました。
坊さんは何度か立止まっては汗をふき、 あえぎあえぎ歩いていましたが、 さらさらという水音にはげまされて足を早めました。
産川に出たのです。
     

「お、あそこに、ばあさんが菜を洗っている、あそこへいけば水が飲めるであろう。」

 

坊さんはばあさんの傍により、

 

「ばあさんや、水をのませてくれぬか。」


とたのみました。
ふり返ったばあさんは、みすぼらしい旅僧の姿をじろじろみていましたが、
  

「笊ででものみなんし。」
    

と菜が入っていた笊をじゃぶりと水につけて放ってよこしました。
坊さんはそれをみると静かに川端をはなれて、 また白く乾いた道を立去っていきました。
それを遠くからみていたのはばあさんの息子でした。

「おっ母、 あれは弘法大師さまでねえか?」

 

息子はそばへよってきてたずねました。だあれえ、(とんでもない)

 

「あれが弘法大師さまなものかよ。ただの乞食坊主ださ。」


「そうかなあ、 何しろ大師さまがな、殿城山へきなしてな、お寺を建てようとしなさったってよ。ところが山へのぼらったら、

九十九谷しかねえだと。それでな、もし百谷あればここに住もうものを、といわしゃってな、かたみに山の頂上に独鈷を埋めて、

 

又旅に出なさるってことだぞ。」


     「ふうん」


ばあさんは腰をのばして、けわしい峰々がそそりたっている殿城山をながめました。そして、こういったのです。


「大師さまならよ、おら、家へ案内してよ、おもてなしするだ。けど、今の坊主は大師さまでねえよ。
大師さまなら、もっと立派な仕度でいなさるだよ。」


ところが、大変なことがおこりました。それから五、六日のたつと、産川の水がからからにひあがってしまったのです。
いや、もっとふしぎな事が判りました。
産川の川上にある十人村にも川下にある五加村にも水は変わりなく流れているというのです。
 

「それではおらたちの村を通る時だけ、水は空へ舞い上っちまうだか?地面へもぐっちまうだか?」


とにかく川筋を掘ってみようと、村人が掘り下げていくと、水は深い地の底をゴボゴボと音をたてて流れていました。

やはりあの旅の坊さまは弘法大師さまだったのだと、
村人は顔をみあわせ、 深い溜息をついたのでした。

 

やがて秋になると、 水は元通り陽ざしを浴びて川筋を流れるようになりました。 

しかしそれから上本郷では、 毎年笊で水をすくった夏になると、
産川の水は地中深く姿を消すようになりました。
また、 この頃から、 殿城山は独鈷山とよばれるようになったのです。 


    話 小県郡塩田町 宮島博敏      再話 松谷みよ子   信濃の民話1   未来社 


   沈める鐘
  
   むかぁしむかし、 そのまたむかし、 春の月の夜のことだった。
   上田の南の小牧山のあたまの須川の池のほとりへ、 盗っ人どもの頭(かしら)が、 信濃の国のあっちこっちから集まってきて、
   何やら、 ガヤガヤ、 ワイワイさわいでおった。
    「鬼の大お頭は、 何のためにわしらを今夜ここへ呼びなすったんだいのう」
    「決まっているよ。 こんな月のいい春の宵は、 花見と相場がきまっているわい」
   目っかち野郎、 出っ歯に赤っ鼻、 身の丈七尺もある大男、 刀きずの顔に、 毛むじゃら男・・・・・・・・・
   どの顔も月の光にてらしだされて、 青鬼、 赤鬼どものようにうす気味わるく見えておっただそうな。
   やがて、 鬼の大お頭といわれる、 小柄な白髪の老人があらわれて、 高台から、 ふるえるような声でみんなに言っただと。
    「今宵集ってもらったのはほかでもない。 わしも寄る年なみには勝てず、今では、ろくな仕事もできないていたらくじゃあ、
   そこで今宵は、 わしの後釜を決めてもらいたいと思って集ってもらったのじゃあ」
 大お頭の悲痛な言葉に、一座はガヤガヤとなったが、二癖も三癖もある盗っ人どものこと、みんな我こそは後釜にと思う奴ばかりで、
  どうやっても話はつかなかったのだそうな。
   そこで、それではと,
腕で勝負することになって、あさっての朝、夜の白むまでに盗んできた品物で、大お頭を競うことにしようと 

  いうわけで、

 盗っ人どもは、国分寺の鐘を合図に、
 クモの子をちらすように どこかへ散っていっただそうな。
  さてさて、 それから丸一日たった夜なかから、池のほとりの水神さまの前には、盗っ人どもが我こそはと思う成果をたずさえて、
  次々に帰ってきたのだそうな。
  幾つもの銭箱、 立派な刀剣、高麗青磁の壷、絹の山、望月の名馬、それにきれいな娘を三人もさらってきた者もあっただそうな。
 娘たちは松明(たいまつ)の灯りに水のような顔を照らしだされ、 わなわなとふるえておっただそうな。
 さて、さて、この品定めがまた大へんなことで、どの品物もみんな価値がちがうし、みんな自分こそ第一番と思っておるんだから、 
  それこそ大変だ。
  そこで、 品定めは鬼大お頭にご一任ということに話のきまったその時だ。
  白々明けの霞のなかから、 一人の大男が大釣鐘をしょって、よろよろ、よろよろとこちらへ帰ってきたではないか・・・・・・・・・
  あ、 あれは諏訪のデーダラ坊ではないか、 三百貫もある国分寺の大釣鐘を盗んで、 ここまで一人で運んでくるとは・・・・・・・・
  カネはカネでも、どえらい鐘を盗んできたもんだ。 みんなはデーダラ坊の力にどぎもを抜かれ、 
  お前こそおれたちの頭にふさわしい男よ、 と口々に叫んだそうな。
  と、 そのときー
   「国分寺恋しや、 ぼぼらぼぅん・・・・・・・・・・」

   「国分寺恋しや、 ぼぼらぼぅん・・・・・・・・・・」

  霞のなかから大釣鐘がなりだし、 鐘はひとりでに動きだして、池の深いところへ沈んでしまったそうな。
  盗っ人どもはびっくらぎょうてん、 ただぽかぁんと口をあけたまま・・・・・・・・・。 しかし鬼の大お頭は、
   「鐘さえ寺が恋しいというのに、 おまえたちは・・・・・・・・・・・・」といって、 三人の娘たちの縄をブスッと切って放してやっただそうな。
  そうして、 「こんなやさしい鐘の音を盗んだやつに、 わしの後釜をまかせることはできないぞ」 そうきつく言いわたして、
  仙人のように霞の向こうへ消えていってしまったと。
  それから、 須川の池の主は国分寺の大釣鐘だと言われるようになり、 今でも天気のかわりめには、 池のなかから、
   ~国分寺恋しや、 ぼぼらぼぅん ~国分寺恋しや、 ぼぼらぼぅん・・・・・・・・・・・・・。
  澄んだ鐘の音が、 かすかに、 かすかに聞こえてくると言われているだ。

(上田市、須川湖)
  信濃の民話33語り      金田国武 著     信濃路双書         

   

 子供のとき、須川湖へスケートに行くときは、家のおばあさんは、 もし、 池に落ちたら、

「国分寺のものだけど、国分寺へ帰りたい、」 
 と、 唱えると助かると、いつも言っていました。
 おばあさんも須川の下の村からこちらへ、嫁いだ人だったから。



   屁をするお嫁さん

  昔、あるところに働きものできだてのいい娘がありました。
  ところがたった一つ、大きな屁がでるのが苦の種で、嫁にもいかずにおりました。 

 しかし、いつまでもそうしておれません。 とうとう嫁入りする事になりました。
  おっ母さんは大そう心配して嫁入りの前の日に、「屁だけはな、嫁にいったらどんなに苦しくてもこらえていなくちゃいけねぞ。」
  と、よっくよっくいいきかせました。
  次の日めでたく嫁入りもすみました。  もう嫁さんになったのだからと、毎日、毎日、屁をがまんして一生懸命働きました。
  しうとばあさまも、むこさんも、 「おらちの嫁は、まあずいい嫁だこて。」
  とよろこんでいました。  こうして幾月かたつうちに嫁さんはだんだん顔色が悪くなり、青ざめてきました。
  体もめっきりやせて眼ばかり大きくなりました。 しうとばあさまは心配して、
  「あね、あね、お前どこかあんばいが悪いんじゃねえか。」  とたずねました。
  嫁さんはうつむいておりましたが、 とうとう涙をぽとんとおとして

  「おら、屁が出たいのを我まんしているうちに、あんまりせつなくてこんなになりやした。」
  とはずかしそうにいいました。 しうとばあさまは大笑いして、

  「まあず若いもんはつまらねことを遠慮してよ。 おらなんか死んだじいさまが表へとんで
 出るほどでかい屁をしたもんだ。 今日は兄さもいねいし、さあ思う存分やってくんな。
  といいました。 嫁さんはこれをきいてほっと安心し、
   「それじゃおっ母さま、はしごにしっかりつかまっていておくんなして、 どこかへ飛んでいっちまえば困るから。」
  といって、大きな屁をたてつづけにしました。

  その大きいこと大きいこと、 ばあさまははしごをかかえたまま表へ舞い上がり、庭の木にひっかかてしまいました。

 ばあさまはたまげて、
   「あねや、あねや、屁の口とめてくれや。」
   と、さけびました。 そこで嫁さんは屁をやめていそいでばあさまを木から助けおろしました。
  
   ところが大へんなことになりました。 あんまり屁の勢がつよかったので、ばあさまの頭にちょんぼり残っていた毛がふきとんで 

  しまったのです。 嫁さんは
  今更ながら悲しくなってしくしく泣きだしました。 ばあさまは、
   「ちょうどいいさ、 おら、お寺へいって近い中に頭をまるめてもらおうと思っていたところだで、心配するな。」
  と、なぐさめました。 そこへ兄さがかえってきました。
   
「オッ母さ、 おっ母さ、 頭どうしたい。」
  「おら、 今日お寺の和尚さんのところへ行ってやってもらった。
  「ふん、それはいいが名は何ともらってきたえ。」
  ばあさまは考えていなっかたので眼をぱちぱちさせましたが、
  「ヘンミョウイン と、もらったで。」
 
 と、でまかせをいいました。 兄さはかんかんにおこって、
 「何だいそりゃ、 なんでそんな妙な名をもらってきたんだい、おら、ちょっくらお寺へいってくらさ。
 と、ごはんもたべずお寺へとんでいってしまいました。
 ばあさまも嫁さんも困ったことになったと顔をみあわせていると、兄さはすぐ戻ってきて、
     「和尚さん、 とんでもねぇと伝ってらったぞ、 お前、 一体どうしたんだぇ。と、つっこまれました。
  そこで仕方なく屁のはなしをしました。 兄さはぷりぷり怒って、
   「そんな女はおいておかれぬ。 おれ、 明日送っていくから早速出ていってもらいたい。」
 
  と、 ばあさまが止めるのもきかず、次の朝になると嫁さんを送って家をでました。 嫁さんは、とうとうこんな事になってしまったと、
  しょんぼり兄さのうしろについて歩いていきますと、

  途中に大きな梨の木がありました。 そのまわりで子供たちがさわいでいます。 木をゆすったり棒をふりまわして梨をとろうというのです。
  ところがあんまり大きな木なのでいっこうにとれないのでした。 嫁さんは子供たちがかわいそうになって、
  「おらなららくらくとれるんだが・・・・・・・・・」 と、 ついひとりごとをいってしまいました。
 すると一人の子がききつけて、
   「やーい、 このあねさが梨をとってくるるとよ。」
 と、大声でさけびました。 たちまち子供たちは嫁さんのまわりにおしかけて、
   「とってくんな、とってくんな。」
 と、大さわぎです。 嫁さんは仕方なく、
   「それじゃみんなずうっと遠くへ行って、そこらの木にだきついてな。」
 と、いいきかせてから、 大きな屁をしました。すると落ちるわ落ちるわ、よく熟れたうまそうな梨が、ぼたぼた、ぼたぼた、

  地面もみえなくなるほど落ちてきました。
 そこへ馬で通りかかったのがお殿さまでした。のどがかわいていて水がほしいと思って
 いた時でしたから、
  「これはうまそうじゃ。」
   と、馬からとびおりました。 家来もまけずにとびおりました。 

  子供も、お殿さまも家来も、 さも姉さも、しばらくは誰も何もいわず、
 汗をぽたぽたたらして梨にかぶりつきました。
   「こんなうまい梨ははじめてくうたぞ。」
 おなかが一杯になると、殿さまはふうふう息をついていいました。そしてごほうびに、小判を両手にのりきらんほど嫁さんにくれて、
 また馬ににって走っていきました。 嫁さんはよろこんで、さて行かず、と、兄をさがすと、兄さは、
   「お前の屁がこんねに人の役に立つとは思わなかった。 おらが悪かったから戻ってくれや。」
  と、申し訳なさそうにいいました。
   二人が家にかえると、ばあさまはとんで出てよろこびました。 れから三人、仲よくのんきに暮らしました。

                                   はなし 下高井郡山ノ内町   宮沢智江
                                   採集  中野実業高校     児玉信久
                                   再話            松谷みよ子
                                         
     1957-78
     信濃の民話    日本の民話1         信濃の民話編集委員会編              未来社  


力士 工藤孫兵衛       (下組)      
 
大男 
孫兵衛は富士山村新田(下組)に生まれ、 怪力といわれる力持ちでした。 宝暦五年乙亥(1755年)に農家に産声(うぶごえ)をあげました。
孫兵衛は幼少にして父親に死に別れて 母の手で育てあげられたのですが、  ある日、孫兵衛が這(は)い始めたので、
遠くへ這っていかないように石臼(いしうす)のところへ
(おび)でしばっておいたところ、 その臼を そろりそろりと引きずり乍(なが)ら 庭の方へ出ていってしまったので、
その力のあるのに母親は驚(おどろ)いてしまったそうです。

それから母親は、 
孫兵衛の余(あま)りにも力があるのを心配して、 将来 間違(まちが)いでもあっては困るからと 考えて、
菩提寺(ぼだいじ)である 西光寺へ寺男として預けたのです。
よく和尚さんの命令に従い 忠実に働いたのです。

それから母親は、 孫兵衛の余(あま)りにも

力があるのを心配して、

将来 間違(まちが)いでもあっては困るからと 考えて、 

菩提寺(ぼだいじ)である 西光寺へ寺男として預けたのです。
よく和尚さんの命令に従い 忠実に働いたのです。
そして 孫兵衛が十七、十八才位のある夏のこと、 庭(にわ)で 野天風呂(のてんぶろ)をたてて 和尚さんが良い気持ちで入浴していたところ、
一陣(いちじん)のにわか雲
が出てきたかと思う間もなく かき曇り、 急に大雷雨(おおらいう)となり 耳をつんざくばかりの雷鳴(らくめい)と共に、
水を流すような夕立となり、和尚さんは大いに驚(おどろ)
急ぎ傘(かさ)を持ってくるように命じたが 傘を探(さが)すのが面倒(めんどう)くさいからと云(い)って、 
和尚さんが入浴(にゅうよく)したままの風呂桶(ふろおけ)「ううん」と いって持ち上げ
びっくりして 制止(せいし)する和尚さんの言葉(ことば)にも 耳をかさず庫裏(くり)の土間(どま)に持ち込んで そっと そこに置(お)いたとのことです。

また ある時 孫兵衛は山から形(かたち)の良い石を
    背負って運んで持ってきました。 
    大きい石は西光寺の仁王門の側にありますが、      
    目方(めかた、おもさ)にしたら
   約五百キロ~六百キロもあろうかと 
   思われる石がありますが 
   村人は、 俗に 
孫兵衛石と呼んでおります。


孫兵衛の力のあることが だんだんと村中の評判(ひょうばん)になって、 遂(つい)には上田藩主にも知れ、 珍しい大力であるから 一つ試してみよう と言うことで城中(じょうちゅう)に召(め)し出されました。折から在藩中(ざいはんちゅう)の殿様を始め 家臣(かしん)の居並ぶ前で 力試(ちからだめ)しを行なう事になり、 
   米俵運(こめだわらはこ)
孫兵衛は、 一俵 四斗五升(67,5キロ)の米俵を五俵 背負って立ち上がり、 指示に従ってゆうゆうと庭を一回りして これを静かに下ろしました。

    今度は 米俵を三俵を背負子(しょいこ)で背負って 途中 休まずに家まで行けば「家までの距離(きょり)二里(8キロm)」、 其米を与えると云ったので
孫兵衛は背負って
   城を出て途中(とちゅう) 長池の下迄(まで)行った頃 姿が見えなくなったので
孫兵衛が力つきて、 倒れたと思って侍に命じて行ってみると、 孫兵衛は子供達と一緒になって
   米を三俵しょったまま 魚取りをして遊んでいたという 力のある珍しい男である事に殿様も驚(おどろ)いたとの事です。
   そして三表の米を背負ったまま 休まず家迄きたそうです。

    その後のある日、 
孫兵衛は城中に召し出されて、 今度は殿様や家老(かろう)達の面前(めんぜん)で、 米五表を背負って立ち上がり 更に両手に一俵づつぶら下げて
   ゆうゆうと庭を一回(ひとまわ)りして、 これを静かに下(お)ろし、 殿様に一礼(いちれい)しました。
   亦(また)今度は指で釘(くぎ)打ちだ、  一枚の厚い板に 指で釘を押し打ちする
孫兵衛は 一寸二分の釘を打ちました。  とうとう一寸五分の釘も打ち込みました。
 其(そ)の有様を見ていた一同の者は 此(この)怪力に 末恐(すえおそ)ろしい奴だと思わせました。

  見事(みごと)見事とかっさいを 博(はく)し本日は

  御苦労(ごくろう)であったと言われて家に帰りました。

 本堂と鐘のある門です。午前11時30分には鐘が鳴ります。)
それからある日、 城主より招待(しょうたい)をうけて 別間(べつま)

  お酒や御料理の接待をうけて 皿に大きな鯛(たい)の御馳走がのせてありました。

  めでたい御料理ですからと 孫兵衛はすすめられるままに

   数杯(すうはい)の盃(さかずき)を呑(の)みほしたところ、

  給仕の侍が 如何(いか)にも 孫兵衛でも鯛の骨だけは

  食えないだろうと言ったところ、

   孫兵衛は いや 鯛の骨でも食べられますと答えて、 ぽりぽりと食べてしまったので、骨が喉(のど)につきささって それが原因(げんいん)
   ついに病(やまい)にかかり、 二十七才の若さで この世を去(さ)ってしまったのです。

    現在、 
孫兵衛の墓は 同村の塚原地籍にあり 大きな石塔(せきとう)が建てられております。
   墓石には、行年二十七才安永十年丑年四月十八日歿
   法名義雲良照信士    大男工藤孫兵衛

    村々の歴史 第一集                     塩田公民館                  


背長地蔵 (柳沢)

    柳沢の街道沿いにある背長地蔵さん。 少し東側には鉄焼き地蔵さんがあります。(金焼き地蔵)

    坂田家で、 文久三年に生まれた人の代になって、 やむなく この地蔵様を龍光院へあげたことがあった。
   今より三代前の おばあさんの夢枕にこの地蔵さんが現れ「寺で門番をさせられている。 おまえの家では 蔵を建てたから わしは家にいたいから もとに もどせ。」
   と 錫杖でおさえつけられたということがあった。

    このことがあってから、 一族 近隣を呼んで お祝いをして戻し、 お堂も建てたという。
   石できざんだ龍光院の御所車は、 その時 上げたものだという。

    四日、 十四日、 二十四日と おまいりするという。

    「坂田章氏宅のもので「享保十二年、柳沢村、

    坂田市右衛門」と銘がある
。」
       塩田の寺と堂より    塩田支会  郷土史研究委員会、 学校職員会 


 

金焼地蔵 (柳沢)     

 

    むかぁしむかし、塩田の五加村に田んぼや畑をたくさん持っている大百姓の市左衛門という人がおった。

  塩田平の真ん中あたりに大きな市左衛門さんの屋敷があり、 本郷村から柳沢村の方まで田んぼを持っていた。

  雇人も大勢働いておった。

    ある春の日、若草がすくすくと伸びはじめ小鳥の鳴き声ものどかに聞こえるころ、 市左衛門さんの田んぼには7人ほどの雇人が毎日毎日働きに出ておった。

   このころ市左衛門さんの家には、おきわさんという美しい女中が働いておった。  

    年は18、五加村の人達だれにも好かれる心のやさしい娘だった。

     その、おきわさんは、毎日田んぼに働きに出ている男衆に お昼のお弁当を運んでおった。

   おきわさんは、普段から柳沢のお地蔵さんを深く信心しておったのでな、 お弁当のうちからほんの少しだけお地蔵さんにお供えして、 それから男衆のところへ届けるようにしておった。

   けれども、男衆の中には、 おきわさんが届けてくれるお弁当の中身が少し減っているのを知って、 あまり良く思っていない者がおった。

   そのうちに「あの女はきっと地蔵様の前でつまみ食いをしてから 持ってくるにちげえねえ」と言いふらす者さえ出てくるようになった。 

  男衆は、俺達が汗水ながして働いているのに、 つまみ食いをした弁当をそしらぬ顔で持ってくることはゆるさねえ、

  今日こそおきわのやつをひどい目にあわせてやろうと、 中でも悪い連中が相談し焼けひばしを用意して、もうくるか、もうくるかと待っておった。

 

   こんな悪だくみがあるとは知らない、心のやさしいおきわさんは、 いつものようにお地蔵さんに「どうか今日も男衆がけがもなく、

    病気もしないように」となんべんもおまいりしてからお弁当を運んでいった。

   「さあさあ皆さんお腹がすいたでしょう。 今日は美味しい煮物が沢山ありますので早くにおあがりなんしょう」といってお弁当を差し出した。

  この時、雇人の一人が、 「毎日毎日つまみ食いをした弁当をそしらぬ顔をして持ってくるとはけしからん。 これからつまみ食いをしないように、

  こらしめにこうしてやる」と言っておきわさんのおでこに真っ赤に焼けた火ばしをさっとおしつけた。

   おきわさんは「ギャー」とおどろきの声をあげて泣きながら逃げ帰った。

  男衆の中には、これはまずいことをしてしまったわい、少しひどすぎたかな、かわいそうなことをしたと、内心は心配になったものもおった。

 やがて前山寺のくれ六つの鐘が塩田平にゴーンゴーンと、、、、、、、、、

 申し訳ありません。著作権がありますので、許可されたのはここまでです。続きは図書室の本か塩田平民話研究所へ      ※塩田平民話研究所編著引用


こなべだての湯 (上田の民話) 
 

むかぁしむかしの、おっかねぇおっかねぇ鬼婆の話だ。

丸子から塩田へ超える砂原峠があるのは知ってるな。

鎌倉街道と言って鎌倉へ行く大事な道だった。

武田信玄が上田原の合戦や川中島の合戦に行く時にも通った道だ。

今は車でさっと越えられるが、むかしは細い道が通っているだけで、でっけぇ木の枝がおおいかぶさって、昼間でも暗いような気味わりぃ道だった。

その砂原峠の途中に一人の鬼婆が住んでおった。顔中あばただらけ、口は耳まで裂けていて、髪の毛は針金のように硬い白髪で、鳥が巣を作りそうなくれぇぼさぼさの、

 そりゃぁ恐ろしいもんだったつうわ。

鬼婆は、峠通る旅人がいるっつうと、

「銭よこせ! さもねぇとひでぇ目にあわすど!」

「金目の物ぉおいてけぇ!」

と、金や物を脅し取ったり、村に行っちゃぁ米や野菜や鶏、ウサギなんかを盗んで来た。

峠を通る人や村の衆はみんなおっかながってな、村の衆は子供達に、「峠に行っちゃいけねど」って言うくれぇだった。

ある日、鬼婆は村に行って、一人の娘ぇさらって来た。

「山ぁ行ってボヤァ拾って来ぉ! 飯ぃ作れ! 洗濯ぅしろぉ!」

 こき使うったら、こき使うったら、まるで牛や馬のようで、そりゃぁおやげねぇほどだった。食う物も満足にもらえなかった。

それでも娘は逃げ出せなかった。鬼婆に見つかりでもしたら何されるかわからねぇ。

その方が恐ろしかったんで、鬼婆のひでぇ仕打ちにじっと我慢しているしかなかったんだ。 おやげねぇな。

 

と、ある日のことだ。鬼婆は村へ何か盗みに出掛けた。鬼婆が村へ出かけるとしばらく帰ってこねぇことを

知っていた娘は、、、、、、、、、、、、

  

        各県、各地方の子もり唄、手まり唄、わらべ唄・諸外国のわらべうた


 各県、各地方の
子もり唄、手まり唄、わらべ唄諸外国のわらべうた など。  (日本のわらべ唄 ・三省堂) 

 (日本のわらべうた集 ・文芸春秋) (山国のわらべうた・信濃路) 
 (ふるさと民話 ・鳩の森文庫) (わらべうた・岩波文庫) (わらべうた・集英社)より

   現在は使用してはいけない、言葉使いもありますが資料として。

全国   坊やはよい子だ
ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
ねんねのお守は どこへ行った
あの山越えて 里へ行った
里のみやげに 何もろた
でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛
起き上がり小法師に ふり鼓(つづみ)
たたいて聞かすに ねんねしな
  かごめかごめ
かァごめ かごめ
(かご)のなかの鳥は
いついつ 出やァる
夜あけの晩に
鶴と亀と すゥべった
うしろの正面 だァれ?
北海道   眠せらせ唄
ねんねの寝た間に 何せよいの
小豆餅(あずきもち)の橡餅(とちもち)や 赤い山へ持って行けば
赤い鳥がつっつく 
青い山へ持って行けば 青い鳥がつっつく
白い山へ持って行けば 白い鳥がつつくよ
   
青森県   わらべ唄
沢ざわの蟹どの こうら干していたとこへ
鳥のようなる黒鳥が じいばり じいばりとおりて来て
蟹どののこうらを ぼっきりちょ ぽっきりちょ と啄(つ)つだとせ
あ痛でで あ痛でで  蟹どの 腹立って
親重代のはさみこ鞘がっちりとはずして 鳥どの細(ケイ?、月に又に土)を

きりきりちょっきり きりちょと はさだとせ
あ痛でで あ痛でで そのときの思いには あっぱ鳥も恋いし 
ででえ鳥も恋しいし いとこの目くされ鳥も恋しいし
雲ぁとんびに飛び上がったぁ
  手まり唄
天竺の おていしゃの娘こは 一つうには 乳首くわえて
二つうには 乳首はなして 三つうには 水を汲みそろ 四つうには
四まきまきそろ 五つうには 管をとりそろ 六つうには その機織(はたおり)
りそろ 七つうには なしき織りそろ 八つうには 金欄(なん)をたたんで

九つうには この横丁で 止とめておとめて 十に とりごとねりそうた
秋田県   わらべ唄
ばんけ ばんけ ふきのとう 冬になったらどうする
かもかぶって  ねんねこす こもねばどうする
ござかぶって  ねんねこす ござねばどうする
むしろかぶって  ねんねこす
わらべ唄
雀こや雀 なしてそこさとまった 腹すきてとまった 腹すきたら田作れ
田作れば汚れる 汚れたら洗え 洗えば流れる 流れたら葦の葉にたぐつけ
たぐつけば手切れる 手切れたら麦の粉をくっつけれ くっつければ痛(や)める
痛めたら寝れえ 寝えれば ねずみに引かれる 起きれば お鷹にさらわれる
  眠せらせ唄
ねんにゃこ コロチャコ  ねんにゃこ コロチャコ よーよ
俺の愛(め)で子どさ  誰ァかまて泣ーく
誰もかまねど  ひとりして泣ーく

ねんにゃこ コロチャコ  ねんにゃこ コロチャコ よーよ
(むげ)ェ山の白犬コーよ  一匹吠えれば みな吠えるーウ
山形県   眠せらせ唄
オワイヤー オワイヤー  オワイヤレーヤーレ
寝っと  ねずみに引かれんぞ  起ぎっと  夜鷹にさらわれる
オワイヤー オワイヤー  オワイヤレーヤーレ
  お手玉唄
おじゃみ おふた お三(み) お四(よ) お五(え) お六(む) 七ってくりょ とんきり

おじゃみじゃくら おふた桜 お三え桜 お四う桜 お五つ桜 お六う桜
くら おうむがえし おみちこぶし 出たよ 出たよ お七つさらい 一貫貸しまし
岩手県   子守唄
ねんねろ 子守はつらいもん お母さんに叱られ 子に泣かれ
近所の子どもにいじめられ 早くお正月くるとよい
ふろしきづつみに下駄はいて お父さん さよなら もう来ない
お母さん さよなら もう来ない ねんねろ子守はどこにいた
あの山越えて 里にいた お里おみやげ 何もろた
でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねろ ねんねろ ねんねせな

手毬歌 正月門松
正月門松 二月初午 三月雛様 四月釈迦様 五月御節句 六月天王
七月七夕 八月八朔 九月九年で 十月恵比寿講 夕べ恵比寿講に
(よ)ばれて(まい)ッたけ 鰈の浜焼 雀の吸物 金のお箸で
一杯しましょ スッスッ 二杯しましょ スッスッ 三杯しましょ スッスッ
四杯しましょ スッスッ 五杯しましょ スッスッ 六杯しましょ スッスッ
七杯しましょ スッスッ 八杯しましょ スッスッ 九杯しましょ スッスッ
十杯
しましょ スッスッ 先ず先ず一貫 お貸し申した
  手まり唄
仙台の 仙台の 大橋普請のその時に
たばこ切り屋の姉さんは ねずみを一匹飼っておいて
赤いはっぴこ ちょっと着せて まんじゅうこ売りに出したれば
隣のねこさん ちょっと出はって ねこさん ねこさん
許さんせ 今度のお盆に貸して上げる 一丁 一丁

わらべ唄
早稲(わせ)の鳥も ほいほい 中稲(なか)の鳥も ほいほい
晩稲(おく)の鳥も ほいほい 物食う鳥をば 頭を割って
塩つけて 籠に入れて からがいて 遠島に追(ぽ)ってやれ
遠島にも 隙はない 蝦夷ぁ島に追ってやれ 蝦夷ぁ島にも隙はない
鬼ヶ島に追ってやれ ほうい ほうい
宮城県   手毬歌 正月は
正月は正月は 門に門松内には手掛け 手掛け 盆には 榧(かや)か勝栗
    馬尾藻(ほんだわら) 馬尾藻
二月は二月は 天に凧(はた)揚げ空見る時は 春の景色のおもしろやおもしろや
三月は三月は お雛飾り糸葱膾(あさづきなァます) お内裏様の桃の花 桃の花
四月は四月は 花を見たくば釈迦堂に御座れ 花は色々躑躅(つつじ)に椿
    よれてからまる 藤の花 藤の花
五月は五月は 御門々々に小旗を立(たァ)てて 軒端々々に菖蒲をさァして
    子ども寄り合い 花合戦 花合戦
六月六月 ろくに一日歯固め餅に 女帷子(おんなかたびら) 
    奈良ざらし 奈良ざらし
七月は七月は 盆に盆棚お前に切り子 切子提灯 掛け行灯(あんどん)掛け行灯
八月は八月は 芋や豆やのお名月様よ あげて拝むは 月夜様よ 月夜様よ
九月は九月は 稲の刈り初(そ)め稲刈納め 仙台お祭り 
    エンヤラセ コレワノセ
十月は十月は 女わらしはささえを下げて 油を買いましょか
    胡麻油 胡麻油
十一月は十一月は 雪をまるめてお玉とつッけて 
    抱いて寝たれば 皆とけた 皆とけた
十二月は十二月は 明日々々餅搗き忙しや 忙しや
    そんでよいとんどいた 一貫貸ァし

  手まり唄
向こう通るは誰の娘 おれが女房になるならば
錦はかせて 綾(あや)きせて 
京で五貫の笠買ってかぶせ 笠のしめ緒(お)は なあになに
きんかからんで撚(より)り交ぜて 春は花見に 夏は涼みに
秋は月見に 共つれて 共つれて

わらべ唄  遊びで痛くした仲間にいう唄え詞
(いだ)がらいたちの糞つけろ さっと痛がら猿の糞
うんと痛がら牛の糞 少し痛がら獅子の糞
とっても痛がら鳥の糞 まっと痛がら馬の糞つけろ

眠せらせ唄
ねんねん さいさい 酒屋の子  酒屋が嫌なら 嫁に出す
寝ろでばや 寝ろでばや
箪笥(たんす)長持(ながもち)鋏み箱(はさみばこ)
これほど重ねて 遺(や)るほどに 寝ろでばや 寝ろでばや
二度と来るなよ この娘 お父(ど)ちゃん お母(が)ちゃん そりゃ無理よ

寝ろでばや 寝ろでばや 西が雲れば 雨となる 東が曇れば 風となる
寝ろでばや 寝ろでばや
縄とび 一羽の烏
一羽の烏(カラス)が カァカ 二羽の鶏 コケコッコ 三ばの魚が 游(およぎ)出す
四は白髪の お爺さん ホラ 一ぬけろ ホラ 二ぬけろ ホラ 三ぬけろ
ホラ 四ぬけろ ホラ 五ぬけろ ホラ 六ぬけろ ホラ 七ぬけろ ホラ 八ぬけろ
ホラ 九ぬけろ
ホラ 十ぬけろ
福島県       わらべ唄
お月さまいくつ 十三 七つ 赤いまんま 食なはんしょ
赤いまんま いやいや 白いまんま 食なはんしょ 白いまんま いやいや

銭形 金形 ついたまんま 食なはんしょ 誰がいう
女がいう 女 口ひっさけよ
茨城県       わらべ唄
そこ どんぶりやの 水屋のおかかは 蛇に命を取られた
その蛇は何だと聞いたらば からたち山の青大将
樹にからまれ 柳にからまれ 
椿の小枝にからまれ からまれ
栃木県   手毬歌 清水の観音様
清水の観音様に 雀が三びきとまった その雀が 蜂にさされて
あいたた ブンブン あいたた ブンブン
 
まずまず一貫 貸し申した
  手まり唄
ゆんべもらった花嫁は ぺっそり ぺっそり 泣いている
何がつらくて 泣いている 着物の裾に血がついた
それは 血でない 紅であろ 洗って干せばなおるも
表へ干せば笑われる 裏へ干せば盗まれる
二階へ干せば煤(すす)だらけ すすき 山吹
垣根の根の離れのおじょうさん こんな大きなお腹になりました
はってな はってな はって はって はってな
まずまず一貫貸しました
群馬県        
埼玉県       鬼あそび唄
お寺の お寺のおばさん なに買ってとうる
菓子買ってとおる おれにも おくれ いやだ いやだ
しやんぼ しやんぼ しやんぼでもよいぞ
かやんぼ かやんぼ かやんぼでもよいぞ
風車 風車 おれをだれだか当ててみろ
千葉県       鬼あそび唄
石臼 ごろごろ 豆ばたき とんことんこ
わたしも仲間に入れとくれ おかあさんに叱られっから いやーだ
石臼 ごろごろ 豆ばたき とんことんこ わたしも仲間に入れとくれ
舌出してみな  ほら だれかさんの舌は 蛇のようだ
東京都   眠せらせ唄
ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
ねんねのお守は どこへ行った
あの山越えて 里へ行った
里のみやげに 何もろた
でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛
起き上がり小法師に ふり鼓(つづ
  輪あそび 開いた開いた
(ひィら)いた開いた 何の花が 開いた 蓮華の花が開いた
開いたと思ったら いつの間にか莟(つゥぼ)んだ
莟んだ莟んだ 何の花が莟んだ 蓮華の花が莟んだ
莟んだと思ったら いつの間にか開いた
神奈川県     手まり唄
一 二 三 四  おみよの吉原 片すみとおれば
田んぼの榎(えのき)に雀が一羽とまって
その雀 鷹にけられて 雨やらん 雨やらん 
雪やらん 雪やらん ちょうど一貫かしました
新潟県   子守唄
ねんねんころり ねんころり
ねんねのお守りは どこへいた あの山こえて 佐渡へ行いた
佐渡のみやげに何もろた どんどん太鼓に鈴もろた
その中のがらがらは お寺の小僧にくれてきた
お寺の小僧は何してた 立ったり ねまったり
お茶くんだり ねんねんころり ねんころり
   
富山県       手毬歌 花折りに
わらち子供(こどん)ども 花折りに行かんか
何花(なんばな)折りに 牡丹(ぼたん)芍薬(しゃくやく)菊の花折りに
一本折っては腰にさし 二本折っては 笠にさし 三本目に日が暮れて

あっちの小屋に泊まろうか こっちの 小屋に泊まろうか
あっちの小屋は煤掃(すすは)きで こっちの小屋は餅かちで
中の小屋に泊まったら 
(むしろ)はしこて夜が長(なご)て 晨(あした)起きて天(そら)
見たら
足駄はいて棒ついて 雛(ひんな)のような姫様が
参れ参れとおっしゃれど
(鶯(うぐいす)が梅の小枝に昼寝して夢を見た)
石川県   手毬歌 正がんせ
正がんせ 障子あければ万歳も 鼓や太鼓の音や声 サー音や声
二がんせ 二度と参るは寺参り 明日は迎えの十五日 サー十五日
三がんせ さくら花よりお雛様 お雛連れて見事なよ  サー見事なよ
四がんせ 死んでまた来るお釈迦様 甘茶でこま茶で甘茶でよ サー甘茶でよ
五がんせ 五いちばんの前掛けを 正月済んだら取って置いで サー取って置いで
  手毬歌 どんどんしゃく
どんどんしゃァく 九(ここの)しゃ十(とお)しゃ   九より十より 十おんどり
おんどり九羽 九匁 九匁 おんどり十羽 十匁 十匁 十めんどり
めんどり九羽 九匁 九匁 めんどり十羽 十匁 十匁

十そそり そりィそそりは 九匁のそそり 一二三四五六七八九十
中央の ほォのの字は 跛ひき 跛ひき からからがるみ
からからがるみ からからがるみ でもだんないぞ
 家へ行って聞たらば
かァんかたやと仰有った 仰有った
福井県   眠せらせ唄
ねんねんやァ おべろんや
ねんねの寝た間に飯炊(ままた)いて  赤い茶碗に飯(まま)よそて
白いお皿に魚(とと)よそて  起きたらあげるで ねんねしな
ねんねんやァ  おべろんや
  子守唄
うちのこの子は今晩眠るさかい 誰もやかまし いうてくれな
誰もやかまし いわせんけど 守がやかまし いうて起こす
お前なにする 行燈の下で かわいこの子の帯くけて
あした赤い衣(べ)に帯さして 好きな宮さんへつれて行こ

わたしは浜のいわし売り 潮風に吹かれて おいどがまっ黒け
あれ どんどん どんどん これ どんどんどん
山梨県       子守唄
ねんねん猫の尻 蟹はいこんだ うんとこしょ
と引じりだいだら また はいりこんだ あの猫
かわいそうだ かわいそうだよ
長野県       子守唄
ようい ようい よしの子 また出て取られるか みょうがの子
眠れ 伏せつけ 亀の子 眠れば ねずみにひかせるぞ
泣けば 長持ち背負わせるぞ ようい ようい ようい
静岡県   眠せらせ唄 ・子のこの可愛さ
坊やはよい子だ ねんねしな この子の可愛さ 限りなさ
天に上(のぼ)れば 星の数 七里が浜では 砂の数
山では木の数 萱(かや)の数 沼津へ下(くだ)れば 千本松
千本松原 小松原 松葉の数より まだ可愛い
ねんねんころりよ おころりよ
  手毬唄  (大黒様)
大黒様と言う人は
一に俵ふんまいて 二ににっこり笑って 三に酒を造って
四つ世の中よいように 五ついつでもニコニコ 六つ無病息災に
七つ何事も無いように 八つ屋敷を広めて 九つ紺屋をおっ建てて 
十で到頭福の神
手毬唄
羽子突唄 いちじく人参
無花果 人参 山椒に 椎茸 牛蒡に 無黒子 七草 初茸 胡瓜に 冬瓜
岐阜県       手まり唄
げんごろ どこ行きゃる このさぶごろに
さぶても つろても 行かねばならぬ 今日は ここのか
たかどの嫁が 猫を嫁にして いたちが はっつく
はつくねずみが 三升だるさげて 裏の細道
つらつらと つらつらと ちょっと ここらで 一貫わたいた
愛知県       手毬唄  (岡崎地方)
一番始めは一宮 二また日光中禅寺 三また佐倉宗五郎
四また信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様 八つ大和の法隆寺 九つ高野の弘法様
十で東京心願寺  (越後節と言う瞽女唄の影響か、言葉を変えて全国にある)
三重県       手まり唄
わしのお母やん
九十九で熊野の薬屋へ 嫁入りしょうとおしゃる
嫁入りする前奥歯が抜けて 奥歯抜けても前歯がござる
前歯三本 おはぐろつけて 髪の三すじに かもじを入れて
裏を通れば 若衆が笑う 表通れば 子どもが笑う
山を通れば 茨が止める 茨止めるも えいかいなあ
えいかいなあ
滋賀県        
大阪府       わらべ唄
田にし 田にし 山へまいらぬか
お彼岸まいりにさしゃらぬか わたしゃ行くまい お山へは
去年の春も行ったれば 鳥と申す黒鳥が
あっち つっつき つんまわし こっち つっつきつんまわし
二度と行くまい お山へは
京都府       わらべ唄
松虫 鈴虫 くつわ虫
むしたお米で餅をつき 机の上には本をたて
たて縞 横縞 紺がすり
すり餌さで飼うのは籠の鳥 鳥居で名だかい厳島
島田に結うのは お姉さま さまして お汁を召し上がれ
奈良県   眠せらせ唄 ねんねころいち
ねんねころいち 寝た子は可愛い 起きて泣く子は (つら)にくいヨー

ねんねころいち 子のない人は 猫を子にしーて 抱いて寝るヨー

ねんねねんねん 猫 三味(しゃみ)の皮 おまん包むは 竹の皮ヨー
  わらべ唄
お月さんなんぼ 十三 一つ
そらまだ若いな こんど京へのぼって 油買って進ぜた
その油どうした 犬がねぶって候 その犬どうした
太鼓に張って候 その太鼓どうした
あっちの宮でも ドウン ドン こっちの宮でもドウン ドン
あんまりたたいて 破れて候

手毬唄 ひいふの三吉
(ひい)(ふう)の三吉 昼は馬追い 夜さりゃ夜ッぴて (くつ)つくる
(くつ)つくりて 馬に履jかせば 馬はシャンシャン よう走る よう走る
和歌山県       手毬唄 道成寺
トントンお寺の道成寺 釣鐘下ろいて 身を隠し 安珍清姫 蛇に化けて
七重に巻かれて一廻り 一廻り
手毬唄 道成寺
此処から鐘巻十八町 六十二段の階(キダハシ)を 上りつめたら仁王さん
左に唐金手水鉢 右は三階塔の堂 護摩堂に釈迦堂に念仏堂
弁天さんに稲荷さん 裏へ廻れば一寸八分の観音さん 牡丹桜に八重桜
七重に巻かれて一廻り
兵庫県   子守唄
ねんねこ さんねこ
酒屋の子 酒屋をいやなら嫁にやろ
嫁の道具はなになにぞ たんす 長持ち 櫃 戸だな
琉球づつみが六荷ある ふろしきづつみは数知れず
それほど こしらえやるほどにゃ 一生去られて もどるなよ
そりゃまた おかあさん どうよくな
千石積んだる船さえも 風が変われば もどるもの
  手毬唄 わしの大事な
わしの大事な お手毬さァまは 紙に包んで 文庫へ入れて
 お錠でおろして
お鍵で開けて 開けたところは イロハと書いた
イロハ誰が書いた お菊が書いた お菊よう書く お袖の下から

お渡し申すが合点か 合点か
鳥取県   子守唄
ねんねやあ 泣くないや 泣くとお鷹に噛ませると
泣くなというたら 泣くないや 
雪や こおこお 霜や こおこお 大山(だいせん)おやまの
雪 ころころや
   
岡山県       わらべ唄
ほたる ほたる
山からころんで けがすなよ あっちの水は 苦いぞ
こっちの水は 甘いぞ 小びしゃく持って来い
くんでやろ 小びしゃくとる丈がたらん つるべ持って来い
くんでやろ つるべとる背がたらん
お前のような あんぽんたんがあるもんか
広島県   子守唄
ねんねんや こんこんや
ねんねん山の雉(きじ)の子は 啼いて鷹にとられた
坊やも泣くととられるぞ ねんねん山の小うさぎは
かあさんのおなかにいた時に 椎(しい)の実 かやの実
食べたから それで お耳が長いのよ
  手毬唄
 一匁の一助(いすけ)さん 一の字が嫌いで 一万一千一百石
一斗一斗一斗まの お倉に納めて 二匁に渡した
二匁の二助さん の字が嫌いで 二万二千二百石 二斗二斗二斗まの
お倉に納めて 三匁に渡した
三匁の三助さん 三の字が嫌いで 三万三千三百石 三斗三斗三斗まの
お倉に納めて 四匁に渡した
島根県   子守唄
寝た 寝た 寝たな 寝くじ宝くじ最楽寺  最楽寺のお寺さん
ただむのお世話になりまして 小豆三合に米三合
はがまに入れて がらがら はんぽに入れて ぐらぐら
爺さんも一ぱい食わわんせ 婆も一ぱい食わわんせ
嫁せの飯(まま)がたらいで 仏(のの)さんの飯をおろいて食え
おろいて食ったら山へ行き 
山がいやなら川へ 川がいやならいんでごせ
いぬるには何はいて 爺の雪駄(せきだ)も ちゃらちゃら
婆の雪駄も ちゃらちゃら
  縄とび 郵便さん
郵便さん おーはいり 今日は ジャン ケン ポイ 負ァけたお方は 出て頂戴
お嬢様 おーはいり
 今日は ジャン ケン ポイ 負ァけたお方は 出て頂戴
山口県       わらべ唄
お月さんなんぼ 十三七つ
あの子を生んで この子を生んで だれに抱かしょ おまんに抱かし

おまんどこに行った 油買い 酢買い 油屋の前で滑ってこけた
その油どうした 太郎さんの犬と次郎さんの犬が
ひんねぶってしもうた その犬どうした 太鼓に張って
あっちの村では どんどこどん こっちの村でも どんどこどん
高知県       わらべ唄
つくつくぼうし なぜ鳴くぞ 親もないか 子もないか
親もござる 子もござんす も一人ほしや 娘の子
墓所にとられて きょう七日 七日と思えば 十五日
十五の玉を手にそえて おじさん屋形に行ってみたら
牛馬つないで 寄せつけん
徳島県        
愛媛県       手毬唄 ひいふのみつ
一二(ひいふ)の三(み)つ 七八九(ななやこ) とんで
一二の三つ 七八九 二十(にじゅう) 一二の三つ 七八九 三十(さんじゅう)チョイ
一つ二つとんで 一つ二つ二十 一つ二つ 三十のチョイ
水仙とんで 水仙二十 水仙三十のチョイ
一丁(ちょう)けんけん 二丁けんけん 三たい丁 一たい 二たい 三たい丁
つかもも 桑津の新吉 お手ば打って お膝打って ヤレコラ 一たい丁
香川県       手毬唄 なかなかホイ
なかなかホイ そとそとホイ なかそと そとなか なかなかホイ
そとそとホイ なかなかホイ そとなか なかそと そとそとホイ
なかなかホイ そとそとホイ なかそと そとなか なかなかホイ
手毬唄 家の裏の黒猫
(うゥち)の裏の黒猫が お白粉(しろい)つけて 紅つけて 
人に見られて チョイと隠す
福岡県       わらべ唄
蛍来いとこせ 柳のもとから 提灯とぼして来いとこせ
井戸の水がいいか 川の水がいいか 
川の水は ごみくせえ 井戸の水がいいぞ
小びしゃく持って来い くんでやろ
佐賀県   あそばせ唄  (小山の子兎)
こんこん小山の子兎は なぜにお耳が長ごうござる
おっ母ちゃんのぽんぽにいた時に 長い木の葉を食べたゆえ
それでお耳が長うござる

こんこん小山の子兎は なぜにお目々が赤うござる
おっ母ちゃんのぽんぽにいた時に
赤い気の実を食べたゆえ それでお目々が赤うござる
   
長崎県   眠せらせ唄  ねんねこんぼうよ
ねんね ねんね ねんねんよ  ねんね ねんね こんぼうよ
ねんね さんせ とこさんせ  あした 早う 起(お)けさんせ
ぼっちん 搗(つ)いて 食わしゅうで
搗いて 嫌(いや)なら 焼いて食わしゅう
 焼いて 嫌なら (た)いて食わしゅう
炊いて 嫌なら 生(なま)で食わしゅう
ホリャ ホリャ ホリャヨ オーオー オーオー オーオーヨ
   
熊本県       わらべ唄
あっちゃ照って こっちゃ照らんな 天道さんな にいくうじ
甘酒つくって上げましょか 鳥に持たして上げましょか
(とび)に持たして上げましょうか 鳥が道んひん飲うだ
鳥の道ん干わわるごつ 照ってくだはり
大分県       わらべ唄
おむくが父さは どこへ行った 長い長崎 金堀りに
金がないやら 死んだやら 一年たっても まだ見えぬ
三年三月の九十九日 おむくに来いの状が来た
おむくはやるまい 小太郎やろ 小太郎にゃ何々着せてやろ
去年仕立てた白小袖 今年仕立てた赤い小袖
それほど着せてやるからは 全くもどろと思やるな
宮崎県       手まり唄
みかん 金かん 酒のかん 親のせっかん 子がきかん
きかん子を売ろうか 人買いどのへ
その子は どの子 この子 なんぼで買うか
はい  ちょいと十貫いかがです
鹿児島県   眠せらせ唄 ようかい
ようかい ようかい ようかいよ よッとこの子が 寝たならば
息をほしと しょうものば ようかい ようかい ようかいよ
おぜが父(テッ)ちゃんは 何処(どけ)行ったか あれは屋久島 かま売りに
かまは売れぬか まだじゃろか 二年たっても まだ在(わ)せぬ
三年たっても まだ在(わ)せぬ 三年三月に 状が来た
  語呂あわせ唄
かかは どけいたか かかは かごしめ(鹿児島)かごこけ(篭買いに)
ととは どけいたか ととは といやめ(鳥山)といといけ(鳥とりに)
ばばは どけいたか ばばは ばら(ざる)持って、ばらういけ(ざる売りに)

じじは どけいたか じじは じんがら(ガクウツギ)やめ(山)じんがらをといけ
沖縄県   わらべ唄
天から落てたる 糸満小人(いちゅうまんぐーわー) 幾人(いくたい)
そろうて 落てたがやー 三人(みっちゃい)そろうて 落てたんどー
落てたっ所は ましやたが(どこだった) 波上城(なんみんぐすく)
ついたっちゅー(突っぱなだ)
  わらべ唄
昔ある所んかい ゆーりーやしち(幽霊屋敷)のあたんり
同志ぐゎー 四五人集まとて 酒ぐゎー 飲むたんり
ふぃぢゅる(つめたい) 風にのぼってかち(吹き)
石垣やかん(よりも) 高くなて ゆーりー仁王が 舌だらだ
諸外国        


                                   


       ( むかし話の語り始めと終わり                   (塩田平周辺の寺の鐘のつく時間

  始めのことば ・・・・・・・・・・ 終わりのことば     北向き観音 AM6:00・・・PM17:00
  昔あったとさ (あったじょあ) ・・・・・・・・・・ それきいて、どっとばらい 岩手   西光寺 AM11:30
  昔あったずおん (あったずもな) ・・・・・・・・・・ それきって、トッピンパラリ 秋田   前山寺 AM12:00
  とんと昔あったけど ・・・・・・・・・・・・・ トンピカンコ、あとないけど 山形   龍光院 PM18:00(日暮れの時間よって)
  昔むかし、ざっと昔 ・・・・・・・・・・・・・・ これでよんつこ、もんつこさ 宮城   中禅寺 鐘なし
  昔むかしあったとさ ・・・・・・・・・・・・・・ それでぶんぎり(それっきり) 埼玉   超誓寺・浄土宗 AM6:30・PM17:30  (寺下)
  とんと昔あったとさ(あったとんかな) ・・・・・・・・・・・・・ それで、いちゃポーンとさけた 新潟      
  とんと一つあったとい ・・・・・・・・・・・・ そうらベッタリ、かいのくそ 富山      
  昔(昔むかし) ・・・・・・・・・・・・・ それでちょっぴり、きのこあし 岐阜      
  なんと昔があったそうな ・・・・・・・・・・・・ 昔こっぽり、どじょうの目 岡山      
  昔そうな、あったそうな ・・・・・・・・・・・・・・ そうじゃそうな、候えばくばく 香川      
  なんの昔もあったげな ・・・・・・・・・・・・・・ もうし昔、ケッチリコー 広島      
  昔むかしなあ ・・・・・・・・・・・・・・ もうしもうし米ン団子 大分      

岐阜のむかし話ガイドより (同じ県でも地域によって、違いがあります。

日本笑話集   武田 明編著    社会思想社より

 

  発端の句 地域   末尾の句 地域
  昔々あったおね 岩手県西磐井郡   それきってどっとはれぁ 青森県三戸郡
  昔あったぞん 秋田県平鹿郡   どっとはらい 岩手県岩手郡
  昔あったけど 山形県最上郡   いんちくもんちくさかえた 岩手県西磐井郡
  とんと昔あったけど 山形県北村山郡   とっぴんぱらりさんしょのみ 秋田県雄勝郡
  昔々大昔のことだえ 宮城県白石郡   とっぴんからり 山形県鶴岡市
  とんとん昔があったての 新潟県南蒲原郡   どんべからっこねっこ 山形県最上郡
  昔あるところにあったとさぁ 長野県北佐久郡   これでいちごさかえた 新潟県西頚城郡
  昔やな 兵庫県氷上郡   いっちょうはんじょうさけたとさ 佐渡島
  昔そうな 香川県三豊郡   語っても語らいでも候の権八やったと 富山市付近
  昔、婆さんがあったとこや 大分県逸見郡   しゃみしゃっきりせんち板がたがた 岐阜県大野郡
  うんと昔あったそうな 徳島県三好郡   昔こっぷりどじょうの目 岡山県阿哲郡
  うんと昔あったげな 福岡県鞍手郡   一昔こっぷり 広島県神石郡
        そうじゃそうな候えばくばく 香川県仲多度郡
        昔まっこう滝まっこう猿のつびぁんがり 高知県土佐郡
        昔かっぽう米のだご 大分県速見郡
        そりばっかりのばくりうどん 天草郡
        こんかぎいのむかぁし 甑島
        がっさとうさ 沖永良部島

上田市 塩田平 「札所めぐり」と塩田のお寺

下之郷 長福寺、遍路堂 真言宗 智山派 同寺寺務所   11 新町 観音堂 曹洞宗 東前山、龍光院
番外 下組 観音堂 真言宗 智山派 中組、西光寺   12 山田 満願寺 真言宗 智山派 同寺寺務所
番外 中組 西光寺 真言宗 智山派 同寺寺務所   13 手塚 無量寺 浄土宗 同寺寺務所
中組 町屋、観音堂 真言宗 智山派 中組、西光寺   14 野倉 瑞光寺 曹洞宗 別所、安楽寺
番外 奈良尾 大円寺 曹洞宗 同寺寺務所   番外 別所 大湯薬師   薬師講中
平井寺 地蔵堂 曹洞宗 奈良尾、大円寺   15 別所 安楽寺 曹洞宗 同寺寺務所
鈴子 来光寺、薬師堂 真言宗 智山派 中組、西光寺   客番 別所 北向き観音 天台宗 同寺寺務所
石神 釈迦堂 真言宗 智山派 中組、西光寺   16 八木沢 法輪寺 曹洞宗 別所、安楽寺
柳沢 青龍寺 浄土宗 保屋、林法院   17 舞田 法樹院 浄土宗 同寺寺務所
上本郷 阿弥陀堂 真言宗 智山派 下之郷、長福寺   18 保野 龍昌院 曹洞宗 同寺寺務所
十人 薬師堂 真言宗 智山派 東前山、前山寺   19 保野 林法院 浄土宗 同寺寺務所
東前山 前山寺 真言宗 智山派 同寺寺務所   20 中野 滝沢(りゅうたく) 曹洞宗 東前山、龍光院
番外 東前山 龍光院 曹洞宗 同寺寺務所   21 五加 真光寺 真言宗 智山派 同寺寺務所
10 西前山 中禅寺 真言宗 智山派 同寺寺務所            
            お寺 別所 常楽寺 天台宗 同寺寺務所

 塩田の各地区に 廃寺、廃堂の後が数多くあります。  (塩田の寺と堂 参考)

   長野県神社庁上小支部  上田市塩田平

 

  浅間社 下之郷中雲雀 1277-1   諏訪神社 中野字宮脇 299
  生島足島神社 下之郷中池西 701-甲   天神社 八木沢字天神西 948
  四柱神社 古安曽 1187   兜神社 八木沢字東森相 1195-イ
  安曽神社 古安曽 1500   日米神社 富士山 3310-1
  引ト伊飛五寄社 古安曽 4199   唐猫社 富士山 4508-ロ
  六柱神社 古安曽字西山 1478   富士嶽神社 富士山字宮林 4556-ハ
  古川神社 古安曽字大窪 398   佐加神社 富士山山門寺 3087
  五加 八幡社 五加字宮原 912   別所神社 別所温泉字内大門 2338
  手塚 八幡社 手塚字飯沼 297   舞田 塩野入神社 舞田字塩野入 714
  皇子神社 十人 42-1   保野 塩野神社 保野字塩野 429
  武高國神社 上本郷字舞 558   誉田別神社 本郷字上原 916
  王子神社 新町字王子 10   塩田水上神社 野倉字宮上 840
  前山 塩野神社 前山字塩野 1681      

   塩田の峠と道

 塩田は盆地状のの地形から、 塩田平と呼ばれてきました。  東、南、西、 の三方が山でさえぎられ、 わずかに北方だけが上田方面に開けています。
 塩田平に住む人々が、 他の地域の人たちと 経済や文化の面で ふれ合うためには、 どうしても峠を越えて 行き来する必要がありました。
 こうしたことから 塩田の週囲には、 昔から多くの峠をもつ 道が作られたのです。
 「塩田では何箇所かの市(いち)がありました。」(市神様)

  砂原(すなはら) 塩田平らの東口、 富士山地区の奈良尾と、丸子の御岳堂を結ぶ。 昔の鎌倉街道。  
  久保(くぼ) 富士山の久保(下組)から丸子の長瀬や海野方面へ  
  二ツ木(ふたつぎ) 富士山の中組から丸子へ通じる道。  海野道。 麓(ふもと)に 二ツ木大明神があったと記される。  
  平井寺(ひらいじ) 東塩田地区の平井寺から丸子 東内地区 和子(わご)に通じる 塩田の南方の峠。 現在は平井寺トンネルで。  
  梅ノ木(うめのき) 西塩田地区の手塚と、 丸子 穴沢(あなざわ)を結んだ道。 西内方面の人々が 前山の市に往復した峠。  
  (いち) 西塩田地区の手塚から、 丸子 鹿教湯(かけゆ)に通じた峠。 西内方面の人々が物を売買するために通った峠。  
  殿戸(とのど) 別所温泉と青木、殿戸を結ぶ峠。 別所へ入浴の通った、近距離の山道。  
  越戸(こうど)峠 (市坂峠) 浦里地区の越戸から別所温泉へ通じる。 塩田では、市坂峠と呼ぶ。 昔は湯峠とも言われた。  
  舞田(まいた) 中塩田地区の舞田から、浦里地区の仁古田に通じた峠。 浦野の市(いち)への峠。  
  横山(よこやま) 中塩田地区の保野(ほや)と、 泉田地区の横山につらなる峠。 保野にも市が立ったので、往来が盛んだったでしょう。  
  東山道(とうさんどう)の脇道 塩田から野倉を経て、松本へ通じる道。 (北向堂道きたむきどうみち  

この他にも、 塩田から松本方面へ通ずる道が、 野倉を経て通っていましたが、 この道は古道「東山道(とうさんどう)」の脇道といわれ大変大切な道でした。
今から、半世紀前に、保福寺峠の頂上から野倉まで道路改修がされました。  この山道のところどころに「北向堂道」(きたむきどうみち)(別所の観音様への道
と言う意味)の石の道しるべが立てられていました。
州の鎌倉
  塩田平とその周辺  参考