屁
人はどれだけの土地が必要か
三人の隠者
のら犬
屁
石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉君は、
そうかもしれないと思った。 石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
なにしろ是信さんは、おしもおされぬ屁こきである。
いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなや子どもたちのあいだにつたえられている。 是信さんは屁で引導をわたすという。
まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁(音なしの屁)ぐらいは、お経の最中にするかもしれない。
また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。
これも、 おとながおもしろ半分につくったうそらしい。
だが、 これだけはたしかだ。
是信さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶっぱなすことができるということである。 春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。
石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている
是信さんと、石太郎のすがたを想像させた。
茶色のはん点がいっぱいある、 赤みかかったつやのよい頭を日に光らせ、あらいふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、
年よりの是信さん。顔のわりあいに耳がばかに大きい、まるで二つのうちわを頭の両側につけているように見える、きたない着物の、
手足があかじみた石太郎。
きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくりかえしながら、屁の修行をつんでいるのだろう。
まったくかれは屁の名人だ。
石太郎はいつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。 みんなが、大きいのを一つたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。
小さいのをたのめば、小さいのを連発する。 にわとりがときをつくるような音をだすこともできる。
こんなのは、さすがに石太郎にもむずかしいとみえ、
しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり・・・・・・・つまり、
調子をとりながらだすのである。 そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。
その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名前は、十の指にあまるくらいだ。
石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。
下級生でさえも、あいつ屁えこき虫と、公然(こうぜん)指さしてわらった。 それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての義憤(ぎふん)を感じるようなことはなかった。
石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである。
石太郎の家は、小さくみすぼらしい。 一歩中にはいると、一種居様(いっしゅいよう)なにおいが鼻をつき、へどが出そうになる。
そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。
どこかへかせぎに出ているおとっつぁんが、ときどき帰ってくる。 おっかあは、早く死んでしまって、いない。
石太郎は、ポンツク(川魚のこと)にばかり行く。 とってきたふなやどじょうを、じいさんに食べさせる。
また、買いにいけば、どじょうやうなぎを売ってくれるということである。
石太郎の着物は、いつ洗ったとも知れず、あかでまっ黒になっている。
その着物に、家の中のあの貧乏のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやってくる。 そのうえ、
注文されなくてもかれは、ときおり放屁(ほうひ)する。
みんなは石太郎のことを、屁えこき虫としてとりあつかっている。
石太郎のほうでも、そのほうがむしろ気らくなのか、一度もふんがいしたことがない。
生徒ばかりでなく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、 石太郎は、
だんだんじぶんでも虫になっていった。
かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたりぶんのつくえをあたえられていたが、授業中あまり授業に注意しなかった。
たいていは、ナイフで鉛筆(えんぴつ)に細工(さいく)していた。
またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。
屁の注文をうける場合のほかは、かれは、いつもぐにゃぐにゃし、えへらえへらわらっていた。
春吉くんは、一度、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。
それは五年生の冬のことである。
三年間受け持っていただいた、年寄りの石黒先生が、持病(じびょう)のぜんそくが重くなって、
授業ができなくなり、学校をおやめになった。
かわりに町から、わかい、ロイドめがねをかけた、髪の長い藤井先生がこられた。
春吉君の学校は、かたいなかの、百姓の子どもばかり集まっている小さい学校なので、よそからこられる先生は、みな、
都会人(とかいじん)のように思えたのだった。
藤井先生をひと目見て、春吉くんは息づまるほどすきになってしまった。 文化的な感じに魅(み)せられたのである。
石黒先生もよい先生であったが、先生は生まれが村の人なので、ことばが、生徒や村のおとなたちの使うのとほとんどかわらないし、年をとっていられるので、
体操(たいそう)など、ちっとも新しいのを教えてくれない。 走りあいか、ぼうしとりか、それでなければ、砂場(すなば)ですもうをとらせる。 いちばんいやなのは、話をしている最中(さいちゅう)に、せきをしはじめることである。
長い長い、苦しげなせき、そして、長いあいだ、さんざん苦労(くろう)をしたあげく、のどからやっと口までだしたたんを、
ポケットにいれて持っている新聞紙のたたんだのの中へ、ペッペッとはきこみ、その新聞紙を、まただいじそうにポケットにしまうのである。
さて、藤井先生が、はじめて春吉君の教室(きょうしつ)にあらわれた。 はじめて生徒を見る先生には、生徒は、みないちように見え る。 よく、それぞれの生徒の生活になれると、
それぞれの生徒の個性(こせい)がはっきりしてくるが、顔を最初見たばかりでは、わからない。
だれがりこうで、だれがしようもないあほうであるかも、わやらない。
藤井先生はまず、教卓(きょうたく)のすぐ前にいる坂市(さかいち)君にむかった、[きみ、読みなさい。]といった。
それは読み方の時間だった。 [きみ]ということばが、春吉君をまたよろこばせた。 なんという都会(とかい)ふうのことばだろう。
石黒先生はこんなふうにはよばなかった。
先生は、生徒の名前を知りすぎていたから、「源げんやい読め。」とか、「照てるン書け。」とかいったのである。
坂市君が読んでいきながら、知らない字をのみこむようにしてとばしたり、あいまいにごまかしたりすると、石黒先生はそんなのをほ ったらかしておかれたのに、わかい藤井先生は、いちいち、え、え、と聞きとがめられた。そんなことまで、春吉君の気にいった。
もう何から何まで、この先生のすることはよかった。
藤井先生は、坂市君から順々に後ろへあてられた。四人めには、春吉君がひかえている。春吉君はこの小さい組の級長である。
春吉君はきりっとした声をはりあげて、ろうろうと詠み、未知のわかい先生に、じぶんが秀才であることをみとめてもらうつもりで、
番のめぐってくるのを、今やおそし待っていた。いよいよ春吉君の番だ。春吉君は、がたっとこしかけを後ろへのけ、直立不動の
しせいをとり、読本を持った手を、思いっきり顔から遠くへはなした。そして大きく息をすいこみ、今や第一声をはなとうとしたと
たん、つごうの悪いことが起こった。ちょうどそのとき、藤井先生は、机間巡視の歩を教室のうしろのほうへはこんでいられたが、
とつじょ、ひえっというような悲鳴をあげられ、鼻をしっかりとおさえられた。みんながどっとわらった。
また、屁えこき虫の石が、例ののくせをだしたのである。なんというときに、また、石太郎は屁をひったものだろう。春吉君は、
すかをくらわされたように拍子抜けして、わらえもしなければおこれもせず、もじもじして立っていた。藤井先生は、まゆをしかめ、
あわててポケットから取り出したハンケチで、鼻をしっかりとおさえたまま、こりゃひどい、まったくだ、さあまどをあけて、
そっち も、 こっちもと、さしずされ、しばらくじっとして何かを待っていられたが、やがて、おそるおそるハンケチを鼻からとられ、
おこってもしょうがないというように、はっはっと。顔の一部分でみじかくわらわれた。だがすぐきっとなられて、だれですか、
今のは、正直に手をあげなさいと、見まわたされた。
石だ、石だ、とみんながささやいた。藤井先生は、、その「石」をさがされた。そして、いちばんうしろの壁ぎわに発見した。
石太郎は、新しい先生だから照れくさいと見えて、机の上に立てた表紙のぼろぼろになった読本のかげに、髪の伸びた頭を
隠すようにしていた。立っていた春吉君は、そのとき、いい知れぬ羞恥の情にかられた。自分の組に、石太郎のような、不潔な、
野卑な、非文化的な、下劣な者がいるということを、都会ふうの、近代的な明るい藤井先生が、どうお考えになるかと思うと、
まったくいたたまらなかった。
藤井先生は、相手を見て少しことばの調子を落しながら、いろいろ石太郎に聞いたが、要領をえなかった。
何しろ石は、くらげのように、机の上でぐにゃつくばかりで、返事というものをしなかったからである。
そこで近くにいる古手屋の遠助が、得意になって説明申し上げた。まるで見世物の向上いいのように、石太郎はよく屁をひること、
どんな屁でも注文通りできること、それらには、それぞれ名前がついていること等々。
春吉君は古手屋の遠助のあほうが、そんなろくでもないことを、手がら顔して語るのを聞きながら、それらのすべてのことを、
あかぬけのした、頭をテカテカになでつけられた藤井先生が、どんなに軽蔑されるかと思って、じつにやりきれなかったのである。
一年おきにやって来る、町の小学校との合同運動会でも、春吉君は、石太郎の存在をうらめしく思った。その日には春吉君の学校は、
白い弁当のつつみを背中にしょって、半里ばかりの道を、町の大きなへやっていく。大きな立派な小学校である。木造りの古い講堂が
有、えび茶のペンキで塗られた優美な鉄柵が、門の両方へのびている。運動場のすみには、遊動円木や回旋塔など、春吉君の学校には
ないものばかりである。ここの小学校の生徒や先生は、みな、町ふうだ。薄いメリヤスの運動シャツ、白いパンツ、足に塗った
ヨジウム、そして、言葉が小鳥のさえずりに似て軽快だ。春吉君は、一歩門内に入る時から、もう自分達一団のみすぼらしさに、
恥ずかしくなってしまう。何という生彩ののない自分達であろう。友達の顔が、サルみたいに見える。よくまあこんな、弁当風呂敷を
じいさんみたいにしょって来たものだ。まったくやりきれない田舎ふうだ。
こんな意識が、運動会の終わるまで、春吉君の中で続く。ちょっとでも、自分達の不体裁なことを笑われたりすると、春吉君は
突き飛ばされたように感じる。町の見物人達の1人が、春吉君のことを、ま、じょうぶそうな色をしてと、つぶやいたとしても、
春吉君は恥辱に 思うのである。町の人が驚くほどの健康色、つまり、日焼けしたはだの色というものは、
町ふうではなく在郷ふう(いなかふう)だからだ。
ある人々は、保護色性の動物のように、じき新しい環境に同化されてしまう。で、藤井先生も、半年ばかりの間に、
すっかり同化されてしまった。洋服やシャツはあかじみ、ぶしょうひげはよく伸びており、言葉なども、
すっかり村の言葉になってしまった。「なんだあ」とか、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、
春吉君がその言葉あるがため、自分の故郷を嫌っているような、げびた方言を、平気で使われるのである、春吉君が、
藤井先生も村の人になったと言う事をしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶんのある日だった。
午後の二時間目、春吉君たちは、校庭のそれぞれの場所にじんどって、水彩の写生をしていた。
小使室の窓の下に腰を下ろして、学校の 玄関と、空色に塗られた朝礼台と、その向こうのケシの咲いている短冊形の花だんと、
ずうっと遠景にこちらを向いて立っている二宮金次郎の、本を読みつつマキを背負って歩いている御影石の象とを取り入れて、
一心に彩筆をふるっていた春吉君が、ふと顔をあげて南を見ると、学校の農場と運動場の境にになっている土手の下に腹ばって、
藤井先生が、何か土手のあちら側に向かって合図をしていられる。
いち早く気づいた者がもう二人、ばらばらとそちらへ走って行くので、春吉君も画版を置いて駆けつけると、土手の下に、
水を通ずる為、設けてある細い土管の中へ、竹ぎれを突っ込んでいる先生が、落ちかかって鼻の先に止まっているメガネごしに
春吉君をみて、「おい、ぼけっと見とるじゃねえ、あっちへまわれ、こん中にイタチがはいっとるだぞ。今こっちから突っつくから、
むこうで、屁えこき虫といっしょにかまえとって、つかめ、逃がすじゃねえぞ。」とつばを飛ばしておっしゃった。
向こう側へこしてみると、 なるほど、屁えこき虫の石太郎が、このときばかりはじつに真剣な顔つきで、
そこの泥溝の中にひざこぶしまではいって、土管の中へ、右手をうでのつけねまで差し入れている。腕をすっかり土管の中につっこん
でいるので、自然、頭が横向けに 土手の草に押し付けられ、なにか、土手の中のかすかな物音に、
耳を澄まして聞いているといった風情である。じき近くにあるアヒル小屋にいる二羽のアヒルが、人の気配でひもじさを
思い出したのか、があがあとやかましく鳴き出した。
春吉君は、泥溝の中へ飛び込んで行く気にはなれなかったし、石太郎が土管の穴を受け持っているからには、よけいな手出しは
しないほうがいいので、他の者と一緒にみていた。「ええか、ええかあ、にがすなよおっ。」
という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎は黙って、依然、土手の声に聞き入っていたが、やがて、
土手についたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだかと思うと、土管の中か ら、右手をじょじょに抜き始めた。
首ねっこを力いっぱい握り絞められていた大きなイタチが、窒息のためもうほとんど死んだようになっていて、
土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶら下がっったが、少し石太郎が、てをゆるめたのか、
なにかかき落そうとするように四肢ををもがいた。するとそのとき、泥溝から上がっていた石太郎は、
ちくしょうと口走って、目にも止まらぬ敏捷さで、イタチを地べたへたたきつけた。
ぼたっと重い音がして、古イタチ、のびてしまった。春吉君は、いつも水藻のような石太郎が、こんなにはっきり、
ちくしょうっという日本語を使ったことも不思議だったし、こんなにすばしこい動作ができるということも不可解な気がした。
それはともかく、そのとき春吉君は、藤井先生が、この片田舎の、学問の出来ない、下劣で野卑な生徒たちに、しごく適した先生に
なられたことを感じたのである。
といって、別段失望したわけでもない。結局、親しみを覚えて、それがよかったのだ。
藤井先生は、石太郎ととらえたあおイタチを、へびつかみの甚太郎に、二円三十銭で売った。その金で、小使いのおじさんと一杯
やったという話を、二~三日して春吉君は、皆からただ面白く聞いた。先生はまだ独身で、小使室のとなりの宿直室で寝起きして
いられたのである。教室でも先生が変化したことは、同じことだった。
坂市君や、源五兵衛君や、照次郎君などが、知らない文字をうのみにして読本を読んでいっても、最初の頃のように、え、え、と、
優美にとがめるようなことはされなくなった。年寄りの、ぜんそくもちの石黒先生と同じ様に、知らんふりしてズボンのポケットに
両手をつっこんで机の間を散歩していられるのであった。
こういうぐあいに、すべての点で藤井先生は田舎の気風にならされ、のみならず、田舎風をマスターするようになったのだが、
石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ屁にだけは、あくまで妥協出来なかったのである。 情景はおおよそ、
次第が決まっていた。まず最初にそれを発見するのは石太郎の前にいる学科のきらいで騒ぐことの好きな、
顔がガマに似ている古手屋の遠助である。かれは、先生の真面目なお話などいささかも分からないので、どんなに、
クラス全体が一生懸命に先生の話に傾聴している時でも、「あっ、くさっ、あっ、くさっ。」といいだす。すると、
教室のその一角から、「あっ、くさっ、あっ、くさっ。」という声が 波紋の様に広がり、ざわめきだす。すると藤井先生は、
あわててハンケチを胸のポケットからだす。(あまり倉卒{あわてる様子}に取り出すので、頭髪をすく小さいくしが、
まつわって飛び出した事もある) ハンケチで鼻をしっかりとおさえる。鼻声で、窓を開けろ、窓を、そっちも、こっちもと、
下知なさる。それから南の窓ぎわへ歩いて行って、外の空気を吸うために、ややハンケチをおはなしになる。藤井先生のいつも
決まった 動作が面白いので、生徒らは、男子も女子も、ますます、臭いと騒ぐ。すると古手屋の遠助が、きょうは大根屁だとか、
今日はいも屁だとか、今日はえんどう豆屁だとか、正確にかぎ分けて、手がら顔にいうのである。
皆は、遠助の鑑識眼を信用しているので、彼の云った通りの言葉を、また伝え始める。
「あ、大根屁だ。大根くせえ。」
というふうに。ようやく喧騒が大きくなったころ、先生は、「だれだっ」と、一括される。一同はぴたっと沈黙すると