[差別語が書かれていますがご容赦を」 

古代ギリシャ、封建時代に自分の好きなことが表現でき無い時代、2500年前にイソップ(アイソーポス)の鋭い洞察力と表現力によって物語ができました、

ぜひ、見て、読んで、楽しんでください。 [一部差別語が書かれていますがご容赦を」

そばの足が赤いわけ

蕎麦喰木像

蕎麦の花を作らないわけ

そばの登城

一茶の悪戯


そばの足が赤いわけ

昔々、あったんやそうな。
昔、師走(しわす)の寒い日に、一人の坊さんが旅をしとられて、 朝早ように、川を渡って行くことになったんやて。
川のほとりまでくると、そばと麦とおったんやて。
ほしたら、 坊さんが、

 

「この川、渡るのは、冷めとうてかなわんさけえ、

誰か負(お)うて渡してくれ」

 

いうて、 頼んだんやて。
ほしたら、 麦は、

 

「冷たいさけえ、 かなん」


いうて、坊さんを渡さなんだそうやな。
坊さんが、
   

「そばよ、そばよ。お前、負うてくれるか」
  

いうたら、そばは、

 

「はい、 はい」

 

いうて、 着とる物を膝(ひざ)のへんまで上げて、 坊さんを負うて、

師走の川を渡ったんやて。寒さはきついし、 川の巾は広いし、 

そばの足は真っ赤になりましたんやてな。

坊さんは、 実は弘法大師さんなんやけど

 

「ようまあ、 この寒いのに、
お前は人の頼みを聞いてくれて、
もう、 寒い目には合わさんさけえ、 
冬が来(こ)んまに家に入れ」
て、 こういうたんやて。

麦は弘法さんを渡さなんだ罰(ばち)、秋、 撒(ま)いといて、 

雪の下で冬越えしまっしゃろ。 雪の下を越えなんだら、
ええ花ざかりはきませんのや。
そばは、 秋の彼岸にはとれまっしゃろ。
そろけんどぼん、 はいだわら。
 (福井県)

    笑いころげた昔   稲田和子                 講談社


蕎麦喰木像

 浄土真宗開祖。親鸞上人はそばと縁が深いお方。
親鸞がまだ「範宴(はくえん)」と呼ばれた比叡山での修行時代。仏心を得ようと都の六角堂へ百日参籠を決意します。

夜、山を下り明け方帰るその修行は、いつしか

「範宴の朝帰り」
 と噂されます。
 和尚はその真相を確かめるべく、ある夜、

 抜き打ちで皆を集め一人一人の名を呼び、

 そして「範宴っ」と呼んだとき
「はい」と声が、、、、、、、

和尚はその声に一安心。

 その後、皆にそばがふるまわれました。

 ところが翌朝範宴の朝帰りが発覚、では昨日の輩は?
 そこで見つかったのが範宴の彫った彼そっくりの木像。

 

 口には夕べのそばの青ネギが、、、、、、、、、
 この「蕎麦喰木像」は今も京都の法住寺に現存するそうです。不思議なお話。


もう一つ  「そばの赤すね」
 昔「むぎ」と「そば」の姉妹がおった。

冬の寒い日、老婆が「川を背負って渡してくれ」と

頼んだがむぎは断り、そば一人で渡したそうな。

そばの足は冷たい水で真っ赤になった。
これを見た神様は、そばを夏の太陽ですくすく育つように

してくれたが、むぎは冬に踏まれるものにしてしまった。
それからそばの茎は赤くなった。

 

宮崎地方のお話


蕎麦の花をつくらないわけ。

 いまから四百年あまり昔のこと、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康が三増峠で
一戦を交えたことがある。
戦いは信玄の勝ちとなったが、最後にひきあげた三島一族は、北条方の追い討ちにあい、

味方から遠くひきはなされてしまった。
三島勢は追いせまる北条方を、打ち払い打ち払い、鳶尾山の

あたりまでおちのびてきた。

 

「もうひと息で甲斐の国境ぞ、元気を出せよ。もう一息ぞ」

 

落ち武者たちは、たがいにはげましながら、ひと足、ひと足、

鉛のように重い足をひきずって、

ひたすら夜の山道を歩き続けたが、
突然ひとりが、ぎょっとしてひくい叫び声をあげた。

 

「う、海じゃ。道をまちがえ、小田原の海に出たのでは、、、、、、、

 

落ち武者達はその声に、よろめきながら駆け寄って、指さすあたりをながめた。

そして、ああとうめき声をあげた。

青い月の光に、白い波をきらめかせながら、そこには、ひろびろとした海が
ひろがっていた。耳をすませば、どうどうと海鳴りの音もひびいてくる。

 

「お、小田原の海か、、、、、、、」


「逃げるにもことかいて、われら敵の本陣へ逃げ込んだというわけか」

 

落ち武者たちは、ぼうぜんと顔をみあわせた。
ふるさとの山が近いと、心がほっとゆるんだあとだけに、
もはやひと足も、踏み出す力はなかった。


「もはやこれまでじゃ。敵の手にかかるよりは、、、、、」


と、ひとりが腹に刀を突きたてると、もう止めるものはなく、つぎつぎと

そのあとを追って死んでいった。

しかし、落ち武者たちがみたのは、海ではなかったのである。月の光をうけて、
一面にしろじろとゆれている蕎麦畑の蕎麦の花を、海とまちがえたのだった。
わずかに生き残った武者からこのことをきいた村人たちは、あまりの痛ましさに

言葉もなかった。そして、それからは蕎麦づくりをやめたという。
いまも、厚木の市島の部落は、蕎麦はつくらない。

 

神奈川県        日本の伝説(下)  松谷みよ子編著

 ばの登城

 

 

   むかし津和野の城主亀井壱岐守の家中に、

  豊田屁平内という百二十石取りの侍がおりました。

 平内はたいへんそばが好きでした。

   或る年の夏、用事があって共を一人つれて、となりの長門国徳佐へゆきました。

 津和野の町を出はずれると野坂の峠へさしかかりました。この峠は約一理半、

  片側は切り立った絶壁です。ちょうど夏の暑い日中のことで、
 しばらくのぼると一人の樵夫がふんどし一つになって、
 道端の木陰で昼寝をしておりました。

 

  すると、さっとなまぐさい風が吹いて上から大きな蛇がおりてきて、樵夫を頭から呑みはじめました。

 平内も共のものもびっくりしました。あんまり恐ろしいので身体がすくんで樵夫を助けることも逃げることもできません。

  ただ物かげから様子をみているばかりでありました。

 

   そのうちに蛇は樵夫をすっかり呑み込んでしまいました。大きな蛇ではありましたが、なにしろ人を一人のんだので

  腹が はち切れるばかりにふくらみ、いかにも苦しそうでありました。
  しばらくすると蛇はするすると谷底へおりてゆきました。平内もようやく元気を出して、そのあとをつけてゆきました。

 

  蛇は谷底へおりると水のほとりに茂っている青草を喰いはじめました。

 すると腹はだんだん小さくなってもとのようになり、蛇はするすると山の中へ入って見えなくなりました。

 

   平内はこれをみて、蛇の食べた草は腹がいっぱいになったときこれをなおす神薬であろうと思って、

  そこらにある蛇が食べた草をとって、腰の印籠に入れました。それから峠をのぼり、
  徳佐へいって用事をすまして帰りました。

   その年の大晦日になりました。平内の家でも年越しのそばを祝いました。

  平内は大好きなので、歩くこともできないほど食べました。

   一夜あけると元旦です。平内はお正月のお礼にお城へのぼらなければならないので、

  麻上下をつけて御殿へゆきましたが、
   まだ早いので誰もきていません。そこで控えの間で待っていました。

  ところが昨晩のそばが腹いっぱいで苦しくてたまりません。ふと思い出したのは印籠に入れておいた、

  野坂の峠の薬草のことでありました。
   さっそく腰の印籠からつまみ出して一口ほほばりました。

  しばらくたって第二番目に登城した椋五郎左衛門が控えの間にはいって見ると、一人の侍がすわっています。
  あいさつをしましたがいっこう返事がありません
   不思議に思ってよく見ると、九枚笹の定紋の麻の上下をつけて、大小をさしてきちんとすわっているのは、

  人間ではなくてそばでありました。

  大勢集まってよくしらべて見ると、神薬のききめが強くて身体がとけ、そばだけが残ったのでありました。

        島根県口碑伝説

 

 


一茶の悪戯
   信濃の俳人一茶が、行脚の途次、当時江戸で有名な俳人を訪問した時、

  取り次ぎの門人から一茶の衣服の極めて粗末なことを聞いた宗匠は、逢えば物乞いでもされると思ったのであろう。

  取り次ぎをして居留守をつかわせ、とうとう逢わなかった。 

  すると一茶は、遥々土産として携えて来た蕎麦粉を、玄関の式台に敷き、

 

  信濃にも蕎麦と仏と月夜かな

 

    と指で書いて、飄然として立ち去った。

 それを後で見た宗匠は、初めて一茶であったことを知り、非常に逢わずに帰した事を後悔したが及ばなかった。

 

   そこで直ちに書簡をしたためて一茶の故郷に贈って、無礼を謝し、のちに信州に旅した時、柏原の一茶の住居を訪ね、
  往年の無礼を詫びようとしたが、庵にはだれ一人いず、ただ軒下に一つの古い瓢を吊るして、 

  俳諧の殿様これへ御成かな

  と書いてあった。                                                   


昔の話                           
1 しろみねさま 2 恩知りたぬ
3

信濃には神無月が

ない  

4 手伝い猫
5 マムシとミズヘビ

6

 

蛇が大臣を呑みこむ 
7

貧乏者の出世

 

8 9 タコと猫 10 田の久とうわばみ 11 ネズミ経 12 ムカシずきのばさ
13

あぶの夢 

14

朝日長者と

夕日長者

15 鴛鴦(えんのう)伝説 16

松山鏡

17 正宗の名刀 18

山田白瀧

19

やまなしもぎ 

 

20 赤い聞耳ずきん 21 カエルのもちしょい 22 さるかめ合戦 23 赤いも 24

よめの手紙は

手形が一つ

25

キツネの医者さま

通い 

26 せんにんのミカン 27 歌まね失敗 28 千両倉より子は宝 29 猿とふき蛙 30

春の空気

31

仙人の教え 32 とのさまとネギと大根 33 みそ買い橋 34

猫檀家

(ねこだんか)

35

河童の片腕

36 火つけのお使い
37

さる長者

38 西行の歌くらべ 39 西行法師と歌  40  彼岸仏さま  41

 

彼岸の餅 

42 火事のしらせ 
43

 

山犬の話 

44  狸の和尚さん 45 仙人の碁打ち 46 猟師渋右衛門 47 鳥呑み爺 
48 狐の渡し 
49 仁王さまの夜遊び 50 木やりを歌う狐
51 大歳の焚き火

52

 

塞(さえ)の神様の借金  53 大姥様   54   
55    56   57    58    59    60   

キャパの為、リンクはしていません。番号にてお願いします。

1, しろみねさま             

  むかし、じいさまとばあさまが住んでいました。まいにちまいにち山の畑へ仕事をしに行きました。

  ある日、お弁当の代わりに麦粉を持って山へ出掛けて行きました。山の畑の草を抜いたり、くわがらで掘ったりした耕していましたが、お日様が頭のまうえ来ました。

 

   「おじいさんおじいさん、お昼が来たけに弁当にしましょう」

  とばあさまが言うので、じいさまも仕事の手を休めて、二人で畑の傍の木の根に腰掛けました。

 

  麦粉を取り出して、水を中へ入れてねっているうちに二人とも眠くなったので、うとうとと寝てしまいました。

  その時、風がさっと吹いて来ました。麦粉の粉がじゅうぶんに水にぬれていなっかたので白い粉になって飛び散ってしまいました。

  二人ともそれも知らずにぐうぐうと居眠りをしていました。

 

  そこへ山の奥に住んでいるひひ猿が三匹出てきました。

  三匹の猿は「こんな所に白峰様が寝てござる」と言って二人のまわりをぐるぐると廻っていました。

 

  一匹の猿が向こうの山かげへ行ったかと思うと、大勢の仲間の猿を連れて来ました。

  大判や小判をいっぱい二人の前に投げて拝んで行きました。

  二人はやがて目をさましましたが、目の前には大判や小判がたくさん転がっています。これはいったいどうした事だろう、
  不思議なことだと思いましたが、神様がめぐんでくださったのに違いないと思い、大判や小判を拾って持って帰りました。

 

  じいさまとばあさまの家のとなりに、欲の深いじいさまとばあさまが住んでいました。

 

  となりのじい様が達が大判や小判を沢山に拾ってきたのを見て自分達も麦粉を持って山へ行きました。
 山へ行って畑で寝たふりをしていてもなかなか風が吹いて来ません。

東の風よ  ぶいと吹け  西の風よ  ぶいと吹けと大きな声で叫びましたが、風は吹いて来ません。

仕方がないのでおじいさんがおばあさんの頭へ麦粉を振りかけました。

そこで二人は眠ったふりをしてじっとしていました。そこへひひ猿が来て、

 

 「今日も白峰さん寝てござる」と言って仲間の猿を連れてきて大判小判をいっぱい投げつけました。

 

おじいさんとおばあさんは余りのうれしさに、目をちょこちょこあけて見ました。ひひ猿はそれを見つけて、これはにせものだ、早く食い殺せと言っておじいさんおばあさんをひっかきました。二人は命からがら山から下りて逃げて帰りました。


     西讃岐昔話より

 

 

 



2, 恩知りたぬき            
  西春の沖村にある松林寺、ほれ、仏面竹と言う変わった竹のある寺じゃ。

  その寺の本堂のうらの穴に、むかしから、二匹のたぬきが住んどったそうな。

  先々代の寿法和尚のころ、親だぬきは、二匹の子を産んだそうじゃ。

 

  ある天気の良い日、親子でふざけあっておったところ、一匹の子だぬきが穴からついうっかりと飛び出したとたんに、ころころころがってすぐ前の池に落っこちてしもうたと。

 

  池にはまって、ひゅうひゅう泣いている子だぬきを見て、親だぬきはあわてて助け出そうとしたが、どうすることもできず、池のまわりをウロウロするだけじゃったそうな。

 

  ちょうどそこえ寿法和尚がやってきた。

   「おお、おお、可愛そうに、どれどれ」

  と、竹で引き寄せて、子だぬきをすくい上げてやったそうな。

   「さあ、もう大丈夫じゃよ。こんどは気をつけるんだぞ。」

  やさしくさとすように言って、和尚は子だぬきを親だぬきのそばに、そっとおろしてやったそうな。

よろこぶ親だぬきをみて、

   「ヤレ、今日はええきもちじゃ。」

  和尚も、なんとのうここちようなったそうな。

あくる朝のことじゃ。いつものように早うに起きた和尚、戸を開けて驚いた。にわとりが一羽、戸口に置いてあったのじゃ。

 

「ハテ」、首をかしげた和尚、しばらくしてハタと膝を叩いて目を細めた。

   「親だぬきのしわざじゃな。」

  それからも、たびたび戸口に、にわとりが届けられてあったそうな。

  伝え聞いた村人は、「恩知りだぬきじゃ」と感心したそうな。

  このたぬきの親子、今はもちろんおらん。それでも穴だけはのこっておる。

   話手 加藤八重さん     西春日井郡より 

 

3, 信濃には神無月がない 

 

毎年十月になると神様が出雲の国へあつまって国造りの相談をする事になっていた。
  そこで十月はどこの神様もお留守になり、神様がいない月というので神無月というようになった。

  ところがある年のこと、信濃の国の諏訪の龍神様の姿だけがみえん。そのうちにみえるであろうと待っていたが、しまいには待ちくたびれてしまい、
   「信濃の神さまはどうした、病気か、それとも遅刻か、いつまで待たせる気だ」
   と、神々たちが騒ぎだした。すると天井からでかい声がした。
   「わしはここだ」
   神さまたちはどこだどこだと天井をふりあおいで真っ青になった。
 
  天井の梁に樽ほどもある龍がきりきりと巻きつき、真っ赤なへらをぺろぺろさせているではないか。
   「信濃の国は遠いで、こういう姿でやってきたのだ。わしのからだはこの家を七巻き半しても、まだ尾は信濃の尾掛の松にかかっている、
  部屋にはいって座らずとおもったが、神々がたをおどろかしても悪いとおもって天井にはりついとった。
  なんなら今からそこへ降りていこう」

  というなり龍神様はずるずると天井からおりはじめた。神様たちは青くなって、

 

「いやいやそれにはおよばん、なるほど信濃は遠いで大変であろ、
  これからはどうかお国にいてくだされ。
  会議の模様や相談はこちらから出むいてしらせにいく」

   「そうか、それはありがたい」

  と、みるみる黒雲にのって信濃の国の諏訪湖へかえっていった。

  それから、信濃の国には神無月はないという。

(長野県)      日本の伝説(下)より

 

 4,手伝い猫 (村山)

                    

          とんと昔 あったっけど。

   昔、 あるところの旦那衆(だんなしゅう)の家に、 長いこと飼われてきた猫がいたっけど。

 その猫は、 若い頃は、 よくネズミを取ったものであったど。

 けれど、 歳をとるにしたがってネズミを取るのが少なくなり、 その頃ではもう寝ている方が多くなっていたど。

                        

     田植えのいそがしい季節であったど。

 旦那の家では、広い田んぼを持っていたから、 たくさんの人を集めて、 朝早くから夜おそくまで、 大変ないそがしさであったど。

 歳取った猫は、 そんないそがしさなどさっぱり知らないふうで、 日当たりのいい縁側で丸くなって、 半分目をつむって、 ウツラウツラしていたど。

 旦那の家の中もいそがしかったど。   手伝い衆のごちそう作りやら田んぼに負けないくらいいそがしかったど。

そんなふうだから、 家の中を取り仕切っていたごんご様(奥様)が、 つい、 寝ている猫に愚痴をもらしたど。

       「猫の手も借りたいというたとえもあるとおり、 こったえ(こんなに)いそがしい時に寝ていられるおまえは、 なんとも幸せな

   身分だなエ・・・・・」

    ごんご様のそのことばがわかったのか、 猫はヒョイと立ち上がり、どこかへ行ってしまったど

 

    それからまもなくのことであったど。                      

  大勢で田植えをしている旦那様の田んぼへ、 一人の若い娘が

   あらわれて、 だまって田植えをはじめたど。 はじめは誰も気がつかなかったど。

あとで気がついて、 

  「どこの誰だべ。」 などと言い合いながら見ていると、 娘の田植えの速いこと速いこと、 だれもかないそうになかったど。   田植えの衆は、 負けておれないとがんばりだしたど。 とくに若い男衆は、 張り合いがでて、 力いっぱい田植えをしたど。

 娘になんとか追い着いて、追い越したいものだと、 みんながみんな、 がんばったが、 だれもかなうものはなかったど。

 そういうふうにがんばったので、 仕事がぐんぐんはかどって、 その日ではとうてい終りそうもなかった広い田んぼの田植えが、

陽(ひ)が高いうちに終わってしまったど。

 

   旦那はたいへん喜んで、

        「こんなに早く終わったのも、 あの娘コのおかげだ。 礼言って、 振る舞い(ごちそう)せねばなんねェ・・・・・」

  と言って娘を呼ばせたど。

ところが、 娘はどこへ行ったものやら姿が見えなかったど。  そんなに遠くまで行くまいと、 手分けして探させても、 どうしても見つけることができなかったど。ふしぎなこともあるもんだと、 旦那の家にもどってからも、 みんなその話でもちきりだったど。<

       ちょうどその時、 ごんご様が、 廊下に続いている泥の足跡に気づいたど。 

   どうしたことだと思って、 足跡をたよって行くと、 つきあたりに猫が寝ていたど。  猫の足は、 泥だらけだったど。

  そこですべてがわかったど。 役に立たないと言われた猫が、 娘の姿になって田植えの手伝いをしたことがわかったごんご様は、  手をついて、 猫にあやまったど。

     猫は、 泥だらけの手で、 ヒョイとごんご様のひざをたたいて立ち上がり、 歩き出したど。

 そうして、 どこへ行ったものやら、 二度と姿をあらわさなかったど。

               

             ドンビン  サンスケ

                          山形の とんと昔          高揚堂書店                


5, マムシとミズヘビ

 

 ある泉に、マムシが毎日水を飲みにきました。
その泉に、ずっと住んでいるミズヘビは、おもしろくありません。

 

「おい、 おれの泉の水を飲むなよ」

 

とミズヘビは、いつも言うのでした。

 

「君は陸に住むヘビなんだから、 僕の領分(りょうぶん)まで、 侵入(しんにゅう)してくることは、ないだろう。」


 いざこざのけんかは、 しだいにひどくなりました。

 

「いっそのこと、力(ちから)ずくのはたしあいをやって、決めようじゃないか。 勝ったほうが、 

 陸も水も自分のものにするのだ。」
 マムシとミズヘビは、 とうとう、 こう決心して、 はたしあいの日をきめました

すると、それを聞きつけたカエルたちが、マムシのところへやってきて、

 

「マムシさん、しっかりやってください。 ぼくらは、ミズヘビがだいきらいですから、

  戦いの日には、 あなたの味方をしますよ。」 と言いました。
いよいよ、はたしあいが始まって、マムシとミズヘビが、死にものぐるいで戦っています。
カエルたちは、そばで、ただ、大声で、「ガーガー」とわめきたてるだけでした。

 勝ったのは、マムシでした。マムシは、戦いのあと、カエルたちに、

 

「なんだ、きみたちは。  味方するといっていたくせに、戦いのさいちゅう、

 力を貸してくれないで、 歌ばかりうたっていたじゃないか。」
 と怒(おこ)りました。 するとカエルたちは、   

 「そんなこと、わかりきった話でしょう。 僕達が味方をする、と言うのは、

腕力(わんりょく)ではなくて、声だけの味方なのですよ。」
「力を貸してもらいたいときに、 ことばや声だけの応援(おうえん)は、 役にたたない。」 

イソップ童話(上)   偕成社文庫


6, 蛇が大臣を呑みこむ(河北省)

 

  あるところに母親と息子が二人きりで暮していた。 とても貧乏で、

 たきぎ取りをして、なんとか暮らしをたてていた。
 ある日のこと、まだ子どもであった息子は、山へたきぎを取りにいた。
  そして石の下じきになっている蛇を見つけ、ほかの子どもたちに

 傷つけられるといけないと思い、洞穴のなかへ入れてやった。
  子どもはたきぎを取って家にもどると、それを売りにいって米や

 小麦粉を少し買い、二人で食べおわると、残った食べ物をもって山へいき、
  洞穴のなかにいる蛇にあげることにした。

  何年もたって、その蛇も大きくなり、精気をたくわえ、人間の姿に変身できるようになった。
 母親と息子は相変わらず、たきぎ取りをして暮らしをたてていた。
  ある日のこと、息子はたきぎを取りにいく途中で一人の年寄りに出会った。

  その年寄りは息子にこう話かけた。

   「私はあなたの気立てのよさにほれこんだのです。
    ぜひ義兄弟の契りを結んでくれませんか。」
   「私はまだ子どもですし、ずっと年上のあなたと義兄弟になるなんて
   とんでもありません。
  でも、どうしてもと言われれば、わたしには断れません。 

  家にもどって母と相談した上にしたいのですが。」

   とっさのことに、たきぎ取りがそう返事をすると、年寄りは言った。
   「どうぞ、 そうしてください。 私には気がねはいりません。」
  たきぎ取りは家にもどって、母親に、年寄りに出会って義兄弟になろうと言われたことを話した。
   「せっかくの話だから、 その人の望むようにしなさい。
   「四海(このよ)のうちはみな兄弟」
  と言うじゃないの」
   たきぎ取りは取って返し、 義兄弟になると話したので、 年寄りはとても喜んでくれた。
  二人は盛り土をして炉を作り、 かおりのいい草を供えて香をたき、 義兄弟のちぎりを結んだ。

   「わたしたちは他人でありながら兄弟となりました。
  身内同然となったからには、ほんとのことを話しましょう。

   わたしはあなたに助けられた蛇が姿を変えたものです。
  あなたに恩返しがしたくて義兄弟となりました。
   明日からは山へ来ても、

  あなたがたきぎを取る必要はありません。
  ただ籠を背負ってくるだけでいいのです。」

   「籠は背負ってきますが、いったい誰がたきぎを取ってくれるんですか。」
  たきぎ取りがそう聞くと、年寄りは言った。
   「あなたに籠を背負ってくるだけでいいと言うからには、
  もちろんたきぎを取ってあげる者がいるのです。」
   そこで、 たきぎ取りは家へもどった。

  年寄りは手を休めることなく、夜どおしかかってたきぎを刈り取った。
   あくる日になって、たきぎ取りが山へいくと、山のなかにはたくさんの

  たきぎが刈りとってあった。
  たきぎ取りはそれを拾いあつめて籠に入れ、山とのあいだを何度も往復した。

   それを街へ行くと、そのたきぎがまたよく売れた。

  たきぎ取りは大喜びで、おいしい物をたくさん買って帰り、母親に食べさせてあげた。
   「まずい物を食べていても、これを食えなくなったらどうしようって心配するんだよ。

  こんなにおいしい物を食べていたら、どうなるのかしらね。」
  母親がそう言うと、 息子は答えた。
  「これからはおいしい物を食べたって大丈夫なんだ。わたしの義兄弟になった人が、

  朝から晩までたきぎを刈ってくれているのさ。 
  わたしは籠を背負っていって、一日に二度も行き来すれば、これがまたよく売れるんだ。 

   この年になるまで、母さんにはおいしい物をたべさせられなっかたけれど、
  こんどはおいしい物を買ってあげられるよ。」
  「これからは、もうおいしい物は買わないでいいわ。 

  お金があったら取っておいて、雨が降りつづいて困ったりする時に役立てるのよ。」
  母親にそう言われると、息子は「うん」と返事をした。

   それからも何年間か 年寄りは毎日たきぎを刈りとっておき、 

  たきぎ取りは毎日それを背負ってくるだけの日がつづいた。
  あいにくのことに、そのころ王女が病気にかかった。
   「王女の病気は、 りっぱな球を見つけなくては直りません。」
  お付きの医者がそう言うと、皇帝はただちに、いちばんすばらしい球を見つけだした者は

 大官に取り立てる、というお触(ふ)れを出した。
  そのお触れはいたるところの町々に貼りだされた。
   この話を聞きつけたたきぎ取りは さっそく義兄弟をたずねていった。 

  そして王女が病気で球をさがしていることを話すと、年寄りは言った。
   「その話はわたしも聞いています。あなたがわたしのところへ来たのは、

  わたしの球が一つ欲しかったからでしょう。命を助けていただいたわたしですから、
  あなたの役に立つのなら、なんでも引き受けます。

  どうか小刀でわたしの目玉を一つくりぬいてください。これもわたしの恩返しです。」
   たきぎ取りはためらいもなく、進みでてとしよりの目玉を一つくりぬいた。
   球を手に入れたたきぎ取りは、すぐさま県の役所に届けでた。 

    それを見た役人はたいへん喜び、下へもおかぬもてなしぶりで、
  たきぎ取りにごちそうをすすめる一方、人をつかわして皇帝に献上させた。
  皇帝はすぐさま迎えの人をよこし、たきぎ取りを呼びよせた。 

  たきぎ取りが球を出して見せると、宮中ではみんな大喜びで、その球をお付の医者に渡した。
  医者が球を使って治療すると、王女の病気はすっかりよくなった。
   政府では、この上なくめでたいこととして、たきぎ取りを大臣に取り立てた。

  やがて王女は、 その球をながめているうちに、
  こんどは対になるもう一つの球が
  欲しくなった。
   何日もたたないうちに、 王女は またふさぎこむようになった。

  そこで政府の役人がたづねた。

 「ロバの病気がなおったかと思うとウマの病気になったとか申しますが、 

 いったい王女さまどうされたのですか。おうかがいします」
  「こんどは病気ではありません。この球をながめているうちに、 

 対になる球が欲しくてたまらなくなったのです。」
  王女の返事を聞いた政府の役人は、また大臣を呼んで言った。
  「もう一つの球を手に入れてくれたら、 あなたを王女と結婚させてやろう。」
  たきぎ取りは家にもどって、このことを母親に話した。口にこそ出さなかったが、

 義兄弟のもう一つの球をくりぬきたいと思っていたのだ。
 それを察した母親は、腹を立てて大声でどなりつけた。
  「なんという薄情者め、おまえは欲に目のくらんだ畜生だ。 

  大臣にまでなれたというのに、その上、王女の婿になりたいなんて。 

 お前の義兄弟がもう一つの目玉をくりぬかせてくれるとでも思っているのかい」
  たきぎ取りは母親の言うことを聞くどころか、ものすごい剣幕で食ってかかった。

 母親は腹立ちのあまり、何度も赤い血を吐いて死んでしまった。
   たきぎ取りは、すぐに母親を埋めてしまうと、義兄弟のところへたずねていった。
   その義兄弟はといえば、この前に目玉をくりぬいたあとがまだ良くならず、 

   洞穴の奥で痛さ のあまりうめき声をあげていた。
 それに洞穴の出口から抜けでることも、人間の姿に変身することもできなくなっていた。
  たきぎ取りが自分の来たわけを話すと、義兄弟は大声で言った。
   「この上、わたしのもう一つの目玉をくりぬきたいのかい。 さあ、くりぬくがいい。」
 とんでもないことに、相手が痛かろうが死んでしまおうがおかまいなしで、 

  たきぎ取りはまた小刀で目玉をくりぬいてしまった。
   まさしく欲に目のくらんだ奴と思い知った義兄弟は、 

 大きな口をあけてぱっくりとたきぎ取りを呑みこんでしまった。

  こんなことがあってから、のちの人たちは、 

 「欲に目がくらんだ奴がいると、蛇が大臣をのみこむこともある」と言うようになった。

中国民話集    飯倉照平編訳     岩波文庫 赤ー39-1

 


  7, 貧乏者の出世

 

  昔、富山の神通川の川端の堤(どて)に、らちもない小屋をかけて、

 人の貧乏な男が住んでいた。
   ちょうどその頃、 加賀様が江戸からのお帰りで

 そこをお通りになったが、神通川へさしかかると、 

 その堤防の上へ駕籠を止めてしばらくの間休まれた。
 加賀様は、駕籠から出てあたりを眺めると、折しも春先三月のことで、中々景色がよい。
   ふと見ると、向こうの方に百姓家が一軒あって、その裏ッ方に梅の花が咲いているが、

 それがまた一段と見事な眺めである。
  加賀様は、元々俳句(はっく)や歌を好きだったから、この眺めをみると、

 一句言ってみたくなって、早速家来の衆を呼んで、 
   「どうだ、ええ景色じゃァないか。俺ン今上の句ゥ言うから、
誰か下の句ゥつけてみろ。

 誰ンつけてもええ。うまい者には褒美をやる」 と言って、まず、

  「神通川の川端に・・・・・・・・」

 と上の句を詠んだ

  ところが家来共は、 うっかり下の句をつけても、
  殿様がうまいって言うだか、まずいって言うだか知れぬから、
  やたらには言(や)ァれぬと思って、誰一人として、
  直きには下の句をつけン得ぬ。

  ところが、堤に小屋がけをしている貧乏男が、先から、 

   加賀様の休んでいる横へ来て、一部始終を聞いていたが、今殿様が上の句を言っても、

  誰一人として下の句をつける者のないのを見て、近くにいた家来の者に、

  御家来でない者でも、誰ン下の句をつけてもようごいすか、と聞いてみた。
   するとその家来が、ああ 誰ンつけてもええ、と答えた。 
  元々、この貧乏男は、この土地の生まれだから、この辺の様子はよく知っている。

  それで、今 加賀様が眼を止めた百姓家は、彌助という男の家であったから、早速、

    「彌助が裏に梅の花」

   と言って下の句をつけて差し上げた

     ところが、運の良(え)ェ事には、加賀様は幼な名を彌助と言い、

  またその御紋は梅鉢だったから、この下の句を聞くとすっかりお気に入りで、
   早く、その者をここィ連れて来(こ)ォ、というわけで、

  貧乏男はすぐに加賀様の御前へ呼び出された。そしてその場で五百石に取り立てられ 

  良(え)ェ着物や大小を貰って、そのまま殿様のお供をして、加賀へ連れて行かれた。
  そして、いつも加賀様のお側へつき、そのお相手をしるような良ェ身分となった。

(山梨県・続甲斐昔話集・土橋里木)       

昔話十二か月 一月の巻き  松谷みよ子編    講談社 


8,初夢

 

あったてんがない。
  村に正直に働いている男があって、正月二日の初夢に、よい夢を見たてや。
 夢に神様が出らして、
  「峠をこえた、そんま、下の村に、だんなさまうちがある。 

    そこのつぼどこの梅の木の下に、かながめがふさって(うめて) 
  あるすけ、それを、お前にさずけてやろう」といわした夢を見た。
   雪がけぇ(消え)春になって、男は、峠をこえて、そのだんなさまのうちへ、

  たずねていったてんがない。
  「おいら、 正月二日の初夢に、 神様から、 お前さんのつぼどこにある、

    梅の木の下のかながめをさずけてもろた。 どうか、掘らしてもらいたい。
    もしか、かながめが出てこいば、お前さんと二つわけにしょう」 って頼んだ。
   ほうして男はつかれていたんだんが、その晩は、ぐっすりねってしもたてんがない。

  ほうしたどこてんが、 だんなさまが、
  「そのかながめ、おいらばっか(だけ)で、掘り出してやろうい」

  と思って、 夜なかに、 こっそり掘って見た。

  ほうしると、カチンと音がして、何やら、
   真っ黒いカラスが一羽出てきて、パーと山の方へたっていってしもうたてんがない。
  また、掘って見たが、かながめはもうなかった。

  「まことに申しわけのねぇことをした。おいらばっかで、夜なかに、こっそり掘って見たれば、

   かながめは、カラスになって、山の方へたっていってしもうた」と、男にあやまらしたてや。

  男はしょうがねぇ、うちへかえろうと、峠まできた。 

   ほうしると、黒いころもを着たぼんさまが、峠の道で休んでいらした。
   男も、いっしょに休んで、いろいろと話したてんが。
  「お前は、 どごへいぐがだい」
  「おいら、 正月二日の初夢のかながめをさがしに、 いってきただが」
   なんて話をしているうちに、そのぼんさまと道づれになって、手前の村まできたって。
  もうひぐれだったんだんが、ぼんさまが、「こんやひとばん、おいらを、とめてもらいたい」

  っていうんだんが、
  「なんじょうも、おいらどこへ、とまってくんなせ」って、喜んでとめてやった。

  つぎの朝げになって、奥のざしきへねていたぼんさまが、いいて(いっこうに)起きてこねぇてがんだ。
  男が、ふしんに思って、ざしきへいって見たれば、ふとんのなかに、

  こっていの(大きな)かながめは、あったてんがない。
  いっちごさっかぇ

(新潟県・雪国の炉ばた語り  水沢謙一)  昔話十二か月 一月の巻き 松谷みよ子編   講談社 


 9,タコと猫

 

  あるとき、タコが陸(おか)の上さ上がって、お昼寝してたんだって。
   そこさ、大きな野良猫(のらねこ)がやってきて、タコの足ば、

  片っぱしから食っちまったんだと。
   タコのほうはねぼすけで、ぐうすら寝とったもので、

   わが足が食われたの  も知らないでいたんだと。 

  七本まで食っちまった猫が、
  腹(はら)いっぺになって前足で顔洗っているころになって、タコが目えさましたんだって。 
  そうしたらこのありさまだ。
   タコはくやしくてくやしくて、 なんとかして猫ば寄せつけて、 

  残った一本の足で、ぎゅーと締(しめ)つけてやるべえと思ってね、

  「猫さん猫さん、一本ばかり残さねえで、みんな食ってけらえ」
   と、やさしいやさしい声でいったんだって。
  すると猫は、 後足で立ち上がって、前足をつんつくさせて、

  よせやよさねえか、その手はくわぬ
  むかしその手で、二度だまされた

   ハア、ニャンコは商売  商売
  と歌いながら、ふくれたおなかをさすりさすり帰っていったって。

   これでおしまい  チャンチャン

日本の昔ばなし1    松谷みよ子          講談社文庫 


10,田の久とうわばみ

 

  昔々のことだすらい。
   あれは田の久という役者があって、村を回って芝居をしおった。

    何日か、やりおったら、讃岐(さぬき)の里から、
   「お母(かあ)が病気じゃけん、はよ帰れ」
  いう、知らせが届いた。
  さあ、帰らないけんし、昔のことですらい。宇和島から歩いて、

  讃岐の 村に帰ろうと思えば、法華津峠(ほけつとうげ)を越さにゃならなかった。
  その法華津峠には、大きな
うわばみがおって、道行く人を食べたんだすと。
   田の久が母親を案じて、走るようにして、峠の麗(ふもと)まで辿(たど)りつくと、

  もう日が暮れかかっとった。
  そばの百姓が、
   「今からあんた この峠を越えよったら、頂上(ちょうじょう)は夜中になるし、

  うわばみが出て、必ずとって食われるけん、ここで泊まっていかんか」
  いうてくれたけれども、
   「いや、わしは、どうでも急ぐから、夜中になってもしょない。越えないけん」
  いうて、トコトコ歩いて行くと、
   「こら、 待て」
  いう声がした。 田の久 驚いてそっちを見たら、真っ白い着物を着た、

  おじいさんが立っとる。
   「お前は誰じゃ」
  いうから、
   「はい、田の久といいますらい」
  というたら、
   「何、狸(たぬき)。 狸を食うたら、うわばみの恥になるけ、食べんが、 

  それよりお前、化(ば)けてみよ。昔から、狸の七化けいうことがあるぞ。やれ」
  いうて、いう。
   「まあ、化けるのはわしのお箱じゃけん、化けてみしょう」
  いうて、肝をすえて、
   「そんなら、じいさん、向こうを向いておれ」
   後ろ向きにさせといて、芝居道具を出した。かつらをかついで、さっと着物を着替えて、

  刀さして、立派な侍に化けた。

   「じいよ、こっち向け」

  「ほう、大したもんに化けたのう。もういっぺん化けてみんか」

  いうので、今のをはずして、きれいなかつらをかついで、 
    お姫さんになった。
  うわばみは喜んで、
   「話には聞いとったが、実にうまいもんじゃ。 気に入った。
   一つわしの兄弟分になってくれんか」

  言い出した。
   田の久が、
    「兄弟分いうても、 お前は誰じゃ」
  と聞くと、
   「わしはこの法華津峠のうわばみじゃが、年寄りの姿よりほかには化けられん」
   いうて、話始めたそうですらい。
  ほれから、うわばみのじいさんは、心安うに、 
   「ところで、おれは嫌いなものといえば、煙草(たばこ)のやにじゃ。これが付いたら、

  付いたところから体が腐ってしまう。 そいて、お前の嫌いな物は何じゃ」
  と、聞いたものだすらい。ほいで、田の久は、
   「わしは金が一番怖い。人間は金のために、狸を捕えては、皮をはいで金にする。

  金のうちでも、小判ときたら、見ただけでも、身の毛がよだつ」
  と、答えたんですと。
   ほして、しばらくしゃべったが、うわばみは、
   「ええか、わしの秘密は、誰にもいうなよ」
   いうて、どこやら姿を隠してしもうた。
  田の久は、峠を降りて、
   「うわばみのやつは、煙草のやにが一番嫌いじゃいうけん、あんたらは何じゃわい。

  あれを退治しょうと思や、やにをかけてやったらええわい」
  いうて聞かせると、村の人らは、。

    「それはええことを聞いたもんじゃ」

  と、喜んで、村中の煙草のやにを集めて、大きな樽(たる)に一ぱいにして待っちょった。

  ほして、うわばみの巣らしい洞穴(ほらあな)に持って上がって、

  うつしこんだそうですらい。

 讃岐にとんで帰った田の久が、母親に会うてみると、大分、具合がええらしい。
  夜中にぐっすり眠っちょると、誰ぞ表の方で、ドンドンと戸を叩く音がするんだすらい。
   「おい、 狸はおらんか」
  と、どなっとる。
   「誰ですか」
  いったら、
   「わしは法華津のうわばみじゃ。よくもお前はわしの秘密をしゃべったな。

    お陰(かげ)でわしは骨まで腐(くさ)りよる。
    もう堪(た)えんぞ。思いしらせてやる」
  いうて、うわばみは小判を、ジャンラ、ジャンラ投げつけて、
   「これでも死なんか、これでも死なんか」
  いうて、去(さ)によったそうですらい。

  愛媛県              笑いころげた昔   稲田和子           講談社 

 


 

11,ネズミ経(きょう)

 とんと昔があったてや。

    ある山の村に、ばさ ひとら(ひとり)のうちがあった。
   あるどき、旅(たび)の若いぼんさまがきて、泊(と)めてもろたてや。

    ほうしたれば、 ばさが、
    「お前さまは、ぼんさまで、ちょうどよかった。おらとこのじさ が死んで、

     七日目だすけ、こんにゃ(や)、お経を読んでくんなせ。」
   と いうろ(言うの)も、ほんとうは、にせぼんさまで、お経を知らねえがらと。 

   にせぼんさまは、仏(ほとけ)さまの前に ねまっ(すわっ)て、
    「はて、お経なんていうのも、なにいうていいやら。」
   と、思案(しあん) していたと。

    ほうしたれば、ネズミが、チョロチョロと、穴から出てきたてや。

   にせぼんさまは、声(こえ)をはりあげて
    「オンチョロチョロ。」
   と、お経のふしつけて詠(よ)んだてや。ほうしたれば、ネズミはたまげて、 

   チョコンと足をとめて、クルンと、あとをふりかえって見たと。
   ほうしるんだんが、また、声をはりあげて、
     「あとをふりかえる。」
   と、お経にして詠んだてや。ネズミはたまげて、そのまま、 

  穴の中へもぐこんでしもたてや。 また、
   
 「穴もぐり。」
   と、お経にして詠んだてや。 こんだ、つづけて、

   「オンチョロチョロ、 あとふりかえる、穴もぐり。

  と、お経を詠んだてや。

   ばさは、うしろで、

   「なんまんだぶ、 なんまんだぶ。」

   と、ありがたがって、手をあわして、

  まいって(おがんで)いたてや。

  ほうして、次(つぎ)の朝、にせぼんさまは、帰(かえ)っていったてや。

  ばさは、そのお経をありがたがって、毎晩(まいばん)、ねどこ(ふとん)の中で詠んでいたてや。

   ある晩(ばん)、ばさ のうちに、どろぼうがきて、

    「はて、ここんしょう(ここの家の人たちは)は寝たかな。」

  と思うて、チョロチョロ、のぞいていたてや。そのどき、 ばさが、
     「オンチョロチョロ。」
   と、お経をよんだてや。 どろぼうは、

    「おや、おれが、チョロチョロ、のぞいていることを 知っているげだな。 

     まだ、だれか起きていどこか、あこら(あそこ)へ隠(か)れていよう。」
   と、後をふりかえったてや。 ほうしたれば、ばさが、

    「あとをふりかえる。」

   と、お経をよんだてや。 ほうして、
    「これは、あのばさ、おれのしたことを知っている。」
   と、コソコソと、カヤにおの穴の中に、隠れてたてや。ほうしたれば、

    「穴もぐり。」   と、でっこい声で、お経を詠んだてや。 

   どろぼうは、「いや、 このばさ、 おれがあとをふりかえったのも、
         穴もぐりしたのも、 ンな(みんな)、 知っているな。
        これや、 とても、 どろぼうに はいらんねえ。」

   と、ゴンゴンと、逃(に)げていってしもうたてや。

     いちごさけドッペン。

新潟県の昔話集 原話 小千谷市 川上セイ S40     水沢謙一著        野島出版


 12,ムカシずきのばさ

    あったてんがの。
あるどこ(とこ)に、ムカシ(むかしばなし)ずきのばさがあったっの。 
 毎晩(まいばん)、 毎晩、 ムカシ聞(き)いても、 

    さんざ(じゅうぶん)にならねっての。
 「だれか、 おれに、 一晩中(ひとばんじゅう)ムカシを語(かた)

     聞かせるもんがあれば、 おれの娘(むすめ)の子を、

    嫁(よめ)にくれようがな。」
  と 言うたって。
  ほうしたれば、 それを聞いたザトンボ(ざとう)が、 ばさのところへきて、 言うたって。
  「ほうしゃ、 おれが、 一晩中、 ムカシを語るすけ、 その娘の子を、 おれにくれ。」
  「そげんことを言うたっても、 ムカシ語ってみんば、 わからんこて。」
  「ほうしゃ、 これから、 一晩中、 おれが、 ムカシを語ろうい。」
  と 言うて、 ムカシを語ったっての。

    「あるどき、 お殿さまが、 京へおのぼりになったって。
 おのぼりがあれば、おくだりがある。 こんだ、おくだりになったって。 

   おくだりがあれば、おのぼりがある。
   ほうして、また、おのぼりになったって。 

   こんだ、また、おくだりになった。ほうして、おのぼりになった。
 また、おくだりになった。 ほうして、おのぼりになった。」
  そう言うて、おのぼりになった、おくだりになったと、おんなじことばっか、

  言うてるうちに、夜もふけてしもた。
  ばさも 聞くのがさんざになって、
    「へえ、やめてくれ。」
  と 言うたって。
   「ほうせば、約束(やくそく)どうり、娘をもろうていがんばならん。」
  と言うことになったって。
   ザトンボは、目がめえねえんだが(みえないので)、俵(たわら)の中に、

     娘を入れてしょって(せおって)いった。
   ほうして、酒屋(さかや)の前を通ったれば、酒のにおいが、プンとした。
  酒の好(す)きなザトンボは、たまらんで、俵を下(お)ろして、酒屋へ飛(と)び込(こ)んで、

    酒を飲(の)んでいたって。
       そのこま(あいだ)に、酒屋の若い衆たちが、俵にさわってみて、
    「なに、まあ、こんげな中に入れて持ってきたがら。」
  とおもうて俵を開けて見たれば娘が入っていたって。
    「おや、お前、まあ、どうして、こんげなどこに入っているがら。」
  と聞くんだんが、訳(わけ)を話した。

        「そんげん(そう)だったら、 気のどくだすけ、
      おらが、酒の粕(かす)をお前の代(か)わりに、俵の中に入れておこう。
        お前、はや、逃(に)げていけや。」

     と言うて、逃がしてくれたって。

   ザトンボは酒を飲んで、また、俵をぶって(せおって)いったところが、 

      山道(やまみち)へかかると、背中(せなか)のうしろが、
  なんだか、ぬれっぽい気がしるんだが、 
    「あねさ、 しょんべんが出るけ。」
   と、なんべんも聞くども、音ださねて。ほうして、山んなかで、俵を開けたれば、

    娘は、グシャグシャした酒の粕になっていたって。
   ザトンボは、
    「あねさが、かすになった、かすになった。」
  と言うて、泣(な)いていたって。
   いちごブランとさがった。

     新潟県の昔話集  原話、三条市 須藤まさえ 
S42    水沢謙一著         野島出版

現在は使用してはならない言葉もありますが、人を指す言葉ではなく、心の目が、見えない事を指すのだと思っています。

 


 13,あぶの夢

とんと昔あったでん。

 ほかほかと南の風が吹(ふ)くあたたかい日に、村の若い者が二人して、   春山(はるやま)へ 

    たきものきりに行ったと。
 ほうして昼飯(ひるめし)を食ったあとで、ひとりの男は山に

  消え残(のこ)った雪をいじって遊(あそ)んでいたが、もうひとりの男は疲(つか)れが
 出たのか、あおのけになってゴウゴウといびきをかきながら眠(ねむ)ってしまったと。 

 はあ、もう起(お)きるかと思って起きている男がのぞいて見たらば、あぶが一匹、

 寝ている男の鼻の穴から飛び立って行ったてや。
  ほうしてひとしきりどっかへ行って、またもどって来て鼻の穴の中へもざもざともぐりこんだと。
 こりゃ、 面白(おもしろ)いこともあるもんだと見ていると、男は目をさました。

    「いや、おら、面白い夢(ゆめ)を見たや。

  この峠(とうげ)の白いつばきの花を折(お)ろうとしたらば、
    その下に かながめ が埋(う)まっている夢だ。
   こんどお前と二人で白いつばきを探(さが)して、その かながめ を掘(ほ)ろうや。」

   そう言って聞かせたと。

    ところがもう一人の眠らん男が、こっそりその白いつばきを捜し当ててその下を掘ったらば、 

   ほんとうにかながめ が三つ見つかったてや。
    やれ、よかったと喜んで その男は眠った男にしゃべったと。 眠った男は、
    「どんげな(どんな)かながめ だか、ひとつ見せてくれ」
   と言うて見に行ったが、かめの底(そこ)(とう)のうちと書いてあった。
    かめを三つ掘った男は 字を知らんのだ。
   字の読(よ)める男が、 さっそく白いつばきの下を掘ったらば、 かながめ が七つ出てきた。
  男はたいそうな金持ちになったから一生(いっしょう)安楽(あんらく)に暮(く)らしたと。

    これで  つづきつづき  まめそうろう。(これで、私の話はおしまい。 おつぎはどなた)

 

日本民話百選   新潟県岩船郡         稲田浩二、和子、編著     三省堂 


14,朝日長者と夕日長者

 

   むかし、あるところにな、朝日長者という大きな長者があったそうだわい。
きろ松という男の子があって、ええ暮らしをしとられたが、 

お母さんは、きろ松を残して若死にをしなはった。
 そこで後妻(ごさい)さんをもらったが、また男の子ができたと。

 こんどのお母さんは、自分の産んだ子ばかりがかわいいので、
  「困(こま)ったことだ。きろ松があるばかりに、わしのほん(実の)の子に、

        村一番のこの長者の跡(あと)を継(つ)がせることができんが」 と、
そのことばかりくよくよと考えているうちに、
とうとう寝ついてしまいはった。
  いくらお医者にかけても治(なお)らんので、 ある時、 評判(ひょうばん)の高い

  占い師(うらないし)にみてもろうた。 すると、
  「これは きろ松あっての病(きろ松がいるための、やまい)だから、 

       きろ松の生き肝(いききも)を飲ませんことには治(なお)らん」
  と言われた。

  旦那(だんな)さんは、しんそこ困ってしもうた。  
    「きろ松を亡(な)い者にするのもかわいそうなし、そうかといって、このままこうしておって、

  また、 家内(かない)が死のうもんなら、母のない子が二人できることになる。
 また 三度目の家内をもらうということもいけんが、いっそ きろ松に死んでもらおうかい」。

    迷いに迷ったあげく、そういう気になったもんだから、 
            旦那さんは手代(てだい)や男衆(おとこしゅう)
     をこっそり呼び集めて 頼んだそうな

    「なんと、家内はきろ松の生き肝をのまにゃ、 治らんそうなけ(そうだから)、 芝居(しばい)

  見に行くとか、何とか言ってきろ松を連れ出して、 
   生き肝を取って来てくだされ。」
  旦那さんの言いつけとあればどうしようもない。 重箱(じゅうばこ)

 に芝居見物(しばいけんぶつ)のごちそうをたんと詰(つ)めてきろ松をさそった。

   「きろ松つあん、 今日(きょう)はみんな芝居見に行くで(いくから)、お前も行こうや」
    「お前がたがみんな行くなら、おれもついて行こうかい。」
  そこできろ松を駕籠(かご)へ乗せて家を出たそうな。 

  男衆はまるでお弔(とむら)いのような顔をして 山の奥(おく)まで上(あ)がって行った。
   ここらでよかろうと駕籠をおろすと、手代がやっと話し始めた。
    「きろ松つあん、芝居見に行くなんて言ってお前をだましたけれども、

 実(じつ)のところを言えば、 
  お母さんがお前の生き肝を飲まにゃあ 治(な)んなはらんちゅうことで(治おらないということで)
 お前をかたいで出たのだ。 おれたちもさながら(まったくのところ)お前を手にかけることは

 大儀(たいぎ)なが、お前はずんと歩いて逃げてくだはらんか。
 おれたちゃ 大勢(おおぜい)おることだけえ、
 猿(さる)ないと(なりと)(きつね)ないと、何(なん)ないと けものをつかまえて、

 生き肝取って去(い)ぬるけ。」
  「そうだろうの。家の中に病人がある時に 芝居見なぞ、どうもおかしいと思うとったわい。

 お前らがそう言ってくれるなら、歩いてみようかい。」

 そこで別れて、きろ松は、山を反対側(はんたいがわ)へずんずん下(くだ)って行きなはった。

 あとの衆は、 「ほいほいほいほいほい」 
  大きな声をして山を歩いとったら
 猿が出て来たので、 うまい具合(ぐあい)に生けどりにして、 生き肝を取ってもどった。
    「やれやれ、いまやっときろ松つあんの生き肝を取ってきた」
 手代が何くわぬ顔で旦那さんをだますと、

「きろ松を連れ出すと、はやちょっと、
  あれの加減(かげん)が良うなったわい」
  と 旦那が言われた。 

 さてそれから、取って来た猿の生き肝でも 
 飲ませたことだろうぞい(ことだろうよ)

きろ松の方は、どんどん歩いておったら、にわかに、ずっぷりと日が暮(く)れてしもうた。

昼から夕方までには まだ半分ほどたっただけだと思うのに、

前にも進めず、後帰り(あとがえり)もできないようになったと。
 
きろ松のすぐそばに新しい墓があるだけが、 夜目(よめ)にもはっきりと見えたそうな。 

 きろ松は、
「暮れて動かれんけ、この仏さん、一宿(いっしゅく)宿(やど)を貸(か)してくだされ、よう」
と頼んで、きょうといきょうとい(こわいこわい)と思いながらも、墓の門(かど)へ寝ておった。

 寝ておったところが、やにわに(にわかに)墓がぐらぐら動きだした。
 「やあれ、情(なさ)けなや。今日までの寿命(じゅみょう)であったか。なら(では)

 いっそあれたちの手にかかって死んでしまった方がよかったか」 と 思うておると、
とうとう墓石が倒(たお)れた。 そうして白い着物(きもの)をきた者がぼろんと出て来た。
    「きろ松か、 きろ松か」
 と 言うそうな。 「はい」と答えると、
 「わしはお前の母だわいや。 わしが死んだらこそなあ、

 幼(おさな)いお前が難儀(なんぎ)をするのだが、 紅(くれない)という扇(おおぎ)

やるけえな、ひもじければ天に向かって、
 ふちかた(たべもの)を授(さず)けてくだされと言うて招(まね)くがええ。 

 寒(さむ)けりゃあ、衣服(いふく)を授けてくだされえ言うてこの扇で招けば

 着るもんがおりてくる」
と 言われた。
  「ああ、 母に会えたか」と 思うまに、白い着物がぽっかり消えて、

 あたりは霧(きり)がはれるように晴れやかになり、ちょうど先ほどと同じお天とうさまの高さで、
 暮れるにはまだ間(ま)があったそうな。

  きろ松は扇を大事(だいじ)にしまって歩きつづけていると、

 初めて見る村里(むらざと)へ出た。
  ちょうど わが家のような大きな長者の邸(やしき)の前を通りかかったそうな。 

「いっそ、ここで身(み)を落として使ってもらおうかい」
 という気になって、頭を下げて頼(たの)んでみた。

 「駄飼(だか)い子(牧童ぼくどうにないと置いてくださらんか。
牛でも馬でもお世話させてもらいますけえ」

 「ま、ここへはいらしてみい」

と手代が言うて 旦那に合わせてくれた。
  「ていねいげなええ子だ。 置いたれや」

旦那さんの言葉で、とうとうそのうちで働くことになった。 

上の人の言うことを聞いて、裏表(うろもて)なしによう働いたが、
  「お前は何ちゅう(どういう)名前だ」
と 聞かれると、
  「おれのような者に名前はありはせんがな。 世話(せわ)をやいて(よく働いて)

 駄飼いするけえだかや、だかやって呼(よ)んでくだされ」
と笑(わら)ってすませたと。 

  長者の家で、だかや、だかやと重宝(ちょうほう)がられて暮(く)らしているうちに、

 背丈(せたけ)も伸(の)びて、一人前の若い衆になったそうな。
  ある日 長者の近くの町で遷宮(せんぐう)があった。 遷宮といえば、いい本殿(ほんでん)

 ができた時にお宮さんの本体(ほんたい)をお入れする、
   つまり宮うつしのお祭りのことだが、
  「またとない遷宮だ。みんな参(まい)ろうや」
  と言うて、旦那さんをはじめ、男衆(おとこしゅう)も女子(おなご)衆も、家中(いえじゅう)の人が 

みんなきれいにめかして参(まい)られた。 
  ただ、 お嬢(じょう)さんがひとり、
   「若い者は、またということもあるから」
  と言われて留守番(るすばん)をしなはった。 だかも、「おれのような者が参ったって、 

しょうがない」と思って残(のこ)っておったが、 

ふいと、「ほんに、遷宮だ、遷宮だ言うて、みんながあれほど喜んで出て行ったが、 

おれも参ってみようかい」という気になったので、湯にはいってふだんの垢(あか)をすり落とすと、 

月代(さかやき)も青々と剃(そ)りあげて門を出た。  

そして紅(くれない)の扇(おおぎ)を取り出し、空を仰(あお)いで、
  「授けてくだされ、衣服(いふく)、大小(だいしょう)、龍(りゅう)の駒(こま)
と言いながら、扇を招(まね)いた。すると、まだ見たこともない立派(りっぱ)な馬が、

 雲を蹴(け)っておりてきた。
 背中(せなか)には衣服や大小の刀を負(お)うている。
だかは、門の内で、みごとに身ごしらいをすると大小の刀を差(さ)して、 

ひらっと馬にとび乗(の)った。
 お嬢さんは、「はて、馬の音がしたが、まあ誰(だれ)だろう。家にはだれもおらんはずだが」

 と障子(しょうじ)を開(あ)けて、 
きろ松の出て行く姿をちょいと見なはった。

 龍の駒は、街道(かいどう)行くにも、 ちゃんちゃんと立派に歩く。
道を行く人たちが、「あれ、あれ。 どこの若殿(わかとの)さんだろうか。
       いかさま(ほんとうに)立派なもんだ。 あれが龍の駒ちゅうもんだろうか」

 と見とれている中を、龍の駒は階段(きざはし)でも しゃんしゃんと上がって行った。 

きろ松は脇見(わきみ)もしないでお宮を拝(おが)むと、まっすぐ家に帰って、
いつものだかに もどっておった。 お祭りからもどって来る人たちは、
    「まあ、今日(きょう)は珍(めずら)しいもんを見た」
    「だかよ、お前も参(まい)りゃあ良かったのに」
    「ふん、どんなものを見ただ」
    「どこの若殿さんか知らんけど、まことに立派なお人がお参りしなはった」
    「男でもほれつくような男ぶりだ。乗っとる馬の見事(みごと)なこと、 

あれが龍の駒ちゅうもんだろう。」
だかは「ええもん(よいもん)見なはったのう」と知らん顔で合槌(あいずち)を打(う)ったが、

 もどる者がもどるごとに同じことを言うて聞かせた。
 さて、家の奥の方では、お嬢さんが具合(ぐあい)が悪うなって寝込(ねこ)んでしまわれた。 

何日たっても、枕(まくら)から頭が上がらんと。
  医者(いしゃ)にみせても さっぱりききめがないので、 

        易者(えきしゃ)を呼(よ)んでみてもろうたら、
  「これは、にわの者(土間(どま)で働(はたら)く者)が目について、

   そのための気病(きや)みだから、にわにおる者をみな座敷(ざしき)へ上げて、 
   お嬢さんの好(す)いとる人を見つけるのが一番じゃ。」
  と 言うのだ。 さあ、大きな長者のことだから大勢(おおぜい)の男衆を座敷に寄(よ)せた

「だかや、お前も上がれや」

   「おれのような者が上がってもいけんけえ(いけないから)
 と、だかだけが、ぼちぼち仕事をしとった。
  それから親御(おやご)さんは、 娘を起こして
 銚子(ちょうし)と盃(さかずき)とを持たせると、 治(なお)ってもらいたい一心(いっしん)で、
  「お嬢や、 お前が盃を差し出した者をうちの聟(むこ)にしよう」

 と 言わはった。 

  お嬢さんはうなずいて床(とこ)を出て行くと、男衆を集めた部屋(へや)のふすまをさらりと

 開けたが、「まんだ(まだ)(そろ)わんぞ」
 と一言(ひとこと)いっただけで ピチャンとしめて逃(に)げてしまった。

    まんだ揃わんとと 言われた」
    「ほんならだかが残(のこ)っとる。あれも男のうちだわい」
 というわけで、だかを 加(くわ)えてから も一度 お嬢さんを呼(よ)びに行ったら、 

 今度(こんど)はまっすぐ進み出て、だかに 盃を差し出しなはった。
    「なら(では)、 これが聟(むこ)だ」

  旦那さんが大きな声で言われると、手代などは、「だかのような者がこの家の聟だなんて」

 と ひそひそ笑う始末(しまつ)だった。
   「だかが聟と決(き)まったからには、 聟入りごしらえさせんならんのう」
 旦那さんの言葉(ことば)に、だかは きっぱりこう言った。
   「私もこちらの聟へ(に)なるとなりゃあ、聟入りごしらえはいたします」
   「お前が持っとるほどのこしらえで、この家の聟にはなれんわい。」
 だかは、それには答えずに、門の外へ走り出ると、空を仰(あお)いで、
    「衣服、大小、龍の駒、聟入りごしらえ授けてくだされ」
 と言いながら、紅の扇で招いたから、荷物(にもつ)を負うた馬があとからあとから、

 雲を蹴ってはおりてきたそうだわい。
 だかは、ええこしらえをして、大小を差して龍の駒へ乗り、荷物をつけた馬を

 たくさん従(したが)えて聟入りしなはった。

 馬に乗ってはいってくる人を見れば、なんとまあ、遷宮(せんぐう)の日の若殿さんではないか。 家中の者は、おどろいて、
    「これが だか だろうか」と騒(さわ)ぎたてた。 旦那さんは、
    「ほう、こなたはどんな人の子だろうか。いかさま通力(つうりき)のかなうお人だ、 

  ただの人ではあるまい。 
  うちのお嬢が目にかけたはずだ」
 と感(かん)じ入った。 だかが言うことには、
  「いや、 私は朝日長者の長男にうまれた きろ松という者、

   母が死んで難儀(なんぎ)な目に会(あ)い、
   駄飼いの姿でいままで 世に隠(かく)れておった者だ。」
 そうであったかと長者は喜んで、 扇を持って、

「夕日長者が、朝日長者を聟にとる」
 とうたいながら、舞(まい)をまわれたそうな。

    ただ うれしゅうてうれしゅうて、

   いつまでも舞われたそうな。

   それ、 こっぽり。

原話 伯耆大山北麗 谷口はつ嫗      日本昔話百選      稲田浩二・和子 編著  三省堂 


15,鴛鴦伝説(えんのう でんせつ)

 

 むかし、奥山(おくやま)を猟(かり)の場としていた

猟師(りょうし)がいた。
 ある時、この猟師は 一日中(いちにちじゅう)、 

獲物(えもの)を求(もと)めて山を歩き回ったが、

 ウサギ一匹射(い)とめることもできず、がっかりして家路(いえじ)についた。
途中(とちゅう)、真菰ヶ池(まこもがいけ)という沼(ぬま)の岸(きし)に来て、ふと見ると、 

ひとつがいの鴛鴦がのんびりと 静かに泳(およ)いでいた。

猟師は「しめた」と、 
   弓(ゆみ)をひきしぼり矢を放(はな)ったところ、
ねらい違(ちが)わず雄(おす)のオシドリに命中(めいちゅう)した。

猟師は喜(よろこ)んで、そのオシドリの首を切り落として

家に持ち帰った。

 翌日、猟師が真菰ヶ池に来て見ると、昨日オシドリを射(い)とめたあたりに、

一羽の雌(めす)のオシドリがうずくまっていた。
 じっとしているオシドリだったので、簡単(かんたん)射とめることができた。
ところが、その雌のオシドリを水からあげてみたところ、昨日殺した雄のオシドリの首を 

羽の下にしっかり抱(だ)いて死んでいた。

これを見た猟師は、小さな鳥の持つ
   大きな愛情(あいじょう)に強く心を打たれ、
    今までの行(おこ)ないを改(あらた)めて出家(しゅっけ)し、 

    真菰ヶ池の近くに寺を建(た)てて、オシドリの菩提(ぼだい)をとむらったという。

 「鴛鴦は雄雌仲の極めて睦まじい水鳥で、 夫婦仲睦まじいものの代表とされています。

この話は古くは「古今著聞集」や「沙石集」などにも採録されています。
 その後、東北地方を中心に各地に広まっています。 雄を殺された雌の鴛鴦が、人間の女に姿を変えて、 猟師の家に来て、夫を殺された恨みを歌に詠む場面が入っている話もあります。
     各地に この鴛鴦伝説にちなんだ寺が現存しています。

民話の森       小沢さとし編        総和社


16,松山鏡(まつやまかがみ)

 

    むかあしね、あるとこのあんにゃが、ものすごく親孝行(おやこうこう) だったと。
 仕事に行って、帰ってきちゃあ、
   「とっつあ、 とっつあ」いうて、親につくしていたと。

 そのうちに、ととは年とって、亡(な)くなってしもうたと。あんにゃはあんまりせつながって、 

 ととを墓(はか)にうめてからも、
    「墓んなか、 さむかろ」
 て、墓にみのを着(き)したり、笠(かさ)をかぶせたりして、そばにずっとついていたがんだと。

 それを殿(との)さまが聞いて、
    「まれにみる孝行もんだ」
  ていうんで、ほうびをくれることになったと。
 ほして、名主(なぬし)がついて、あんにゃは、殿さまんところへ行ったてや。
    「おまえは親孝行だすけ、ほうびをやるが、なにがいい」
 と、殿さまが聞いたと。  したら、あんにゃは、
    「銭(ぜに)もなにもいらねすけ、親の顔が見てえ」
  て こたえたと。  殿さまは、じいっとかんがえていたっけや、
    「じゃあ、 いいものがあるすけ、 くれる」
 ていうてね、鏡(かがみ)をくれたと。

  あんにゃも、 ちょうど、 亡くなった ととにそっくりになっていたんがんだ、
 殿さまが気ぃきかして、
    「おまえにとっつあの顔のうつる宝物をやるすけ、だれにも見せるな」
 ていうんだ、あんにゃは鏡をもろうてきたてや。

ほして、あんにゃは、鏡をだいじに

長持(ながもち・ いふくや、どうぐを入れておく、長方形のふたのあるはこ)

んなかに入れといて、朝、しごとに行くときゃ、

「とっつあ。 これから行ってくるすけ」
と、あいさつして、また、帰ってくると、
    「とっつあ。 いま来たど」
て、うやもうていたと。

 そのうち、あんにゃは、よめをもろうたども、
よめにもないしょにして、

朝ばん、へやに入っちゃ、ごそごそ、ごそごそ、なにかいうてたと。
よめは不思議(ふしぎ)に思うて、あんにゃが仕事に出たあと、


   長持のふたをあけてみたてや。

   ほしたら、 そこへ鏡が入っていて、

かわいげなあねさがうつっていたと。

「はあ、うちのあんにゃは、こげんところへ、いいあねさを かくもうてる。 

 きょうというきょうは」
てて、よめは おおじゃんがんぶりけえして(子どもが、だだをこねているように おこっているようす)、 おこっていたと。

ほうして、 あんにゃが帰ってきて、
    「とっつあ、 とっつあ」
   いうてたら、よめが来て、
    「いや、とっつあどこか、きれいなあねさが入っている」
   て、二人して、大げんかしてがんだ。

そこへ 庵主(あんじょう・ 尼僧、にそう)さまがやって来たってや。

    「おめがた、 いつもなかのいいのが、

   なんで夫婦(ふうふ)げんかをしてる」

「や、じつは、殿さまからとっつあの顔の出る宝物をもろうて、長持ん中へ しもうといて、朝ばん、 

あいさつしてたっけや、かかが、 かわいげなあねさをしもうとる、 ていうて、 おこってるがんだ」
あんにゃがそういうたと。
   したら、 庵主(あんじょう)さまが、
    「どれどれ。 おれに見さっしゃい」
   ていうて、長持のふたをとったと。

ほしたら、そこにうつっているのは、かわいげな、頭をくるくるすった庵主さまになってたと。
    「はあ、おめがた、けんかしることはね(けんかすることはない)。 

中のあねさ、へえ、後悔(こうかい)して、 頭まるめて尼(あま)さんになった。
    これは、おれがもろうてぐ」
そういうて、 鏡は庵主さまがもろうていったと。
   いきがポーンとさけた。

 雪の夜に語りつぐ       笠原政雄語り・中村とも子編           福音館日曜日文庫 


17、正宗(まさむね)の名刀

 

 むかあしね、 日本一の刀鍛冶(かたなかじ)があったと。   

五郎正宗(ごろうまさむね)て いう人だったと。
 その人には男の子がなくて、たかね というむすめがひとりいたと。  

正宗もだんだん年をとるので、だれか、
後を継がせるもんを 養子(ようし)にしなけりゃならんと考えていた。

 何百人も弟子(でし)が いるけど、五郎正宗の目にかなったのは三人だったと。
一番の兄弟子は 団九朗宗親(だんくろうむねちか)ていう人。 

二番弟子は千寿院村正(せんじゅいんむらまさ)ていうひと。
三番弟子は彦四朗貞宗(ひこしろうさだむね)ていう人。  

この三人のうちどれか じぶんの跡取りにしようと思うていたと。

ある日、正宗が三人をよんで、

「おまえがたん中から、だれかひとり、おれの後を継いでもらわなきゃならん。

   ついては、 刀を一振(ひとふり)ずつ きたえてもらいたい。 

   そのできぐあいによって、娘のむこを決める。

   ほして、 おれの後を継いでもらいたい」

て いうたと。

 三人の弟子たちは それぞれ鍛冶場(かじば)へ入って、三 七 二十一日間かかって、

一振りずつ、 刀を鍛(きた)えあげたって。
 正宗は じぶんも一振りの刀を こしらって(こしらえて)、 四本の刀を持って、

三人の弟子と いっしょに川原(かわはら)へ行ったと。
 ほして、 鍛えたばかりの 四本の刀を、 刃(は)を上にむけて、 川の流(なが)れの中に

差し込んだと。

 上流(じょうりゅう)から わらっくずが流れてきて、三本の刀には みんな、わらっくずがひっかかって 止まってると。 
 村正の鍛えた刀には くずがいっぺんもひっかからねえ。
そこえ来るがはやいか、 ぱっぱと 切れて流れてしまうんだと。

  村正は、
    「おれの刀は、 正宗門下の中で、 師匠(ししょう)をしのぐほどの名刀だ」
て 思うて、 よろこんでいたわけだ。
 そうしたところが、 師匠(ししょう)の正宗が、

    「いいか。 これからが しょうぶだ」
て、 みんなに刀の柄(え)をもたして、
    「えいっ」
   て 気合をかけた。

  ほしたら、正宗と貞宗のきたえた 刀にひっかかっていたわらっくずが、

 ぱっと いちどに切れて流れていったと。
だけど、 一番弟子の宗親の刀にひっかかったくずは切れないで、そこへとまってた。
 五郎正宗は、
    「これで勝負(しょうぶ)が決まった。  おれの跡取りは、三番弟子の彦四朗貞宗だ」
   そういうたと。

 二番弟子の千寿院村正は、
    「師匠はおいぼれた。  これだけ切れる おれの刀を さておいて、 

     貞宗の刀をいいとした」
 ともう、 不平(ふへい)まんまんだと。
    「正宗は師匠でもなんでもない。 おれのほうから破門状(はもんじょう)をぶっつける」
   そういうて、村正が出て行こうとしたと。

 そこへ正宗がいうには、
    「刀てものは身(み)を守るのだから、 切れてばっかりが いいというもんでもない。  

  自分の思いどうりの切らんきゃならんのだ。
   だから、貞宗の刀がいちばんのできだ」
 それでも、気性(きしょう)のたけだけしい村正は、師匠にあいそがつきたと、 

 出ていってしもうた。
 一番弟子の団九朗宗親は、 おとなしい人だったが、 師匠の技量(ぎりょう)を会得(えとく)

できなかった。

 五郎正宗は、 貞宗をむすめのむこに迎えて 後を継がせると、 出家(しゅっけ)して、 

入道(にゅうどう)正宗と 名乗ったと。
 地蔵(じぞう)さまを背中にぶて(しょって)、六部(ろくぶ、「じゅんれい」)すがたの正宗は 

全国を行脚(あんぎゃ)して、千寿院村正を 探し歩いたんだと。

 さんざん探したあげく、ある町へ来たら 鍛冶場(かじば)があったと。

刀をきたえている槌(つち)の音を聞いていたと。

    「ああ、こりゃ村正だ。 

むかしの性分(しょうぶん)が まだ直(なお)らんで、 こういう鍛え方(きたえかた)をしているか」

   と なげいたと。

 正宗は窓(まど)の外から、 なかにいる村正の門弟(もんてい)に、
    「いま鍛(きた)えた刀は、 つばもとから三寸(さんずん)ぐらいのところに 

きずがあるから、けっして売るな。 折(お)れてしまうぞ」
ていうて、立ち退(の)いていったと。


  あとで 門弟からそのことを聞いた村正は、
    「なにこく。そんなことをいうのは、五郎正宗より他(ほか)にない。
   おれの鍛えた刀が ほんとうに折れるかどうか、 正宗を切ってためしてくれる」

 てんで、村正はその刀を持って、後(あと)を追っかけていったと。
ほして、庚甲堂(こうしんどう)の前で休んでいる正宗に追いついたと。
    「破門状(はもんじょう)ぶっつけても、 まだ おれの刀に けちをつけにきたか」
 て、村正がおこったと。

    「んじゃ、 お前の刀をそこへ置いてみれ。 おれのいうことがほんとうだか 

     うそだか、ためしてくれる」
 というて、正宗は敷石(しきいし)の上に刀をおかして、刀の傷(きず)があると思われるあたりを、
しょ木(しょぼく 、鐘をつくための棒)で ポンと はったいたと。
   したら、刀はふたつに折れてしもうたと。

    「ほうら、見れ。  このとうりになるにから 売り物にしるなていうたんだ」
 そっで、村正は始(はじ)めて目がさめたと。
   ほして、正宗をじぶんの鍛冶場へつれてくると、あらためて、師匠(ししょう)と弟子(でし)のちぎりをむすんだと。


 正宗と村正が合作(がっさく)で 一振(ひとふり)(う)った刀があるが、

  正宗の刀の中でも 最高のできなんだと。

  村正が一人で打った刀というのは、切れて切れて、

  剣術(けんじゅつ)を知らない人が使(つこ)うても、じき、人を切ってしまうと。


  だからな、物を作る人ていうのは、

  その人の気性(きしょう)がぜんぶ、 作品にういてくるもの なんだと。

 

雪の夜に語りつぐ    笠原政雄、語り・中村とも子、編      福音館日曜文庫  

 

18、山田 白瀧

 

 昔々、雙三郡(ふたみぐん、現在の三次市)の山奥の大ぶけんしゃ(おおかねもち)

三人の下男を置いて、毎日 毎日 山へ木を伐(き)りに行かしよったげな。
 ある日のこと、その主人が どがあに(どんなふうに)仕事をしよるか 

見てやろうと思うて跡(あと)をついて行ったげな。
 そしたら、 三人は 山へ行って仕事をしていたが、しばらくして 

また一服(いっぷく)しようと言うて、大火(おおび)をたいて、大話をし出したげな。
 今日は自分が思ったことをみな話し合おうではないか。  それはよかろう。
一人が、わしは 七五三の料理が食いたいと言うたげな。
そのつぎの男が、わしは枡(ます)へ3ぱいの小判(こばん)がほしいと言うたげな。 

またそのつぎの男は、わしは家の聟(むこ)になりたいようと言うたげな。

  その晩(ばん)、三人が飯を食うところへ旦那(だんな)が出て来て、

今日 山へ行って話した事を話して聞かせいと言うた。
  自分が自分のことを言うのは恥(は)ずかしいから、たがいにほかの人のことを、 

こんなんは七五三の料理を食いたいと言いました。 
こんないつは枡へ一ぱいの小判がほしい言いました。
またこんなんは この家の聟(むこ)になりたいと言いましたと言いようたげな。

 そしたら旦那は 七五三の料理が食いたいという者には、おいしい七五三の料理を

食わせちゃって、枡へ三ぱいの小判がほしいと 言うた者へは、 
枡へ三ぱいの小判をやったげな。
 そのつぎに この家の聟になりたいと言うた者へは、娘が歌をよんで出るから

その歌の返しをしたらこの家の聟にしてやると言うたげな。
 それで二人の娘がおったが、

妹の分が先にお前は床(ゆか)の下へ入(はい)っとれと言うたげな。
それで妹の分が先にじゃがじゃがと賑(にぎ)やかに 着(き)かざり、

音をさせて歌をうたいながらでたげな。

その男はよう返さなんだげな。

   どっこい しもうた。

   このつぎには 読み返してやるぞと

 思うて待っとったら、

今度は 姉の方が 着かざって じゃがじゃがと 音をさせて 出て来たげな。   

それが きれいな声で、

     天より高く咲く初花に  思いかけなや黒びつや

 と 歌うたげな。  そしたらその下男は、

     天より高く咲く初花でも  落ちりゃ木の葉の下に住む

 と 見事(みごと)に読み返したげな。 

 それ とうとうその大きい財産(ざいさん)のある家へ 聟(むこ)に入ったげな。

   大きなのぞみを せよ。

        昔話十二か月   三月の巻  松谷みよ子編     講談社   

 

(他にも、朝日さすかげにもささぬ白滝が  なぜか山田の下になるぞや に対して

     かんばつで山田の稲も枯れ果てる  落ちてゆけよ白滝の水 
     や 藤の花を読んだ 歌があるが、どの本に書いてあったのかを、忘れてしまいました。 探しておきます。)

 19、 やまなしもぎ

 

 むかし、 あるところに、おかあさんと三人の兄弟が 住んでいました。
おかあさんは、からだのぐわいが悪くて寝ていましたが、 

ある日 兄弟をよんで、 
    「おく山の やまなしがたべたいな。」
   と 言いました。
   それを聞くと、一番目の太郎が、 
    「かあちゃ、 おらがやまなしもぎにいってくるせ」
   と 言って、出かけていきました。

行くが行くが行くと、山のふもとのふるい大きな木のきりかぶの上に、ひとりの ばあさまが 

すわっていました。
 ばあさまは 太郎を見ると、 赤いかけわんを出して、

  「わしは のどがかわいてたまらない。
   すまんが 水を
   くんできて くれんかの」

 と たのみました。  ところが太郎は、
    「だめだ。 おいらはいそがしい」 とことわりました。
    「そんなにいそいで、どこさ 行く」
    「やまなしもぎに」 太郎が答えると、ばあさまは、 
    「それなら、この先の三本のまっか道(またに分かれた道)に、 三本のささが 立っていて、

  風になって(鳴って)いるけに、
     「ゆけっちゃ かさかさ」 と 言う方に ゆきなさい」  と教えてくれました。
 太郎は、やがて三本のまっかみちに出ました。  

そこには三本のささが立っていて、風が吹くたびに、真ん中のささが、
   ゆけっちゃ かさかさ
  右と左のささが、
   ゆくなっちゃ がさがさ   となっていました。
 太郎は、ばあさまに言われたこともわすれて、

  「ゆくなっちゃ がさがさ」
 となっている

右の道は、入って行きました。すると鳥が巣を作っていて、 

   ゆくなっちゃ とんとん、
 とないていました。
   それでも なんでも ゆくと、---

山がひらけて、大きな沼のそばに、やまなしが ざらん ざらんと なっていました。

    「あった、 あったぞ」
   太郎が、やまなしをとろうとして、木に登ると、

影が水にうつって、 沼の主(ぬし)に 
   見つかり、 太郎は、 
  げろりっと のみこまれてしまいました。

上の太郎がいつまでたっても帰ってこないので、こんどは、二番めの二郎がでかけました。
行くが行くが行くと、山のふもとの古い大きな木の切かぶの上に、

 ばあさまが すわっていて、赤いかけわんに水をくんで来てくれとたのみました。
    「だめだ。 おいらは やまなしもぎに行くのでいそがしい」
  二郎がことわると、ばあさまは、
    「それなら、この先の三本のまっか道に、三本のささが立っていて、風になっているけに、

   「ゆけっちゃ かさかさ」と言う方に
  行きもさい」と 教えてくれました。
   ところが二郎は、まっか道にくると、ばあさまに言われたことも忘れて、 

    「ゆくなっちゃ がさがさ」と、なっている 左の道へ 入って行きました。
   すると、鳥が巣(す)を 作っていて、 ゆくなっちゃ とんとん、 と 鳴(な)いていました。
  それでもなんでも行くと、こんどは、大きな木の枝に ふくべが ぶらさがっていて、 

    ゆくなっちゃ がらがら、 と なっていました。
  それでも なんでも行くと、 ーーーーー
  山がひらけて、大きなぬまのそばに、やまなしがざらんざらんと生(な)っていました。
    「あった、 あったぞ」
  二郎が、やまなしを 採(と)ろうとして木に登(のぼ)ると、影(かげ)が 水に映(うつ)って、 

 沼の主(ぬし)に見つかり、 二郎は、
  げろりっと 飲み込まれてしまいました。

 二番めの二郎もいつまでたっても帰ってこないので、

こんどは三番めの三郎が出かけることにしました。
行くが行くが行くと、山のふもとの古い大きな木の切かぶの上に、 ひとりのばあさまが 

すわっていました。
   ばあさまは三郎に赤いかけわんを出して、
 
    「すまんが、 水を一ぱい くんできてくれんかの」と たのみました。
    「はい、 待っていてけてえな」三郎は谷川(たにがわ)から水をくんで来てやりました。
 ばあさまは よろこんで、「おまえは どこさ いく」 と聞きました。
    「やまなしもぎに」三郎がこたえると、 ばあさまは、

  「それなら この先の三本の

   まっか道に、 三本のささが

   立っていて 風になっているけに、

    「ゆけっちゃ かさかさ」  と 言う方にいきもさい」

 と 教えてよく切れる 刀(かたな)と赤いかけわんを、三郎にくれました。
  三郎は、もらった刀とかけわんを腰(こし)にさげて、奥山(おくやま)へと入(はい)って行きました。
 やがて三本のまっかみちに出ました。  そこには三本のささが立っていて、風が吹くたびに、

真ん中の ささが、

   ゆけっちゃ かさかさ、
   右と左のささが、
   ゆくなっちゃ がさがさ、 

   と なっていました。
  そこで 三郎は、 ばあさまに言われたことを 思い出して、 「ゆけっちゃ かさかさ」 
 なっている

 真ん中の道へ入って行きました。

すると、鳥(とり)が巣(す)を作っていて、 

   ゆけっちゃ とんとん、

  
 ゆけっちゃ とんとん、

  と 鳴(な)いていました。

 また少しゆくと、
   こんどは 大きな 木の 枝に ふくべ(ひょうたん)が、 ぶらさがっていて、
   ゆけっちゃ からから、
   ゆけっちゃ からから、

   と なっていました。
   なお ずんずん ゆきますと、------

   山が ひらけて、 大きな 沼の そばに、 やまなしが ざらん ざらんと なっていました。
 やまなしは 風がふくたびに、

   東(ひがし)の 枝(えだ)は おっかないせ、

   西(にし)の 枝は あぶないせ、

   (きた)の 枝は 影(かげ)うつる、

   (みなみ)の 枝は 登(のぼ)りんさい、

   ざらん ざらん、


   と 歌(うた)っていました。

 「これは よいことを 聞(き)かしてもらったなや」

  三郎は やまなしの木の 歌ってくれたとおり、 南の 枝に 登ると、 

おいしそうな 実(み)ばかり、ずっぱりともぎとりました。
   ところが、-------

  木を降(お)りるとき、つい うっかりとちがう枝に乗(の)りかえたので、三郎の影が 

ちらっと沼にうつりました。
 沼の主(ぬし)はそれを見ると、三郎をただひとのみにとおそってきました。

三郎は、ばあさまからもらった

   刀(かたな)を びらりと ぬいて、

   沼の主に切りかかりました。

沼の主は、切られたところからくさって、ぐにゃぐにゃになり、  てもなく まいってしまいました。

   すると その腹(はら)の 中で、
    「ほうえ、 三郎 やあい」
 と 小さい声(こえ)で 呼(よ)ぶものがあります。
三郎がいそいで主の腹をわって見ると、太郎と二郎が青い顔をして出てきました。
 そこで三郎が、ばあさまからもらった赤いかけわんで、 沢(さわ)の水をくんできて飲(の)ませてやると、 二人は みるみるうちに 元気(げんき)になりました。

 兄弟(きょうだい)は、三人そろって山をくだりました。  途中(とちゅう)のあの木のきりかぶには、 

ばあさまの姿(すがた)はありませんでした。

三人は、取ってきた

   やまなしを切りかぶの上に

   そなえて、うちに 帰りました。

 そして おかあさんに やまなしを 食べさせると、 おかあさんの 病気(びょうき)は けろけろっと 

(なお)りました。
それからは 親子(おやこ)四人 楽(たの)しく暮(く)らしましたとさ。

     どんどはらい

     すねこ・たんぱこ  原話、岩手県八重畑 小原豊造・  平野 直 編         銀河社

 20、 赤い聞耳ずきん

 

  あったてんがの(むかし、あったとさ)

 あるところに貧乏(びんぼう)でも正直(しょうじき)なじいさまがあったとさ。  ある時、

村のお宮にお参(まい)りしているとき、つい眠気(ねむけ)におそわて、
うつらうつらと眠(ねむ)ってしもうたと。

 夢(ゆめ)の中には 白いひげの神様(かみさま)が出て来(こ)られて、
  「じさ、 じさ、 お前(まえ)はよく働き、 ほうして正直もんの いいじさだすけ(だから)

   おれがいいもんを授(さず)けてやる。 これは赤い宝頭巾(たからずきん)だ。
   これをかぶれば、鳥がさえずっているのも木が話をしているのもみんな人がしゃべっているように

   聞きとれるぞ」
 そう言われたと思うと、すっと姿(すがた)が消えてしもうた。   
    「おや、これはありがたいことだ」と思ったところで目がさめた。  ひざの上を見ると、

 夢で見たままの、まっ赤な頭巾(ずきん)がひとつ載(の)っていたそうな。
 じいさまは、「こら、 まあいいもんを授(さず)けてもろうてありがたいことだ」 と喜(よろこ)んで、 

その頭巾をふところに入れて家へ帰(かえ)って行った。
帰りしなに、ちょっと道ばたの松の木の下で腰掛(こしか)けて休(やす)んでおった。

 すると東の方からからすが一羽(いちわ)ぱあとたって(とんで)来て、その松の木に とまったそうな。

ほうしたら西の方からも

   からすが一羽 ぱあとたって来て、

   二羽のからすが、

   ガアガアと何か話しているらしいがの。

 じいさまは、こんな時だ、と ふところから頭巾を出してかぶったところが、 

からすどもの話していることが 面白(おもしろ)いように聞こえてくるがの。
 「西のからすどん、 からすどん、 久しぶりだねか(ひさしぶりではないか)  

  お前の村には 何か変わったことがないか」
 「いや、 東のからすどん、からすどん、ほんに久しぶりだねか。  

 おらの村には (たい)した話もねえども、庄屋しょうや)の旦那(だんな)さまが 

この間(あいだ)から病気(びょうき)になって寝(ね)ていなさる。  病気というのは、土蔵(どぞう)を作らせた時に、

はめ板の間に蛇(へび)が一ぴきはさまってしもて出ることがならん。
それで蛇がせつながって、その思いで旦那さまが 病気になっていらっしゃるのだ。  

 ほうしるども(それなのに)人間てや(にんげんというものは)ばかなもんで、
   そのことがわからんのだ。 はてさて、あわれなもんだよ。 で、東のからすどん、からすどん、 

 お前の方には 何か変わったことはないか。 カアカア」
  「いや、 お前と同(おんな)じような話だども、 おら方の庄屋のお嬢(じょう)さんが 

 病気にならして寝ていらっしゃる。  庄屋のうちで茶室(ちゃしつ)を作らしたが、
その茶室の雨(あま)んだれの下にひのきの株つ(かぶ)がある。  

雨んだれがたらたらっと垂(た)れて株つは腐(くさ)っていくが、根(ね)は生きている。
 春になって ひのきが芽(め)を出すと 人間がすぐに刈(か)りとる。 

ひのきは 生きることも死ぬることもできずにせつながっている。 そのひのきの思いで
  お嬢さまは病気になっていらっしゃるのだ。  毎晩(まいばん)、山から木の友だちが

見舞(みまい)にやって来るが、そんな友だちの思いも 
積み重なって(つみかさなって)病気になっているのに、人間てやばかなもんで、 そのことがわからんがら。 
はてさて あわれなものだよ。  カアカア。」

 それを聞いたじいさまは、こりゃいいことを聞いた、と 喜(よろこ)んで家へ帰ったそうな。

 じいさまは、 あくる日 西の村へ出かけて行った。  庄屋の前をあっちへ行き、 

こっちへ行きしては、 
    「はっけ見(うらないを見る)、はっけ見」
  ち 言うていたら、安の定(あんのじょう)、うちの人が見つけて、
  「はっけ見、 はっけ見、 旦那(だんな)さまが病気(びょうき)になって、

   いっこうに治(なお)らんすけ、 見てくらっしゃい」
 と 家の中へ呼(よ)び入れたと。  じいさまは座敷(ざしき)へ上(あ)げてもらうと、 

 ちっとばかり考えるふうをしていたが、
    「いや、 ここの家は土蔵(どぞう)を作らしたろうの。

     その時、 はね板に 蛇(へび)が一ぴきはさまってしもうた。
     蛇にしてみれば せつないことじゃ。  

          その蛇を出してくっれば旦那さまの病気は じっきに治ってしまう」

  と 言うて聞かした。

  庄屋では さっそく大工(だいく)さんを呼(よ)んでは上板(うわいた)をはずしてみたところが、 

蛇が、白っこいようになって、やせこけて干(ひ)かびていた。
そいつを引っぱり出して放(はな)してやったそうな。  
すると旦那さまは けろりと うそのように良くなってしもうた。  庄屋の喜びようは大変(たいへん)なもので、 

じいさまは ほうびをの金をどっさりともらったそうな。

 

 今度は、じいさまは東の村へ出かけて行った。 庄屋の家の前を、あっち行きこっち行きして、

  「はっけ見、はっけ見」

 と ふれ歩いたら、やっぱり、家の人らが、

 「お嬢さまの病気を見てもらいたい」

 と 呼び入れ座敷へ上げたがの。

 じいさまが「今夜、 おらをここへ泊(と)めてもらいたい」

  おうちでは茶室を作らしたといこんだが、そこへおらを泊めてもらいたい」

 と 頼んだら、気持ちよく承知してくれた。

 

  じいさまが茶室で寝ていると、夜中(よなか)になって、なんだかゴウゴウというような音が

 してくるのだと。「はて、 まあ何だろう」と 思って、ふところから
 頭巾を出してかぶってみたらば、やまの松の木が見舞いに来て話しているがの。
    「ひのきどん、 ひのきどん、 ぐあいはどうだ」
    「松山の待つどんか。 たびたび 見舞(みまい)いに来てもろうて本当に申し訳がない。

     なんせこのとおりで、茶室の雨(あま)んだれの下になってしもうて、

      芽を出せば取られてしまうし、 どうすることもならん。 

     このまま朽(く)ちはてるより ほかにはない」
 ひのきが苦しげに言うと、

    「いやいや、 春になれば、また いいこともあろうすけ、 
     そんげに力を落とさんでいいよ」

  松山の松はそんなに言うて慰(なぐさ)めて帰って行ったらしい。  またしばらくすると

 ゴウゴウと音をさせて、なら山の楢(なら)の木が来た。
  「ひのきどん、 ひのきどん、 ぐあいはどうだ」
  「いやいや、 へえ、この有様(ありさま)で、どうすることもならん。 

   お前がたにばっかり見舞いに来てもろうて、本当に申しわけがない」

    「いやそんなに力を落とさなくても、 じきに春が来る。 
    そうすればいいこともあるで。」

 

 やがて楢の木も帰って行った。  

 じいさまは、こら、 まあ 木がものを言うのも聞いた。
 「あしたは 人の苦しみが救(すく)える。
  ひのきの苦しみも救える」

 と 喜んで眠ったそうな。

 朝になると、うちの人に、
    「ここの家には 茶室を作らっしゃる時、でっこい(でかい)ひのきを切らせたろうの。 

  その株(かぶ)つが床下(ゆかした)で芽を出すことも

  枯(か)れることもできずに せつながっている。
  松やら楢やら、木の仲間(なかま)が毎晩(まいばん)、慰めに来ているが、 お嬢さんの病気は、

  そんな木の思いのせいだから、ひのきの株つを掘り出してやれば、じきに治る」
 と 聞かせたそうな。  庄屋ではさっそく、じいさまが言ったとおりにしたところが、 

 お嬢さんの病気は、くるくるとうそのように良くなった。
     このはっけ見は大したもんだ   と 庄屋の喜びようは大層(たいそう)なもので、

 じいさまには ほうびの金をいっぱいくれたと。

じいさまは、両方(りょうほう)の 庄屋からもろうたお金で、

一生 安楽(いっしょう あんらく)に暮(く)らしたとさ。
   いきがポーンと(めでたしめでたし)さけた。

日本昔話百選  原話 下條登美(新潟県長岡)   稲田浩二・稲田和子編著  三省堂

  21、カエルのもちしょい

 

 むかしはな、古い暦で十月十日(今の十一月なかば前後)の晩にゃ、米づくりを守ってくださった

 田の神さまが お帰りになるっていうので、

どこの家でも新しく
とれた米でもちをついて、 田の神さまをお祭りしたもんだ。
このお祭りを「カエルのもちしょい」なんていってるところがあるけど、 

それは 田の神さまにおそなえしたもちを、田の神さまがお帰りになるとき、 
 たんぼのカエルが背負(せお)っていくという、 古くからの言い伝(つた)えによるものなんだが、

 おもしろい名まえだっぺ。
  きょうはな、その田の神さまと、たんぼのカエルの話をひとつ語(かた)って聞かすべえ。
  むかし、たんぼのカエルは、みんな、田の神さまの家来(けらい)だったと。
 お百姓(ひゃくしょう)さんは、 田の神さまのご加護(かご)「守っていただくこと」をうけて

お米を作っていたので、そろそろ水のぬくみだした旧暦(きゅうれき)二月十日(今の三月なかば前後)

「田の神降(お)ろし」とか、「田の神だんご」といってな、どこの家でもお米を粉(こな)にひいて、 

田の神さまにおそなえするだんごをつくり、
   パンカラ、パンカラ、パンカラと、きねでうすの底(そこ)を三回 からづき(何もいれないでつくこと)

してから松葉(まつば)をもやし、けむりを天へ立ちのぼらせたと。
  パンカラ、 パンカラ、 パンカラと、 うすを三回 からづきするのは、 

天から田の神さまをお呼(よ)びする合図(あいず)でな、松葉をもやしてけむりを上げるのは、
田の神さまがこのけむりを伝わって、天からおくだりになるためなんだと。
  そんじ(それで)、田の神さまの家来であるたんぼのカエルたちもな、このきねの音をきいて長い

冬眠(とうみん、冬ごもり)からさめ、 のこのこ土の中からはいだして、
   ゲッコ、 ゲッコ、 ゲッコ、 ゲッコといっせいに鳴(な)きだすんだと。
 お百姓さんは、こうして田の神さまをおむかえしてから、田の仕事にとりかかるんだが、田ほり、 

苗代(なわしろ)づくり、種(たね)まき、そして田植(う)え。米をつくるためには、

それはそれは一生(いっしょう)けんめい働いたもんだ。

やがて、あせ水ながして作った稲(いね)は、こがねの穂(ほ)をなびかせて、実(みの)りの秋になるわけだな。
 そして、 稲かりの終わった十月十日は「カエルのもちしょい」だ。 家いえでは、 

新しくとれたお米でお礼のもちをつき、 お百姓さんは、
   これを田の神さまにおそなえして、
    「どうか来年もまた、 お米がたくさんとれますように。」
   と、 心をこめてお祈(いの)りしたんだと。

 十月は、神無月(かんなづき)といってな、日本国じゅうの神さまがみんなおるすになる月で、 

 神社(じんじゃ)や家いえにまつられてある八百万(やおよろず)
   神さま(たくさんの神さま)は天へのぼって、 みな大社(おおやしろ)のある出雲(いずも、今の島根県)へ行かれるもんだから
 

 十日の晩(ばん)は、
  田の神さまも、 おそなえしたもちを、
家来(けらい)のカエルに背負(せお)わせて天へのぼり、もちを背負ったカエルも、

田の神さまのあとにしたがって出雲へ行ったと。

家来(けらい)のカエルに

   背負(せお)わせて天へのぼり、 

   もちを背負ったカエルも、 

   田の神さまのあとにしたがって

   出雲へ行ったと。

 ところで、こちらはダイコン畑だ。

朝晩(あさばん)の寒さにもまけず、あおあおとした葉を元気よくひろげて、

日 一日と大きくそだっていたんだが、ある日、変(へん)なものがぴょんこ、
またぴょんこ、とやってきた。 よく見ると、それは自分のからだより大きなもちを背負ったたんぼのカエルだ。
  いやはや、そのかっこうのおかしいこと、だれだってふきださずにはいられない。  

いちばん初(はじ)めに見つけたダイコンが、
    「おうい、みんな出てみろ! カエルのもちしょいがやってきたぞ。 あのかっこうを見ろよ。

 まあ、 なんておかしなかっこうだっぺ。」
と、 大声でどなって仲間(なかま)に知らせたと。  するとたちまち、
    「どれ、 どれ。」
    「どこだ、 どこだ。」
   と、 あっちのダイコンも、こっちのダイコンも、土の中からもっくりと、首を長くのばしたり、

 背(せ)のびをして のぞきだしたもんだから、畑のダイコンは
 どれもこれもみんな土からもり上がってしまったと。

   そんじ(それで)、十月十日は、「ダイコン畑さ(に)はいると、

ダイコンがたまげて(おどろいて)せっかくのばした首をひっこめてしまうから、 

決してはいるもんじゃねえ。」
 といわれていたが、これは、きっと、ダイコンがそだたなくなるからだな。  

だから、子どもらがダイコン畑で遊ぼうもんなら、 
  「十月十日がすぎるまでは、 ダイコン畑さ へえって(はいって)はなんねえど。」  

 と しかられたもんだ。

  もちをしょったたんぼのカエルは、畑のダイコンにに笑(わら)われたけれどな、 

からだより大きなもちを背負(せお)わされては、重くてよく歩けないのもむりあんめえ。
  そんじ、ほれ、よく大きなかれ木の幹(みき)や古い柱などに、

みょうな形のかたいキノコがはえていることがあっぺ。
  みんなはこれを 「オカマノコシカケ」 なんていっているが、 ほんとうは、 サルノコシカケ 

というキノコだ。 オカマちゅうのはな、ガマに「お」をつけたもんで、
   つまりカエルのことだ。 

 そのオカマがもちを背負って田の神さまの

   あとについていくんだが、もちが重くてつかれるので、

   これにこしかけてひと休みするためのもんだとよ。

 だが、 このキノコは高い木の上にはえているので、サルがこしかけるというならわかるが、 

地面を歩くカエルがなんで高い木の上などと、
不思議(ふしぎ)に思うだっぺ。
 それはな、田の神さまの家来(けらい)だから、おともするときはな、 

カエルも神さまのように空を歩けるんだっぺ。
  
 だけんどよう、重いもちを背負って歩くのは、カエルだってありがたかなっかぺ。 

中にはおうちゃく(ずるい)カエルもいてな、
  重いもちを背負わされるのがいやなもんだから、
   「わたしは おか(陸)のカエルだから、おかへ上がるのだ。」
 とかいって、田の神さまのおとももせず、 十月十日のこない前にさっさとおかに上がって、 

取り入れのすんだあとの畑にもぐりこみ、いい気持ちになって
冬ごもり(冬眠)をはじめるやつもいてな。

 こんなカエルは、 お百姓(ひゃくしょう)さんが麦(むぎ)をまくため畑を耕(たがや)しているとき、 

まちがってよくクワ先で切られてしまうもんだ。 
  そんじ(それで)、むかしから、
    「クワで切られるカエルは、おうちゃくして田の神さまの もちしょいをしなかったばちだ。」 

 なんていわれたと。

 こうして、 田の神さまの家来(けらい)である たんぼのカエルは、 田の神さまのおつかいをしたあと 

おかに上がって、ゆっくり冬ごもりにはいるんが、 
むかしの人はうまいことをいったもんだ。
  「二月十日の田の神だんごでカエルが鳴きだし、 十月十日のお亥(い)の子(こ)もちだカエルが帰る。」

 ってな。

   こんじ(これで)おしまい。

茨城のむかし話     文・更科公護            日本標準

 

22、  さるかめ合戦

 むかしむかしの大むかし。  そのまたむかしの話です。

  青海島(おおみじま)と仙崎(せんざき、今の長門市、ながとし、)とは

陸(りく)つづきで、その間はほんのわずかな細い

どぶ川が流れているばかりで、 そのどぶ川も
(しお)がひくと、 浅(あさ)い砂(すな)はまになって、

歩いて行ききができるようになってしまうのでした。

そのころのこと、

   青海島には何百何千という大ざるや小ざるが住みつき、 通(かよい)

   青海島、 仙崎ふきんをぞろぞろ歩きまわり、かき、 みかん、 びわ、  たけのこなど、

   野や山の作物(さくもつ)をあらしまわり、 村の人たちはたいへん困(こま)っていました。

 とくに青海島(おおみじま)には、 さるのほとんどが住み、くらしのこんきょ地にしていたのですが、  

 なかでも、仲間(なかま)はずれにされていた三びきの親子ざるは、 毎日、通(かよい)まで出てきては、 

 一日じゅう、野山や畑の作物まであらしまわっていました。 

 畑で働(はたら)いているおひゃくしょうさんたちの
   そばに行って、 1メートルいじょうもあろうかと思われる大ざるが、
    「ふう、 ふう。」
と、大きい息(いき)をふきかけるのですから、 だれでもびっくりぎょうてん、 

くわをほうりなげて、とんで帰っていくのでした。

 さて、 それはそれはお天気のよい、ある日の昼さがりのこと、一ぴきのさるが、

うとうとと気持ちよさそうに昼ねをしていました。
 目をさまして、 もうそろそろほし潮(潮がひくこと)になろうかというので、山からはまべにおりてきて、物見(ものみ)の松の木に登(のぼ)り、
    「ははん、 ぼちぼち、 潮がひきよるのう。」
と、海をながめはじめました。物見のさるだったのです。それからふと手前のはまべを見わたしたとき、 いつもの仙崎(せんざき)の通り道のあたりに、 
   たたみ1じょうもあろうかと思われる大きい石がどっかりとすわっているのを見つけました。

    「ありゃなんだ、 おかしいぞ。 今まであんな所に石なんぞなかったが・・・・・・・・・・・・・・。」
   物見のさるがじっと目をこらしていると、 その大石がかすかに動いたようでもありました。  

  ふしぎに思ったその物見のさるは、 自分の役めも忘(わす)れて
   松の木からおりると、 少しはなれた木(こ)かげから、 そっとようすをうかがい、 

 そろりそろり近寄(ちかよ)っていきました。 そして、 よくよく見ると、 

なんとそれは大きな海亀だったではありませんか。
  しかし、どうもようすがのんびりしています。  そこでもう少し近寄ってみますと・・・・・・・・・・・・。

  じっとしているはずです。   海がめは、初夏(しょか)のものうげな日をあびて、 

気持ちよさそうに、うつらうつらと昼ねを楽しんでいるではありませんか。
  物見のさるは、いつものようにいたずら心がむらむらとわいてきて、 よせばいいのに、

海がめの首をぐっとつかみ、

「やいやい、 起きろ、 起きろ。 ここはわしの通り道じゃ。」

 びっくりしたのは海がめです。 のどかな昼ねのまっさいちゅうに、 

キイキイかん高い声でさけばれたのでは、 たまりません。  びっくりした海がめは、
   物見(ものみ)のさるにつかまれた首を、 こうらの中にすっとちぢめました。  
   そのひょうしに、 物見のさるの手は、 こうらの中にはさみこまれてしまいました。
 こんどは、物見のさるがびっくりしてあわてました。 こうらから手をぬこうと引っぱれば引っぱるほど、

 ますます海がめは首すじを中にちぢめます。 物見のさるは、
のけようとして、いっしょうけんめい引っぱりますが、引っぱれば引っぱるほど、 

海がめは首をちぢかめます。
   とうとう物見のさるは、 キイキイないて仲間(なかま)に助けをもとめました。

   すると、 山の中から、何百ぴきもの さるがぞろぞろおりてきて、 物見のさるの手を

かめのこうらの中からぬこうとして、いっしょうけんめい引っぱり始めました。

とうとう、さるとかめのつな引きになってしまいました。

 「よいしょ、 よいしょ。」
どちらも大声をかけて、

 引きあいました。

力を入れて引っぱるので、ずらりとつらなったさるの顔は、
みるみるうちにまっかになりました。

海がめも、 これはたいへんと、海へにげようとして、ブルドーザーのように、 のしりのしりとあとずさりを

始めました。
 なにしろ、 たたみ1じょうもあろうかという大海がめですから、 百猿力(ひゃくえんりき)です。
さるたちはずるずると海へ引きよせられ、手をはさみこまれた物見のさるはもう少しでおぼれそうになりました。 このままでは、全部のさるたちはみんな
   海へ引きずりこまれてしまいます。
   みんなは、
    「よいしょ、 よいしょ。」
  と、 力を合わせて引きましたが、どうにもなりません。  とうとう、いちばんあとにいた大きいさるが、 

 そこのあった松の木にだきつきました。 
これで、 海がめもがっくりと動けなくなってしまいました。

こうなればしかたがないと、海がめはひょいと首をのばしたので、物見のさるの手は こうらからすっぽりと

ぬけました。  とたんに、力いっぱい引っぱっていた
たくさんのさるは、はずみをくって、どっと砂(すな)はまにしりもちをつきました。 

 そのひょうしに、 さるたちはおしりの皮をひんむいてまっかになり、
しっぽも切れて短くなりました。

   そして、さるたちがおしりをついたとたん、 かみなりのような大きい地(じ)ひびきとともに、 

みるみるうちに、今まで続(つづ)いていた浅瀬(あさせ)の底(そこ)
   地(じ)われがして、じりじりと水がはいりだしました。
 何百ぴきものさるたちは、しばらくぽかんとしていましたが、 海の水がどんどんふえだしてくると、 

   キイキイ、 キャッキャッと、
   急にあわてて山のほうにかけ出していきました。
   みるみるうつに青海島(おおみじま)がずんずんはなれていきます。  

 何百何千というさるたちが、船にでも乗ったような気持ちで、どうすることもできずに、
あれよあれよとおどろいている間に、 とうとう、なつかしい地方(じかた)とはなれてしまいました。

このときから、青海島がはなれ島になり、二千年もの長い間、この青海島に何百何千というさるが住みつくようになりました。

そして、青海島のさるだけが、顔やおしりがとくべつまっかだ

 といわれるのも、こうしたわけからなのです。

山口のむかし話   文・ 松谷俊子     日本標準

  23、赤いも

 

  むかしむかしの、 ずーっとむかしの、 ちょんまげ時代のことです。 

瀬戸内(せとうち)の島に、たご兵(へい)という貧しい水のみ百(びゃく)しょうが住んでいました。

 たご兵は、 おかあさんとふたりで、ねこのひたいほどの畑をつくって、 

くらしていました。

「おかさん。 どげえして、こんなにおれたちゃ貧(びん)ぼうなのじゃろうか。

(はたら)いても働いても、あのまっ白い雪のようなまま(ごはん)が食べられんのは、どうしてなのじゃ。」
    「おまえ、 そんなことをいうと、 てんとう様のばちがあたるど。  

    おまえは、 この世の中でいちばんたいせつなものは、 なんと思うちょるかの。」
    「そりゃお金じゃろ、お金がありゃ、この世は極楽(ごくらく)じゃでえ。」
    「いや、それはうそじゃ。  お金よりたいせつなものがよけえ(たくさん)にあるんじゃで。」
    「そりゃいったい、おかさん、 なんでぇー。」
    「それを今、おまえにいうてもわかってはくれまい。 いつか、わかるときがきっとくる。
   そのときは、根性(こんじょう)を入れかえるんじゃぞ。」
    「おかしなことをいうおかさんじゃ。 なんのことか、おれにゃ、さっぱりわからんでよ。」

  朝星、 夕星をあおいで、 元気で働いていたおかあさんが、 その年の冬、 かぜがもとで

ぽっくり死んでしまいました。
 おかあさんは、死ぬとき、たご兵をまくらもとによんで、

「おまえは、家のとこの下の穴蔵(あなぐら)の米がらの中に、赤いも様がうめてあるから、 

それを春になったら畑に植(う)えるんじゃ。 この赤いも様は、 おかさんがおよめにくるとき、 
なに一つ、 よめ入り道具がないから、せめて、
 この赤いも様の種(たね)を三つ持っていけと、 おとさんが重(じゅう)ばこの中へいれて
くださったものじゃ。

この村には、 この赤いも様は、一つもない。  おかさんは、これを年々植え続(つづ)けて、  

種いもの数が百三つになっているから、 よいか、 たご兵、
   これをおかさんと思って、たいせつに植えるんじゃぞ。  そしたらけっしてうえ死にはせん。 

 おまえのような貧ぼうな水のみ百しょうは、お米様を食うのじゃないぞ。
お米様は、お金持ちのだんな様のお食べなさるもんじゃでな。  

天の星をつかんで食うようなゆめをみるなよ。」
 と、 いい残(のこ)して死んでしまいました。
 たご兵は、おかあさんのあの遺言(ゆいごん)を、しっかりとかみしめました。

 春がきて、たご兵はいねを植える田にも、家のまわりのあき地にも、赤いもを植えました。  

村の人々は、 このようすを見て、
    「とうとう、 おかしくなってしもうたわい。」
 と、いいあいました。  たご兵は、それでも、村の人々の冷(つめ)たい目を気にしないで、 

いつもにこにこ笑(わら)ってくらしました。 
 それから、 たご兵は、たんぼに行くときは、おいこ(背におう農具)でおかあさんをおんぶするように、
    「おかさん、 たんぼへ行くからおいこに乗ってくだされ。 おんぶしてやるからのう。」
といって、生きている人にものをいうように、ぶつぶつひとりごとをいいながら、出かけるのでした。
    「おかさん、 たんぼにつきましたので、いも畑を見てくれ。  赤いも様が、 土の中で、

     うなりながら大きくなっているでよ。」

 一番星が光って、 二番星がかがやくころ、いも畑の中にしゃがんで、 草とりをしていたご兵は、

  「おかさん、 もうくろう(暗く)なった。

   家へ帰るでよ。

   おいこに乗ってつかあさい。」

 死んだおかあさんと話しあいながら、いつもくらしているたご兵の、つぶやくようすを見て、

村の人々は、ますます気ちがいあつかいにするのでした。

 ある年、大ききんがありました。 夏のかわいた風が、この島の山々を二回も三回もなでては

通りました。 くる日もくる日も、日照(ひで)り続(つづ)きで、 
水田はひびわれて、 島じゅうのいねがかれてしまいました。  その他の農作物(のうさくぶつ)

もあらかたかれてしまいました。  食べる物がなく、
 武士(ぶし)も金持ちも百しょうも商人(しょうにん)も死んで、 

島の人口は、半分になってしまいました。 それでも、 この火あぶりのようなお天気の中で、 
たご兵の畑のいもづるだけは、たくましく葉っぱをいっぱいしげらせて、 土をむくむくともちあげて

いました。 赤いも様は、はちきれんばかりに太っていきました。

 たご兵は、今はじめて、おかあさんのいったことばの意味がわかりました。 お金よりもたいせつな

ものを知ったのです。 

 

 たご兵はうれしくなって、

   赤いも様を両手にのせて拝(おが)みました。 それは、 おかあさんのほっぺたを、
   両手でだいているようでした。

 家に帰ったたご兵は、大きななべをかまどにかけて、いもがゆをいっぱい作りました

おかさんがおよめにくるときに

   ろ船の中でゆれながら海をわたった 赤いいも

   赤いも輪切(わぎ)りに切りこんで、コンブのだしを身にそめる

   白菜(はくさい) 大根(だいこん) 磯(いそ)いぎす

 

 たご兵は、ひとりでなみだをポロポロと流しました。
 おわんにいもがゆをもったたご兵は、竹をけずった二本の長いはしをつきたてて、おかあさんの仏(ぶつ)だんにおそなえして、
「おかさん、 いもがゆ腹(はら)いっぱい食べてくんないよ。  ほら、山菜(やまな)のにしめもあるでえ。」
と、拝んでいました。すると家の外がさわがしくなりました。 たご兵を気ちがいと笑(わら)った村の人々が、
 たご兵の家の前に、 いもがゆをめぐんでもらおうと、一里(いちり)「四キロメートル」の列をつらねて

ならんで待っていました。 その中には、武士も金持ちも庄屋さんもならんでいました。
  おわん一ぱい分もらうのに、一日じゅうかかるほどでした。 たご兵は、村の人々の飢えを、自分の力で

助けることができました。
 次々にくるうえた村人のために、あたたかいいもがゆを作って、しゃくしでくみとりながら、村人の命を

すくっているようすを、みんなは手を合わせて拝みました。 たご兵は、それから種(たね)いもをみんなに

分けてあげました。 今でも、たご兵が生きているときと同じように、 

この島では、赤いもが命をもち続(つづ)け、 土をもくもくともりたてながら、 大きく、

大きく育(そだ)っているということです。

山口のむかし話      文、河岡従道      日本標準

24、よめの手紙は手形が一つ

 

むかしむかし、ある村に百姓夫婦がおったんだと。その百姓はかわいいむすめば、 

山、二つ、三つ越(こ)えたとなりの村によめにやったんだと。
 そのむすめから、なんぼたってもおとさたねえもんで、親たちゃとても心配したども、何せこっちも貧乏百姓だもんで、行くにも行けねえんだと

そんで、気にばしてたら、

ちょんどそんとき、 

   越中(えっちゅう、富山県)
 
   薬売り(くすりうり)が来たんだと。

   おっかさんが、

「ちょこっし待ってけれ。」って、 

 おくさ行ってしょうじ紙の切れっぱしさ、 なんだか字みてえなものを書いてきたんだと。
見たら、バッテンの上に、ちょべっとかぎつけたよな、こんなん「」が、六つ、七つ書いてあるだけなんだと。

その手紙ば見たむすめはな、涙ばこぼして読んだと。

 

 「おまえ又(また) どうして又 来ないやら又   やまいした又 来ないやら又 こし又
    来いやれ又・・・・・・・・・・・・。」

 

 そして「返事ば書くから持ってってけれ」 と言ってな、手のひらさ、すみば真っ黒にぬって、

 やっぱししょうじの切れっぱしの白い紙の上さ、 べったりと
   手形ば一つ押して持たしたんだと。
   その手紙ば見たおっかさんは、
    「おうおう、 むすめも、手にすきが(””)ねえのかのう。」
   と、その手形ばじーっと見ていたと。

(””、 手にすきがないとは、ひまがなくて手を離(はな)せない、いそがしいという意味。

 

    北海道のむかし話    坪谷京子    日本標準

  電灯のつきはじめたころ

 わたしが電灯(でんとう)というものをはじめてみたのは札幌でしたが、 いなかから出てきた者にとっては、

その明るさと便利さは、きものつぶれる思いでした。
  そのころ、 会議のため札幌に出てきて、 やどにとまりましたが、つれの友だちが、 さっそく、 

たばこに火をつけるため、キセルを電球(でんきゅう)
  こすりつけて、火のつかないのをふしぎがりましたし、わたしも、 電灯の消えるようす」 

が見たくって、暗いうちから起きだして、 朝の電灯のきえるのを、
   いっしょうけんめいに、 まったものでした。

故築瀬仁右衛門伝   文、築瀬秀司       北海道のむかし話、 日本標準

 25、 キツネの医者(いしゃ)さま通(がよ)

  むかしゃあなあ、 ここいらへんは平川(ひらかわ)といったんじゃあ。  ほれ、 あすこに見える古いおやしきゃあ、
   ここいらへんにゃあ、なくてはならない医者(いしゃ)さまだったんじゃ。
   村のしゅうは「本間(ほんま)さま。 本間さま。」  と、

様づけでよんでいなすっただ。

   ある夜、 本間さまをたずねるもんがあっただ。
    「ごめんくださいまし。 足を・・・・・・足を・・・・・・少しばかりけがをしました。 

 先生さまにみていただきたいのですが・・・・・・・」
消えいるような美しい声。  書生(しょせい)さんはな、ただぼうっとしおって、
    「ど、 どうぞ。」
   と、口もきけぬほどだったと。

 みれば、かみは文金高島田(ぶんきんたかしまだ・「はなよめさんのかみ」)

   に 結い、 赤いけっこい(きれいな)(おび)を結(むす)んだ、

   どえらく(たいへん)けっこいおなごが、 しゃれたぬりげたをはいて、
 
   本間さまのげんかんさきに立っていたというわけさ。

どこを、 けがなすったのじゃな。」

 女の人はの、はずかしそうにもじもじしながら、着物のすそをめくっての、 

雪のようにまっちろ(白)な、すんなりとした足を出しおったわけさ。
   ほんだけいが(だけれども)の、そのかっこええ足にさ、 なまなましい鉄砲(てっぽう)さのきずあとが

 あったていうわけさ。
   本間さまも、なんとなくきしょくわりい気がしたそうな。  

 けっこくきず口をあらって、 こうやくさぬってやったそうな。

そのつぎの夜、
  「昨夜はありがとうございました。 たいそう楽になりました。 もう三日(みっか)分ほどのお薬(くすり)

 をいただきとうございます。」
    「そりゃあけっこうだ。  そりゃあそうと あんたはどこのお人じゃな。」
    「はい・・・・・・・・。 善勝寺(ぜんしょうじ)の者でございます。」
  けっこいおなごはな 三日分の薬をもらうが早いか、 あっというまに、すがたを消してしまったそうな。
    「今のむすめごは、 善勝寺の者といったが、 あの寺にあんなむすめごがござったかな。」
   本間さまがしきりに考えていなすっているところに、 

たまたま善勝寺のだん家(か)の一人(ひとり)きおった。
  本間さまは 昨夜らいのことを、 ことこまかに話した。
    「善勝寺にゃあ、 むすめごなぞいんずらやあ(いないでしょう)。」
    「そんなことはない。 はっきり善勝寺の者といったさ。」
   二人は、 いいあらそいになっちまった。
    「いくら本間さまがそういいはっても、 むすめごはいんらよう(いないでしょう)。 
   ふんだけいが(だけれども)、 おらにちょいっと思いあたるふしがござりやす(ございます)。」
 本間さまは、なんとも気持ちがすっきりしなかったそうな。

つぎの日の午後、 本間さまは、往診(おうしん)のかえり道、善勝寺に立ちよってみたそうな。
 そのころといってもな、なんでも百年ぐらいも前のことらしいがの、 

善勝寺はうっそうと木がしげった、 そりゃあさびしい山寺だったそうよ。 
   広い境内(けいだい)
   昼間(ひるま)ですらうす暗く、 キツネやタヌキのすみかにゃあ、 ええあんばいの山寺だった

というわけさ。
   そんだもんでな、善勝寺の本堂(ほおんどう)のえんの下にゃあ、キツネの一家(いっか)がすみおるという、
 村のしゅうのもっぱらのひょうばんだったげいな。
  本間さまは、 山寺のどえらく大きな木のかげに身をちぢめて、 そうっと、 本堂のあたりをながめおったと。

そうすっと、本堂のえんの下から、足にこうやくをぬった

  キツネが出てきおった。

「やっぱりそうだったんじゃ。 おやまあ、あのこうやくを貝がらさらべったりつけおって。」
  本間さまあ、 あきれけえたそうな。
    「それにしても、 きれいなおなごにばけおって!」

 本間さまは、まるで子どものような明るいお顔になりなすって、にこにこしながらおやしきに帰ったげいな。

 

原話 小笠郡小笠町、戸塚花子  再話 山崎 郁          静岡のむかし話   日本標準

 26、 せんにんのミカン

むかしむかし、 木負(きしょう)(いまの沼津市)という村に、 彦兵衛という男が住んでいてな、    山にたくさんのミカンを作って、 くらしていたのじゃ。
   毎年、 山のミカンは、 えりゃあ(ひじょうに)たくさんなってな、
    「ことしゃあ、 なりがわりい(悪い)とかんぎゃあて(考えて)いたが、 いい実が、 

 うんとなって、 ふんとうに(ほんとうに)よかったなあや。」
    「おかげで、 おらあのくらしも、 もっとらくになるぞ。」
 などと話し合って、 おたぎゃあに(おたがいに)せいを出していたのじゃ。
 ある年のこと。
   一本の木だけ、 ミカンの実の一つもならにゃあのがあったのじゃ。
   彦兵衛は、 いろいろとかんぎゃあたけどな、 そのわけがわからにゃあので、 
    「いっそのこんだ、 こんな木なら、 根もとから切りたおしちまうべえか。」
   と、 家の者に言って、 おのを持って出かけたのじゃ。
   彦兵衛はな、 山に行って、 このミカンの木の下に立って、 またも、
    「おかしいなあ。 この木だけ、 実がならにゃあというのは、 どういうわけずら。」

 とかんぎゃあこんでいたが、 ひょっと、 木の根もとにねころんでしまったのじゃ。 

なにげなく上を見ると、
    「あっ。」

とおどろいたのもむりはにゃあ、 ちょうど木のまん中あたりの葉っぱのかげに、

ええかん(そうとう)、 できゃあミカンが、 

   一つだけなっているのを

   めっきゃあた(見つけた)のじゃ。

「ふしぎなことだなあ、 わしゃあ、 なんにもなっちゃあいにゃあと思っていたが、 一つだけでもなっていたというなあ、

 うれしいこんだ。
   たった一つでもミカンはミカン。  これをでゃあじに(だいじに)育ててみべえ。」
   と、 ひとりごとを言いながら、彦兵衛は、 明りい顔で家へきゃあったのだ。 

   それからは、毎日、しごとにせいを出し、 このミカンの実がでっかくなるのを楽しみにしていたのじゃ。
   ところが、 びっくりしたことにゃあ、彦兵衛が山へ行くたんびに、 このミカンの実は、 どんどんと、 

 でかくなっていくじゃあにゃあか。 とうとう、
   ひとかかえもあるおおきさになってな、 実が地面に付いてしまくりゃあになっちまったのじゃ。
   そこで、彦兵衛は、
    「もう、 そろそろ、 とってもいいころずら。」
   といって、なたで、 この実を、 切りとろうとしたのじゃ。
   そのとき、
    「まて、 まて。」

という声がミカンの中から聞けえてきたじゃあにゃあか。  びっくらした彦兵衛は、 

切りとるのをやめて、 しばらくようすをうかがっているとな、
    「パチン・・・・・・。 パチン・・・・・・。」
   という音や、 なにやら人の話し声が聞けえてくるのに気づいたのじゃ。  

「ふしぎだなあ。」 と思った彦兵衛は、 
   そっとミカンにあなをあけて中をのじいて(のぞいて)みるとな、
   おどろいたことにゃあ、 中では、 やせたとしよりが二人(ふたり)

 向かい合って ご うっていたのじゃ。
  彦兵衛は、 ゆめでも見ているような心もちになってな、なおも中のようすをのじいていたのじゃ。  

どうやらこの勝負は、 こっちを向いているとしよりが負けて
   いるとめえて(見えて)、 しきりに頭をひねったり、うなったりしているのじゃ。

   やがて、顔を上げて 彦兵衛をめっけて(見つけて)、 にっこりとわらったのでな、

 彦兵衛も、 にこっとわらい返したのじゃ。
 彦兵衛はな、自分も ご がすきなところから、
 あなをもう少しひろげて、そのとしよりに、 勝目(かちめ)のあることを教えてやるとな、

 やがて、 負けていた ご がもりきゃあしてきた(もりかえしてきた)のじゃ。
相手が急に強くなったのでふしぎに思ったもうひとりのとしよりも、

外で彦兵衛が

   立っているのにきがついてな、

   おたがいに、 顔を見合わせた

   かと思うと、

    「ワッハッハッハ。」

   と、 大わらいしたのじゃ。

 彦兵衛がな、 あっけにとられていると、急に、せなかを向けていたとしよりが ご石を彦兵衛めがけて

投げつけたのじゃ。  はっと身をふせた彦兵衛が、しばらくして、 おっかなびっくりで顔を上げてみると、 

そこには二人のとしよりも、 あの大きなミカンの実も、 消えてしまっていたのじゃ。
  よく見ると、 ミカンの種(たね)が、 たくさんちらばっていたので、 彦兵衛はな、 

この種をひろいあつめて、 この木の近くにまいたのじゃ。

  一年たって芽(め)が出たかと思うと、 三年めに花がさいてな、 大きな実が、 いっぱいなったのじゃ。
   木の実は、 今までのミカンの実とはちがって、 てゃあへん(たいへん)あみゃあ(あまい)ので、

 「木負(きしょう)のミカン」 てな、 有名になったということだよなあ。

 

原話「沼津市誌」  再話・益田 實       静岡のむかし話   日本標準

27、歌まね失敗

むがし、ある村の茂作さんていう家で、宅納いって、村の一年中の仕事の決算報告して、

後でみんなでお酒盛りすることしたて。  茂作さんの嫁(かか)さはとっても利口な人で、 

朝からのごちそう作りで、ちょこちょこと鼠(ねずみ)のようによく働いたと。 

ところが何回か座敷へごちそうを運んでいて、ちょっとしたはずみで、硯箱(すずりばこ)

足をひっかけてしまったと。

それで茂作さんが、

 

「なんだて、 足もとをよっく見て歩くもんだ」

 

と、大勢の前でこごとを言ったと。したら嫁さは、ちゃんと畳に膝をついて、すぐ、

 

「書くための硯箱、 文書いた(踏み欠いた)とて恥になるまい」

 

って歌を詠んだと。そしたら村の衆たち、

 

「なんて賢い嫁さだ」

 

「機転のきくよい嫁さだ」

 

と口々にほめあげたと。それで、宅納から帰った人々が、この話をあちこちで語ったと。それから一年たって、 

また宅納の日がやってきたと。

それで今度は、権蔵さんの家が宿になったと。権蔵さんの嫁さも、朝から一生懸命働いてごちそう作ったと。

あれこれとお客の接待で座敷に出入りしていると、

運悪く、プーッと大きな屁をひってしまったと。そしたら権蔵さんが、

 

「なんて行儀の悪い」

と、まっ赤になって叱ったら、この嫁さ、とっさに一年前の茂作さんの嫁さの真似をして、

 

「ひるための尻(けつつ)の穴、 屁をひったとて恥になるまい」

って歌を詠んだと。そしたら村の衆たち、みんな黙ってしまったって。

 

どうびん。

 

山形県「 大井沢中村の民俗」 語り、松田あきゑ    「 日本の昔話(下)」  稲田浩二編    ちくま学芸文庫 

 

28、千両倉より子は宝

昔ある所に、小さな村がありましてん。ほいてそこい殿様がおいでになってな、


「宝比べをするからな、 家にある宝物はみんな家(うち)へ出してくれえ」

と言(ゆ)われましたんですねて。

ほいて、


「一番良(え)え宝物には沢山の御褒美(ごほうび)をあげる」って。

ほしたら村の人はな、大変喜んで、ほして面々に(めいめいに)その家の宝物を、殿様の家へ持って行かれたそうです。
ところがある一軒のな、貧しい家庭には、何にもだすような宝物はあらしません。せやから家にはな、子供が沢山いるからな、

この子供を出そうか
というような事になってな、で、そこの御主人がな、大きな子から順番に並ばして。ほして

一つになる子を背なに負い、 

二つになる子を横に抱き、
三つになる子の手を引いて、 
殿様の家へ行かれましてんて
そしたら殿様はそれを御覧になってな、大変おほめの言葉を頂いて。ほて、

    

「ここに沢山にその、宝物は出ているけれども、この子宝が一等である」

 

と言うてな、子宝に沢山な褒美を差し上げられたということですね。

それで昔からな、{千両倉より子は宝}というて、


「子は一人でもよけ生んで、大きせにゃあかん」

ちゅうて、お爺さんがな、そんな話ようしてくれはりましたんです。

 

 京都府「山城和束の昔話」、京都府立総合資料館  ・ 昔話十二ヶ月 五月の巻き  松谷みよ子編    講談社文庫

29、猿とふき蛙

とんと昔あったげど。
猿とふき蛙(ひき蛙)が裏の山で、バッタリ出会うた。


「ふきどん、ふきどん、ふさの(久しぶり)こんだねか。下の村の六兵衛どんの家でさないぶる(田植祝)の餅つく音が、

ストンストンとするが、ンまげな音するねか。お前、食いたくないか」

ほうしるとふき蛙がよだれをたらして、

「いや、猿どん、おらもあの餅を食いたいな」

 

「ほうしゃ(それでは)どうだ、二人であの餅を盗んで食おうねか。おさま(お前)は、六兵衛の裏の池へとびこんで、

赤ん坊の落ちたまねをせいや。

ほうしると大さわぎになるすけ、そのこまに(そのすきに)、おらは餅の入っている臼をぶて、ここまで持ってくることにしょう」


猿とふき蛙は相談して、六兵衛の家に出かけた。ふき蛙は池の中へダボンととびこんで、赤ん坊が落ちたようなまねをしたれば、
「そら、子供が池へ落ちた」


と大さわぎになって、餅をつくがやめて、池へとんで行った。そのこまに、猿は荷縄で餅の入った臼を負(ぷ)い出して、

裏山に来た。 
猿が待っていると、ふき蛙がパッタラパッタラと上って来た。


「ふきどん、ふきどん、早く来いや、餅がさめるど」


「猿どん、猿どん、ンまげの餅だねか、二人でゆっくり食おうで」


猿は臼の餅を手前ばっか一人で食いたいと、

よくをおこして、ふきどん、ふきどん、これっぽちの餅を、二人で食ても半腹だんが、向こうの山の上から臼をころがして、

早く取ったん勝ちにして食おうねか」

 

「そうか、そうか」

 

ほうして猿とふき蛙は、山の上にあがって臼をころがすことになった。

 

「さあ, ふきどん、ころがすでや」


「猿どん、猿どん、ちっと待ってくられも。おらにも臼の中の餅をよく見せてから、ころがしてくられも」


と、ふき蛙は臼の中を覗(のぞ)きこんで、よだれ油をたらしこんで、臼がころがると、餅がとびだすようにしておいた。

 

「さあ、 猿どん、 ころがしてくんなやれや」


猿はコロコロと臼をころがして、先になり後になりして臼についてとんで行った。臼は下の田んぼのどこまでころがって、猿が、

 

「やれやれ、これで一人で餅をらくらくと食われるど」


と喜んで、臼の中を見たれば餅がなかったと。こりゃ、おおごとだと、猿は後戻りして山を上ってきた。
臼がころがり出すと、ふき蛙のつけたよだれ油で、中の餅がすぐにとび出して、ろうっぱ(うつぎの木)のかぶつ(かぶ)

にひっかかった。ふき蛙は
パッタラパッタラと出かけて、その木の上にあがって餅を食いはねた。猿が臼について行って、

からっぽの臼を見てたまげて上って来たれば、

ふき蛙がろうっぱのかぶつににあがって、腹を太鼓のようにして餅を食ていた。

 

「やはいやはい(いやいやつまらない)餅はンなふきどんにとられてしもた」

 

と思うて、食いたげにして見ていたれば、ふき蛙が、
    

「猿どん、猿どん、お前の腹はごうぎ(大変)でっこいが、下まで行って臼の餅をンな食って来たか。

おらは、ちっとばか落ちていた餅を拾うて、
今食ているどこだ。猿どん、おさまは腹くっちゃい(腹一杯)だろすけ、そこへ休みなほれ」


と言うたと。猿は腹をペコペコにして、ふき蛙の餅を食うどこを見ていて、 

 

「ふきどん、ふきどん、その餅のさがった方から食いなれも」
 

と言うたれば、ふき蛙は、

 

「さがった方から食おうと、あがった方から食おうと、ふきがもんはふきが好き、好き」


と言うて見せびらかして食ていた。猿は腹立ちまぎれに、たれさがっている餅に、屁をプーとこいて逃げ出した。

ひき蛙は手につば油をつけて
餅をちぎって、猿のけつ(尻)へ投げつけた。あっちゃい(あつい)餅が猿のけつにくっついて、やけどして赤くなり、

それで今もまで猿のけつがまっかだと。
ふき蛙は餅をさんざ食て、でっこい腹になり、今もでっこい腹だと。
これで、いちごさけさんだわら、鍋の下ガチャガチャ。

 

 新潟県・「とんと昔があったげど」 第二集 ・ 水沢謙一・未来社 。昔話十二月 、五月の巻  松谷みよ子編 講談社文庫  

 30、春の空気

 むかし、むかし、あるところに小さなお寺がたっていたど。このお寺には、

おしょうさまとこぼっこ(小ぞうさん)と、ふたりすんでいるだけだったど。

春のある日のこと、おしょうさまが庭に出て、

 

「ああ、なんぼ(とても)
春の空気じもの(というものは)
いいもんだべ。」

 

って、しゃべっていたが、


「そんだ(そうだ)。ふたのついたかめの中さ、春の、この空気ばへで(入れて)おいで、冬になってから、
すったら、なんぼいいがさ(いいだろう)。」


 って、ひとりごとしゃべって、さっそく、かめに空気ば入れて、ピンとふたばしておいたど。
こぼっこは、それとも知らねえで、秋のごみそうじのとき、かめのふたばとってみたら、{春の空気}って、

書かれた紙きれといっしょに、

スーって、いい空気が、はなさにおってきたど。こぼっこあ、

 

「あっ、しまった。おしょうさまのかぐしていだもの、あげてしまった。」

 

と思ったども、もうおそいじおん(おそかったそうだ)。そこで、


「ようし、 すこしいたずらしてやれ。」


 って、こぼっこぁ、春の空気ばぜんぶ出して、そのかわり、そのかめにけっつ(おしり)ばあてて、プーって屁(へ)
ば入れて、

そのまま、ふたしておいたど
冬になって、おしょうさまが、春の空気のこと思い出して、かめのふたばとってみたら、プーンって、くさいにおいしたど。

したら、おしょうさま、

 

「春入れだ空気ぁ、 

夏のうじに(うちに)
あめで(くさって)まったじゃ。」


ってしゃべったど。 とっちりぱれ。

 青森のむかし話  津軽  文、川村正雄    青森県小学校国語研究会・青森県児童文学研究会 編著    日本標準

31、仙人の教え

 とんとむかし、盲の母をもった孝行な息子があったげな。盲でもその息子は親孝行で、

日にち毎日わらじを作って、それを売って、 その銭で何でも親の好きなものを買うて進ぜる。


「こんな孝行息子は、世界中さがしてもそんがにあるまい。私もそのことは幸せじゃが、目の見えんだけが悲しい」


と母親は喜んだり、悔やんだりしよったそうな。子供はあんまり母親が悔やむもんで、

どうぞして目の見えるよう直してやりたいと思いよった。 母親は、


「神仏に頼んで信心しよったが、七十年も信心したのに直らんのじゃきに、今さら信心でもあるまい。

生まれつき目が見えんのじゃきに、

何ちゃ自分が悪いことしたり、神仏の罰(ばち)があたったきに、見えんようになったのでもない」


 と言うて、あきらめてしもうとった。

しかし息子はそれでも直してやりたい一心で、一生懸命神仏を祈りよったら、夢のお告げがあった。

山に仙人世界というのがある。そこの仙人に頼めと言うお告げだったそうな。次の朝、早う起きて、

 

仙人はどこにおるんぞ」


と言うて、近所で聞いてまわったが、誰っちゃ知っとる衆(し)はない。
    

「海に竜宮世界というのがあるんじゃきに、山に仙人世界というのがあっても不思議なこたあない。とにかく遠い山じゃ。

そこにおるに違いない」


と息子は考えたので、麦(ばく)を煎(い)っておちらしをどっさり碾(ひ)いた。そのおちらしを袋に入れて背に負い、

仙人世界をさがしにでかけた。
家を出てしばらく行きよると、この村で一番の長者に出会うた。

 

「朝早うからどこへ行きよる」

 

と言うので、

「私は母親の目を治したいきに、仙人の所へ行きよる」

 

と返事した。そしたら長者は、

 

「それはちょうどよいところじゃ、私の娘が、もう指折り数えて三年三月、つらいことにゃ病気で寝よる。

どうぞして直したいが、どうしたら直るか、きいてきてたもるまいか」


と言う。

 

「楽なことじゃ」
   

と請け負うて、長者と別れてまた道を出かけた。そして行きよったら、日が暮れかけたので百姓家で宿を借りて泊まった。

そしたら、その百姓家の主人が、

 

「どこへ行きよるんぞ」


とたずねた。


「母親の目を直したいので、仙人の所へ行きよる」


と答えた。そしたら、

 

「それはちょうどよいところじゃ。 」

 

「うちの裏に三本あるみかんの木が、三年このかた一つも実がならん。どうしてならんのかきいてきてくれまいか」

 

と頼むので、


「よしよし、楽なことじゃ」

 

と請け負うた。そして、あくる朝はとうから起きて、また出かけた。それからだんだん行きよると、山へかかった。

山を越えた。迫(さこ)[山ひだ]も超えた。
七谷、八谷、千谷、万谷越えて山の奥へ来た。そしたら山もあがれん、谷も通れん崖(たき)っこうの下へ来た。

 

「さて、困った。あぶか蠅(はえ)なら飛んであがれもするが、どうも人間にはあがる道がない」


そしたら、崖の上の穴から大蛇が鎌首ふり立てて、十二の角もふり立てて、

茶びんのふたくらいある大けな眼(まなこ)でにらまえた。そして、

    

「お前はどこへ行きよるんなら」

 

と、たずねた。恐(おと)ろしいが逃げることもできん。


「私は母親の目を直してもらいに仙人のところへ行きよるが、道がなしによわっとる」


と返事をした。そしたら、

 

「それはちょうどよいところじゃ。心配するこたあない。わしが上へ上へあげてやるきに、わしの頼みを聞いてくれんか」


と言うた。

 

「頼みとは何(なん)ぞ。」

 

と、聞いたら

 

「わしは海に千年、川に千年、山に千年修行したが、どうしても天に昇れん。何ぞの罪で昇れんのかきいてきてくれんか」

 

と言う。


「それはやすいことじゃが、手かこ(手がかり)がないきに、ここから上へどうしてもあがれん」


と言うたら、
    

「よし、それなら心配するな。一寸(ちいと)ない待っとれ」


と言うと、穴の中に一ぺん引っ込んだ。そしたらすぐに三十三尋(ひろ)のへんぼ(尾)がぶら下がって、
腰をきりきりと巻いたと思ったら、ブーンと上へはねあげた。

 

「さあ、早よ行って来いよ」
   

と言うので、

 

「これは、えらいお世話になりました」


と礼を言うて、また出かけた。それからの道はだんだんけわしい、迫(さこ)から谷、谷からうね、木に取り付いたり、
(つる)に取りついたりしてあがり、草の間を押し分け押し分け進んだ。もう、天竺(てんじく)に近いと思うところまで来ると、

普請(ふしん)が見える。
 

「やあ、でかした。仙人の家じゃ。さだめし立派な普請だろう」

 

と、おそるおそる近寄ってみると、あんまり普請は大きゅうはない。その家に爺さん婆さんが座りよった。

 

「仙人界の、仙人さんのお宅はここでござりますか」

 

と、たずねたら、

    

「そうじゃ、上へおあがり」


と言うてくれた。それで座敷へあがり、

 

「仙人さん、私はわらじ作りを渡世にしよりますが、この度(たび)おたずねしたいことがありまして参じました。

どうぞ、教えて下され」


と頼みこんだ。そしたら、

 

「今日は三つより用件がかなわんが、そのつもりで話してくだされ」


と言うた。それから、近寄ってよう見ると、頭には霜、額には四海波のおじいさんで、囲炉裏(ゆるり)にあたりよる。

その側まで寄って、
おじいさんの前に座ったものの、用件は四つある。それを三つしかきいてくれんという。


「よしよし、我(わ)んくのことはまた出直し、ききにきてもよい。頼まれたのを先にきいて帰ろう」


と心に決めた。

 

「仙人さん、私の村の長者の娘が、床について三年三月もわずろうておりますが、どうしたなら直りましょうか」

 

と第一にきいた。そしたら、
「それは心配いらん。今度、初めて顔を会わした人を婿(もこ)さんにすれば、すぐ直る」


と教えてくれた。それで、第二番目をきいた。


「それでは仙人さん、道端の百姓家で、三年続けてみかんの木に実がならんというのは、どういうわけでござりましょうか」


ときいたら、

 

「それは、その木の根元に千両箱が埋(い)けてあるきに、金の毒気で実がならんのじゃ。その千両箱えお掘り出したら、

年嫌いせずなるようになる」

 

と教えてくれた。

 

「それでは仙人さん、三番目のおたずねじゃが、ふもとの崖の穴におる大蛇は、{何ぼ修行しても天に昇れん}と言いよりますが、そのわけを教えて下され」
   

と言うたら、

 

「それは、大蛇の頭に、じゃこつ石という石の玉がある。その玉を取って、捨てたら願いがかなう」

 

と、三つの願いを教えてくれた。
    

「ああ、それでわかりました。ありがとうございました」


と、仙人に礼を言うて、帰ることになった。おいとま乞いをして、仙人の家を出て崖のところまで戻んて来ると、

大蛇が首を長(なご)うして待ちよる。
「石を取ったら、願いがかなう」


と仙人の教えを伝えてやると


「そんなら、我手(わがで)にわが頭のものは取れんきに、取ってくれんか」
   

と言う。
「私は刀もさしとらんし、切れものもないきに、それはでけん」


と断った。そしたら、


「わしの尾ばたのところに剣がある。それで取ってくれんか」


と言う。尾ばたのところを見たら剣があった。その刀を引っこ抜いて、

 

「痛うても我慢せい」


と言うて、頭の上のこぶを切り開いたら、なるほど石の玉がある。手をつっこんで、それを取ってやると 大蛇は、

 

「わしもこれで長年の願いはかなう。お前もきげんように帰れよ」

 

と言うて、玉も剣もくれたうえ、崖の上から下へおろしてくれた。そして、下から見よると、天から黒雲がおりて来て、

火の玉になって大蛇は天に昇ってしもうた。

それで、その男は剣と玉をひっさげて、行きしなに泊まった百姓家まで戻んて来た。そしたら、そこの主人が出て来て、 

 

「よう行ってきたな。疲れつろう。早う上におあがり」


と言ってくれた。座敷へ通ると、


「さっそくじゃが、私の願いはどうだったぞえ」


と聞いたので、

 

「それは、みかんの木の根元を掘ったらわかる」

 

と仙人の教えを言うてやった。
主人は喜んで、お御馳走(ごっつおう)してくれて、一晩泊まった。あくる日、三本のみかんの木の根元を、掘ってみたら、

一本の木に一箱ずつ 

千両箱が埋(い)けてあった。それをみんな取り出して、お礼に一箱くれた。

それから、その百姓家の主人に、おいとま乞いをして、玉と剣と千両箱をさげて、 我んくへ戻んてくる。

道で長者の家に寄った。


「長者殿、あなたの頼みは、初めて娘さんが会うた人を婿さんにしたら直る」


と教えてやった。そしたら、長者は、


「それは、ありがたい。そんなら、あがって茶でも飲んでくれ」


と言うので、座敷にあがった。うまいお菓子も出してくれて茶を飲みよると、次の間に寝よる娘が唐紙(からかみ)をあけて、

「私のことで、 お世話になりました」

 

と礼を言うて、這(は)うて出て来た。そして、顔を見合わせたら、腰もしゃんとして歩けるようになった。そしたら長者は、

 

「初めて見たのはお前じゃ。病気も直ったきに、婿になってくれ」


と言うた。


「それは弱った。それでは、目は見えんが母親もあることじゃ。それにすまん、まあ、往(い)んで相談してくる」


と返事して、急いで我んくへ走って戻んた。家に入るなり、


「お母さん、すまんことをした。 道で三つも頼まれた用件が出来て、人は三つこそ教えてくれんきに、
 お前の目のことはきけざった。どうせまたでかけるきに、こらえておやり」

 

と言うて、座敷へあがって来た。それから座って、道中の話を聞かして、

「これが石の玉で、これが剣じゃ」


とさし出した。母親は、目が見えんので、さなぐりながら玉にさわると、たちまち目がぱっちりとあいた。息子は泣いて喜んだ。
それから、息子は長者の婿さんになって、みんな長生きして、みんな幸せに暮らしたと。人のためになることをしよったら、

わあにも福がふってくるとはこのことじゃ。と言うて、座敷へあがって来た。それから座って、道中の話を聞かして、

 

「これが石の玉で、これが剣じゃ」

 

とさし出した。母親は、目が見えんので、さなぐりながら玉にさわると、たちまち目がぱっちりとあいた。息子は泣いて喜んだ。
それから、息子は長者の婿さんになって、みんな長生きして、みんな幸せに暮らしたと。人のためになることをしよったら、

わあにも福がふってくるとはこのことじゃ。

 

(徳島県・「東租谷昔話集」・細川頼重・岩崎美術社)     (昔話十二か月・・五月の巻   松谷みよ子編) 講談社文庫 

32、とのさまとネギと大根

むかし、とのさまが家来たちと、山の小さな村に立ち寄られた。とのさまのようなえらい方が来るのは初めてのことだったので、

村人たちは、それは、もう大さわぎ。

 

「まちがいのないように、おむかえしなければな。」
   

村人たちが、こちこちにきんちょうして,待っているところへ、とのさまと家来たちがとう着した。
ちょうどお昼時だったので、

 

「村の名物のそばをさし上げよう。」

 

と、村人たちが、うでによりをかけてそばを打って出すと、とのさまが言った。

 

「うまそうじゃな。だが、やく味がないぞ。」


村人たちは、顔を見合わせた。
「やく味って何だ?」


「さあ、おらあ、知らん。」

 

「じゃあ、ご家来に聞いてみよう。」


あのう、やく味って、何のことですか。」

 

「なんだ、やく味も知らんのか。やく味とはな、ネギのことだ。」

 

村人たちは、ほっとむねをなでおろして、うなずき合った。


「ねぎどの(神主さん)のことだと」


「ではねぎどのを連れてこよう。」
   

足の速い村人が走っていって、神社からねぎどのを引っぱってきた。
    

「あのう、ねぎがまいりましたが。」

   

おそるおそる申し出た村人に、家来は、いばりくさって言いました。
   

「とのさまは、そばを食べてしまわれたぞ。ネギなら台所のすみにでも置いておけ。」

 

「はい、まかりました。」

 

村人は言われたとおり、ねぎどのを、台所のすみに立たせておいた。

 

「昼はそばだったから、夕食は、もちを食べていただこう。」


「村のごちそうは、もちだからな。」


村人たちは、ぺったらこ、ぺったらこと、もちをついて、とのさまにさし上げた。すると、家来が言った。
    

「とのさまは、からみがいいと言われている。」
  

「からみ? からみとはからしのことで?」
   

「ちがう、ちがう。大根おろしのことだ。」

 

村人たちは、大根はよく知っているが、がわからない。

  

「さて、どうおろしたらいいんだろう。」
    

「そうだ、いいことがあるぞ。」

 

村人たちは、 天井うらに上がると、 とのさまのいる部屋の天井板をはがした。  

それから、 大声を上げて大根をなげおた。

「とのさま、ほーれ、大根おろし!」

「こ、これは、いったい何ごとじゃ。」

 

とのさまは、 大根ぜめにあってびっくり。少したって、さわぎがおさまると、村人たちは、また、おそるおそるたずねた。
 

「とのさま、台所のねぎどのが弱っております。どうしたらよろしいでしょう。」


「よわったネギは、首を出して土にうめろ。」

 

首だけ出して畑にうめられたねぎどのは、苦しがって、顔はまっさお村人たちは、あわてて、とのさまにたずねた。

 

「畑のねぎどのが苦しがっておりますが。」


「では、こやしのかわりに、小便でもかけておけ。」


村人たちに、小便をかけられたねぎどのは、大声を上げて、さわぎたてた。


「こんなうるさい村には、もうおられん。」


とのさまと家来たちは、あきれかえって、にげていったということだ。

 

      日本 人気昔ばなし210話  文・岡 信子    市原悦子監修   主婦と生活社

 

33、みそ買い橋

むかし、ひだの国はのりくら岳のふもとの沢上という村に、長吉という正直な炭やきがおった。ある晩寝ておると、

ゆめの中にだれやらが出てきて、


「おい長吉、高山の町へ行って、みそ買い橋の上に行って立ってみちょれ。きっといいことがあるだぞ。」


といって教えた。長吉は、さっそく、商売の炭をせおうて、高山の町へ行って、炭は売ってしもうて、それからみそ買い橋の上へ

行ってじっと立っておったけれどもが、なんのこともない。いちにちじゅう立っておって、二日目もずっと立っておって、

三日、四日と、いちにちじゅうじっと立っておったけれどもが、やっぱりなんのいいこともなかった。長吉は、

 

「こら、はあ、いくら立ってもなんということもない。きょうでなにごともおこらなんだら、おら、はあ、もうもどるだぞ。」

 

と思いながら、五日目もいちにち橋の上に立っておった。
すると、その日のくれがたに、橋のたもとの、とうふ屋のおやじがそばへよってきていうには、
    

「おらが見ちょるに、おめえは、はあ、この橋の上に、もう五日も立ったまんまだが、いってえなんのこったの。」


と、たずねた。そこで、長吉は、あの晩に見たゆめのはなしをした。すると、とうふ屋は、大笑いに笑って、


「おめえもよっぽどのんびりとしたほうだの。」

 

ゆめのはなしなんか まにうけて、こんな橋の上に、五日も立っちょるもんがあるもんだか。」

 

といいながら、まだ笑いがとまらないで大笑いをつづけながら、
  

「おらも、このあいだ、ゆめを見たわ。なんでも、のりくら岳のふもとの、沢上という村に、長吉という男がおっての。」
   

といいかけたから、長吉は、
   

「えっ」

 

という声がのどまでとび出しかけたが、だまってとうふ屋のかおを見ておると、とうふ屋は、


「長吉という男がおっての、そのうちの庭に杉の木がはえておっての、

その杉の木の根がたをほれば、金や銀がどれだけでも出てくるというゆめだったがの、
おら、沢上なんちゅう村が、あるやらないやら知らんし、あったところで、おめえ、ゆめのはなしを、あっはっはっは」
  

と、まだ笑いがとまらないようすであった。長吉は、もうがまんできず、

 

「それは、どうも、ごめんなんしょ」


といったかと思うと、のりくら岳のふもとの沢上という村の、じぶんのうちへ、ちゅうをとんで、かけてもどって庭の杉の根がたをほったら、金や銀が
ざっくざっくと出てきた。それで長吉は、村一ばんの長者どんになったそうな。

 

           日本民話選      木下順二作     岩波少年文庫  179  

 

34、 猫檀家(ねこだんか)

  むかし、むかし、世間からは忘れてしまったような、貧しい山寺に、

たいへん齢をとった和尚さんがあった。

もう九十にも余る年ともいわれて、今では夜となく昼となく、ただウトウトと眠ってばかりいた。
こうして、和尚さんはさびしい暮らしなので、これも年老いた虎猫を、自分の子どものように可愛がって飼っていた。

が、この猫も和尚さんと同じように、いつも炉端で居眠りばかりしていた。ある日のことである。

この虎猫が和尚さんに向かって、こんなことを云った。


「和尚さま、和尚さま、お前さまも大分齢をとったで、世間では相手にしなくなって来たな。おらもずいぶん長いこと、

お世話になって、もう化けるような
齢になってしまった。したども、何とかその恩返しをしたいと思ってなぁ。」

 

という。和尚さんは猫が口をきいたので、びっくりして、

 

「虎や、わしとお前は、もう何も考えんで、ここおにこうしておれば、それでいいんだでや。」


すると、猫は、

 

「和尚さま、おらはこのごろ、いいことを聞きこんだで、和尚さまさ教えべと思っていた。この寺をもう一ぺん繁盛させて、

和尚さまにも安楽させたいと思うだ。
それは近いうちに、長者どんの一人娘が死ぬ。その葬式の時に、おらが娘の棺桶さ、中空に釣り上げているから、

和尚さまが来てお経を読んでけろや。

そして、 そのお経の中に

 

「南無トラヤヤ、 トラヤヤ」

と声を掛けたら、おらがその棺桶を下へおろすべ。」

 

と、いうのである。
そうこうしているうちに、猫のことば通りに、長者どんの一人娘が、病気で死んだ。長者どんは、可愛いい娘が死んだことなので、あらゆる寺の和尚さんたちを

招いて、葬式をだした。

 

 が、 この山寺の和尚さんだけは、誰からも忘れられていて、招かれはしなかった。

ともかくも、葬式は誰も見たこともないような、

立派なものであった。葬式の行列は、いよいよ野辺に送られて、その長い行列がやがて卵塔場まわりを、はじめた時である。

どうしたことか、

派に飾り立てられたその棺桶は、しずしずと天へ釣り上げっていって、高い高い中空に懸ってしまったではないか。
あまりのふしぎさに、人びとはおどろき騒ぎ、大勢の和尚さんたちも一斉に、秘伝のお経を読んだり、数珠をもんだりしたが、

何の効果もあらわさなかった。
さぁ、長者どんは、おいおい声を上げて泣き悲しみながら、


「それ、早う早う、何をしとるだ。おろしてやってけろ。」


と叫び出し、村の人たちも一緒になって、験のない大勢の和尚さんたちを罵りはじめた。そして、もう我慢ができなくなって、

長者どんは、

 

「まんず、棺桶をおろしてけろ。その者には一生の年貢米も上げるし、お寺普請もするだ。望みによっては、門も鐘撞堂も、

何でも寄進してやるべや。」


これを聞いた大勢の和尚さんたちは、一そう懸命になって、空を仰いで大声で叫びはじめた。しかし、

やっぱり何の験もあらわれなかった。


いよいよ困りはてた長者どんは、

 

「こりゃ、何としたもんだべ。誰かほかに和尚さんは、もう残っていないか。」


と聞くと、村の衆は、


「へえ、あの山寺の眠り和尚さんが、ひとりだけ残っているだ。しかし、連れて来ても役には立ちますめえ。」


といった。長者どんは、


「いやいや、そうでもなかんべさ。ともかくその和尚さんを、早う呼んでけろ。」


と、急いで迎えにやった。山寺の眠り和尚さんは、破れた法衣を着て、杖をついてしずかにやって来た。そして、草の上に座って、空を仰ぎ見ながら、

ゆっくりとお経を読みはじめた。こうして、もういい加減のところで、


「南無トラヤヤ、トラヤヤ・・・・・・・。」

 と、文句を誦(よ)みこんだ。

 朱塗りの駕籠(かご)に、 

 すると今までピッタリと、中空に動かないでいた棺桶は、

しずかに降りはじめ、やがて地上にすわった。
長者どんも村の衆たちも、みんな山寺の和尚さんの足下に、ひれ伏して拝み、和尚さんをほめ讃えた。

ほかの大勢の和尚さんたちは、これですっかりと
面目を失って、コソコソと逃げるようにして、帰って行った。

こういうわけで、葬式は山寺の眠り和尚さんだけが引導(いんどう)した。
長者どんは涙を流して、ありがたがり、
山寺の和尚さんを乗せて、寺へ送り帰した。

それから後というものは、貧しい山寺はたちまち建て直され、山門も鐘楼も作られて、見違えるような立派なお寺になった。

そして和尚さんは世間からは、
まるで生き仏のように崇められて、毎日山寺へは押すな押すなの参拝人が、あとを絶えず、見る見るうちに門前が、

町になったほどであるという。
   
    (岩手)

         ふるさとの民話      永田義直 編著            金園社 

35、河童の片腕

長平(ちょうへい)は、今年の夏、ほくほくやった(だった)。みごとなきゅうりが山ほどとれたからや。
ところがある朝、ふしぎなこんに(ことに)気いついた(気がついた)。今朝にかぎってまるまるとふとったきゅうりが

一本もありゃせん。


「こいつはおがしいわ(おかしいわ)。今まで、こげん(こんな)朝はなかったに。」


と思いながらも、べつにだれか畑に入った様子もない。

そのままにしとったが、一朝一朝、きゅうりは少なう(少なく)なっていくんや。
  

「いやあ、こりゃあたしかに、うり盗人の仕業や。ひとつふんづかまえてやろうやないか。」


夜明け前にきゅうり畑へでかけた長平は、木陰にかくれてじいっと待っとった。少したったら、来よった来よった。

のそのそと畑に入ってきたもんがおる。

ほうしてなあ(そうしてなあ)、きゅうりを、ちぎっては食いちぎっては食い、さもうんまそうに(うまそうに)

むしゃむしゃと食うとる。
じいっと見とった長平はおどろいてしもうた。そいつはどうも人間とは違うとる。二つの子どもくらいの大きさで赤っ黒うて

、裸の変な生きもんやったと。
おまけにその怪物は、うんまそうなきゅうりだけ、食うわ食うわ、恐ろしいほど食うとるんや。
長平は, たえかねた(がまんできなくなった)。恐ろしさも忘れて

飛び出して、いきなり棒っきれをおっとり(手にとって)なぐり倒してしもうたと。やっぱしそいつは人間やのうて(ではなくて)

かわっぱやったが、

しばりあげ、ひいひい泣くやつを家まで引きずってきて見世物にしといたと。見物人は来るわ来るわ、

村じゅうの衆が見に来とったと。

ほうしてそのうちの一人が戯れに、水びしゃくでぽかっとなぐったんや。

ところがそのひしゃくの水がかわっぱの頭にかかったとたん、

ものすごい怪力で暴れだしてなあ。左手だけ残してそのまんま、うしろも見ずに大川さして(めがけて)逃げ失せてしもうた。
翌朝のこと。長平がきゅうり畑へ行こうすると、戸間口前にきのうのかわっぱが、しおしおとかしこまっとった。


「わたしは、この下(しも)に住んどるかわっぱです。今までだいじなきゅうりを盗(と) って、まことに申しわけありません。

きょうを限って、

悪さは決していたしませんゆえ、逃げるときちぎれ残した左の腕をおかえしください。」


泣き泣きあやまるかわっぱに、
    

「きょうを限りに悪いことせぬなら、返してやろうやないか。また、よく人間を淵にひきこむというけんども、

これも決してしてはならんぞ。」


と、ふびんさもつのって、左の腕を返してやったと。かわっぱは、うれしそうに長平を伏しおがみ、いそいそとして立ち去った。

その次の朝、長平の家のかけ鈎(かぎ)にはなあ、今とったばかりの川魚が、五、六ぴきもつりさげてある。

翌朝もその翌朝も魚は届けられたと。
こんなふうにずうっとの間、川魚は届けられとったというが、木のかけ鈎やったんで朽ちてしもうた(くさってしまった)
そこで今度は朽ちぬようにと鉄の鈎を作ってかけといたと。ほうしたら翌朝からは、もう川魚をかけなくなってしもうたんやと。

 はなし/岐阜県高山市 小島千代蔵    野麦街道の民話   長野県松本美須々ケ高校文芸クラブ採集    たつのこ出版

   36、火つけのお使い

むかし、尾張の門間村(かどまむら)(今の木曽川町)に似覚寺(いかくじ)というりっぱなお寺がありました。
どっしりした本堂の屋根は、遠くの村からも見ることができました。ある晩のことです。ひとりのおじいさんが、

このお寺のあたりを通りかかりました。遠くから歩いてきたので、足がすっかり疲れていました。
 

「家も近くなったし、どれ,ひと休みして行こうかい。」


おじいさんは道ばたに腰をおろしました。そしてたばこを吸おうと、火打ち石をとりだしました。

’’カチ、カチ、カチ’’
石を打ちましたが、 うまく火がつきません。
’’カチ、カチ、カチ’’おじいさんは、何度もくり返しました。すると、向こうから松明(たいまつ)を持って、だれかがえっさ、

えっさやってくるのです。
真っ赤な火は長く尾を引いて、金色の火の粉がキラキラ散っています。おじいさんは、


「ちょうどいいものがきた。」
 

と、近づいてきた人を呼び止めました。やってきたのは、ほおかぶりをした野良着姿の男で、

このあたりで見たこともない人でした。


「なんぞ、わたしにご用ですかい。」
 

「いいところへきてくださった。ちょっと火をつけさせてもらえんかの。」
 

すると、男はおかしなことを言いました。
  

「これは尊い天の火だでの、貸してあげることはできませんのじゃ。」


「天の火?・・・・・・・・。」

 

「そこの似覚寺(いかくじ)さまを焼き払うように、天から授かった火ですわい。」


男のことばに、おじいさんはびっくりしましたが、何のことだかさっぱりわかりません。


「いったい、お前さんはどこからきなさったのじゃ。」
   

「天からですわい。わたしはそこの使いの者ですわ。では急ぎますんで。」
  

ぺこんと頭をさげると、男は松明(たいまつ)をふりふり行ってしまいました。

 

「へんな人じゃ、おおかた気でもふれてござるんじゃろ。」


おじいさんはそう言いながら、また、カチ、カチやりだしました。しばらくすると、なにかこげるようなにおいがして、

あたりがにわかに明るくなりました。

おじさんがおどろいてふり向くと、あの似覚寺(いかくじ)の大きな屋根が、すごい勢いで燃えているのです。

あの似覚寺(いかくじ)の大きな屋根が、
すごい勢いで燃えているのです。真っ赤なほのうが生きもののように、 暗い夜空をなめまわしています。

たくさんの火の粉が、金色のうずを巻いて空高く舞い上がり、あるいは花火のように広がって、

キラキラかがやきながら降り注いでいます。
その明るさは、まるでお日さまが落ちてきたように思えるほどでした。おじいさんは目をまるくして、

燃えるありさまに見とれていました。

ふいに火の粉が一つ飛んできて、足もとでパチンとはぜました。火の粉は、


「さ、たばこに火をつけなされ。」

 

と、すすめているようでした。おじいさんは、さっきの松明を持った男のことを思いだしました。すると急におそろしくなり、

その場にへなへなとすわりこんでしまいました。あとはもうむちゅうで、はうようにしてやっと家にもどりました。
こうしてひと晩のうちに、以覚寺は灰の山になってしまいました。村の人たちは、お寺がなぜ焼けたのかわかりませんでしたが、

いつとはなく
   

「なにかの天罰(てんばつ)があたったのじゃ。」


と、言うようになりました。

 

 続  愛知のむかし話 (葉栗郡)  文・児玉 昭         愛知県郷土資料刊行会編 

 

37、さる長者

むかし、ある村に、金持ちの家と、まずしい家が、となりどうしに、ありました。ある年の暮れ、神さまが、

人間の心を見るために、まずしいお坊さんの姿になって、その村に下りてきました。神さまは、始め、

金持ちの家にいきました。

 

「今ばん、ひとばん、とめてくだされ。」


「とんでもない。よその人に食べさせる物なんて、ありゃしない。おことわりだよ。」


金持ちは、とてもけちんぼで、そういって、戸をピシャリと閉めてしまいました。

神さまは、 次にまずしい家にいきました。


「今ばん、ひとばん、とめてくだされ。」


「さあ、どうぞ、どうぞ。ごちそうは何もないけど、いっしょに、なっぱのおかゆを食べながら、年こしじゃ。」


まずしい家のおじいさんとおばあさんは、やさしくお
坊さんを、むかえいれました。神さまは、家に入ると、おばあさんに、

 

「なべに水を入れて、なっぱを三枚入れて 火にかけなされ。」

といいました。おばあさんが、そのとおりにすると、なんと、おなべには、おいしそうなごちそうが、いっぱいできました。
次に神さまは、米つぶをとり出して、


「今度は、なべにこの米つぶ三つぶ入れて、火にかけなされ。」


おばあさんがそのとおりにすると、おいしそうなごはんが、おなべいっぱい、たけました。
三人はゆっくりごちそうを食べて、年こしをしました。
お正月になると、 神さまは、いいました。
       

「ひとばん、とめてもらったお礼じゃ。何かほしいものはないかな?」

 

おじいさんとおばあさんは、


「お金や品物なんぞ、ほしくねえ。ただむかしの若さにもどれたらなあ。」

と答えました。
  

「では、ふろをわかして、この黄色い粉を入れて、二人ではいりなされ。」


そのとおりにすると、おどろいたことに、おじいさんとおばあさんは、おふろの中でだんだんと若くなっていきました。
そして、とうとう最後には、十七、八の若さになったので、二人とも大よろこび。よくお礼をいって、神さまを送り出すと、

そろって、となりの金持ちの家へ、新年のあいさつにいきました。


「あけましておめでとうございます。」


金持ちの家では、若くなった二人におどろいて、わけをたずねました。

 

「じつは、 お坊さんが・・・・・・。」

 

と、ふたりが話すと、金持ちは、あわててお坊さんを、追いかけました。
そこで、お坊さんの姿をした神さまは、呼びもどされて、やってきました。


「さあ、わしらにも、何か、出してくれ。」


金持ちは、よくばりなので、何か もらいたくてたまりません。神さまは、 家の中を見回して、 いいました。
   

「こちらの家には、何でも、あるではないか。」

 

「わしらもみんな、となりのじいさん、ばあさんのように若くしてくれ。」


「では、ふろをわかして、この赤い粉を入れて、みんないっしょにはいりなされ。」


そのとおりにすると、なんと、金持ちの主人は夫婦は二匹のさるに、子供は犬に、下男は猫とヤギに、下女はねずみになってしまいました。
そして、キャッ、キャッ、ワンワン、ニャーニャー、メエーッ、チューチューと、大騒ぎ。そして、みんな、すろから飛び出すと、どこかへいってしまいました。
そこで、神さまは、となりの若くなったおじいさん、おばあさんを、金持ちの家へ連れてきて、そこで暮らすようにいいました。

戻ってきて、庭でさわいでいたさるの夫婦は、神さまが熱くしておいた石に座って、 びっくり。 
お尻を赤くすると、もう二度とやってきませんでした。

まずしかった二人は、 幸せに暮らすことができましたとさ。

 

       日本 昔ばなし全集     主婦と生活社

38、西行の歌くらべ

 昔ある所に、西行法師ちゅう坊さんがおったそうなげな。それがまあ、

昔のことじゃけえ、

諸国を修業しに出たそうな。そしたら、ちょうど今日のような暑いとても暑い日に

出て、行きよったら、

あるお宮の所へ行ったそうな。そいから、
   

「まあなんと涼しい。こりゃあええあんばいじゃ」


と、そこへべっかり腰をおろして、そいから休みよったら、

 

「一つここで、歌ぁ詠んじゃろう。あんまり涼しいけぇ」


と思うて、そいから、

 

(このほどに涼しき森でありながら、熱田が森とは神もいましめ )

       

ちゅうようなことを言うて、詠んだそうな、そうしたら、宮司さんが出て、

 

(西行の西という字は西とかく、東に向いてなぜに行くかな )

 

それで西行またそこで、歌で負けてしもうた。それからまた、ごそらごそら歩きよったら、また先い向けて進みよったら、

まあなんと暑うて暑うてやれん。

「困ったことじゃ」と。

 

 

「ここはどこじゃ、 ああ、 のどがかわいてやれんからお茶あ一ぱい飲みたい」

 

と思うて。それからある所へ、娘が二階で機ぁ織るのが聞きあたった。まあ昔のことじゃけん、機ぁ、

 

「チリントントン、チリントントン」


いわして、ええ音しておる。それで娘が機ぁ織りよった。それから、

 

「ここで一つ、あの娘の所で一つ、茶をもろうて飲もう」

 

と思うて、それから、
      

「もしもしねえさん、なんと暑うてやれんが、お茶を一ぱい恵んでくれんか」

ちゅうて言うたら、そいたら、戸をパチーンとたってかあ、家へ入ってしもうて、下へ降りたらしく、

 

「こんなやつ、やれんが、せっかく茶をもろうて飲もうと思ったに、茶を頼みやぁ、戸をたててしまいやがったけえ、

だめじゃのう。 一つ歌を詠んでやろう」

 

と思うて、そいから、

(パッチリとたった障子が茶になれば 旅する僧ののどはかわかん )

  

ちゅうて、まあ詠んだがな、そしたら娘がまた、家から詠んだそうな。

(シャンシャンとにえ経つまでの立て障子 すこし待たんせ旅の御僧 )

   

ちゅうて、また詠んだげな。

そいから、これはやられたのう、と思うて、それからまた歌にやられたけえ、また茶あをよう飲まんこうに先に進んでいった。
それから、だいぶん行きよ
たが、あつうてかなわんけえ、すこし木陰があって、谷端じゃったけえそこに亀が出て

昼寝をしよったそうな。

それから、

 

「よし、この、ほならこの亀の上にもってって、まあちっと、昔しゃあ、あの、大便を糞っちて言いよったげなけえ、

糞がひりとうなったけえ、

今度、この亀の背中にひりかけたろう」


と思うて、それから、亀の背中にもってって、糞をひりかけたそうな。
そしたら、亀がゴッソロ、ゴッソロ、

糞を負うて逃げはないたそうな。
そいから、こりゃあおもしろいと思うて、こんな歌詠んでやろうと思うて、

 

 (西行もいくらの修行もしてみたが 生き糞ひったはこれが始めて)   

  

ちゅうて、歌ぁ詠んだ。そしたら亀が、また歌ぁ詠んだ。

(道端に思わず知らず昼寝して 駄賃とらずの重荷背負い)

 

ちゅうて、詠んだそうな。こりゃあまたやられたと思うて。

それからまた行きよったら、下に谷川の方で十二、三の小娘がおってからに、菜を洗いよったそうな。
こりゃあその女が、西行法師を見て、いかにも気つけて見ておる。

 

「こな奴た、わしにほれやがったのう」

 

と思うて、それから一つ、歌ぁ詠んでやろうと思うて、

(十二や三の小娘が 恋路の道を知ることはなるまい)

             

ちゅうて、歌ぁ詠んだ。そしたらまた娘が、歌ぁ詠んだ、それから娘が

おおそれや谷あいのつつじ椿を御覧ない せいは小さいが花は咲きます)

    

ちゅうてまた詠んだげな。こりゃあやれん、と思うて、こりゃあまたやられた、と思うて。それからまた、ごそらごそら行きよったら、まあ広い所へ出たちゅう。

奥州の鳴瀬川ちゅう、川のほとりに出た。それから、まあおなかがすいたけえ、まあ一つ粉を出あて食いよったげな。粉をねえ。

そいから、その粉を出あて食う。

口いふって食いよったら、そいたら、馬がその川を、菰を負うて、菰を乗せてから、菰を運ぶんじゃけえ、馬が。

その川渡らにゃいかれんけえ、

 馬が、そのやせたともやせた馬が、菰を乗せて、向こうへ渡りよったそうな。

 

「こんなひとつ見て、歌ぁ詠んでやろう」


と思うて、

 

(奥州の鳴瀬川とは音には聞けど 菰のせ馬がやせ渡る)

       

ちゅうて、また詠んだ。そうしたら、また今度は馬追いが、また詠んだげなが、

(奥州の鳴瀬川とは音には聞けど 粉食い坊主がむせ渡る)

 

ちゅうて、また詠んだげな。それで、西行法師はどうしても、歌に負けよったそうな、という話、まあこれから先なんとなあか、

おぼえとらんけえのう。

けっちりこ。
    
  (島根県「島根県美濃郡匹見町昔話集」・・島根大学昔話研究会)           
 
             昔話十二か月  三月の巻 松谷みよ子編   講談社文庫
 

39、西行法師と歌

むかし西行法師が鼓ヶ岳という山へ登ったんやと。 そいて、 ここでひとつ歌ぁ作ってみようと思って、
名も高き鼓ヶ岳に来てみれば西も東もたんぽぽの花
って作って、これはええ歌できたと思うて、山おりてきてから、その麗の茶店へ寄って、

 

「わしはこういう歌を作ったんやが」

 

て言うたら、


「その歌ぁまだ、ものになってない」て、

 

茶店のお婆さんに言われて、


「どういうところが、ものになってないんか」

 

ちゅうたら、
  

「まあ考えてみい。鼓ヶ岳へ来て作った歌やから、{名も高き}なんていうようなこと言わんと、{音に聞く}と言うべきではないか」と、

 

「そこは{音に聞く}と直せ」

 

こう言われたちゅうんです。

 

「ああ、 なるほどそうじゃ。 {音に聞く}ていうたら、鼓ヶ岳に対応してええ言葉やから{音に聞く鼓ヶ岳に来てみれば西も東も

たんぽぽの花}

これでええなあ」

 

ちゅうたら、 お婆さんが、

 

「まだわしに気に入らんところある」

 

いうた。
    

「{鼓ヶ岳に来てみれば}とはなにごとじゃ。 鼓じゃあないか、 {鼓ヶ岳にうち見れば}としたらええんじゃないか」と、

 

お婆さんに言われて、
 

「音に聞く鼓が岳にうち見れば西も東もたんぽぽの花ーーああ、これでよかった」と、 西行法師がはじめてそこで悟ったと。

 (和歌山県・紀伊半島の昔話・京都女子大学説話文学研究会日本放送協会)  
                昔話十二か月  三月の巻 松谷みよ子編   講談社文庫

40、彼岸仏さま

宮城の在の方にほんとうにあった話なの。在の人が話したの。秋田に近い山の手の在でねえ、 

百姓するおやじさんで、

とても辛抱人で働き人なんだけれどねえ、けちん坊な人であったんだろうね。
そんでんねえ、 正月がくれば自分たち食べるものは買ってきても、 

神さまにもたいしたあげて拝みもしなかったらしいのね。
そすてお仏さんのお盆にもねえ、 みんなが彼岸でもお盆でも買ってあげてもねえ、
 

そすてあるときねえ、 その彼岸きてからねえ、よそでは今年豊作だから、なにもあげる、かにもあげるってお仏さんに

買ってきてはいっぱいあげたんだと。それでも、

 

「なあに、 生きた人間の方が大切だ」

 

ってね、


わらしこさ、 たまにうどんでも食わせるように、 おれ、 うどん玉なんか買ってくっから、 うどん鍋かけてまってろよ」

 

って、 お彼岸のおくりの日に町へ出かけたと。
そすてみんなは早く帰っていろいろのご馳走こさえて仏さまにあげてんのに、 なかなか帰ってこねんだと。 

がかさまはもう父さん帰ってくるようだなあって、

うどん鍋かけてまってんだけど、 煮たっても帰ってこねんだって。
ところがそのおやじさんがねえ、うどんやれ、 なにやれ、 自分たちの食べるものばっかり買ってねえ、

 どっこいしょと背負って帰ってくるときねえ、
自分の田んぼのそばまできたら、 トロトロ眠くなったんだってねえ。 そすたらそこにねえ、 土のたまりがあったんだって、 そこへ腰かけて、
うつらうつらと眠かけなってたんだと。
そすたらなんだかねえ、 田んぼの畦道さ、 誰かが歩くらしいから目開いて見っと、 誰もいねえんだって。
ただ、 ぐつぐつぐつぐつ、 話し声すんだと。 自分がね、 横になって寝ながら誰が話語るんだろうって聞いてたんだと。
 

「おらんとこでなあ、 今年豊年だとて、 なにからかにまでいっぱい買ってきて、 どっさりあげられてねえ、 

今日の送り彼岸にもねえ、
いっぱいお土産持ってきたから、お閻魔さまに喜ばれる」

 

ってゆった人あんだと。はて あの声どこそこの死んだばあさんとじいさんだなあと思って聞いていたと。

ほすたら、

 

「おらんとこでもなあ、 ぼた餅からなにから作って、 どっさり御馳走になって、 うどんも御馳走になったし、 

お土産もいっぱいあげられたから、
 おれ、 今年も無縁さまだのみんなに分けて食わせて、 はあ、 閻魔さまにも喜ばれっど」

 

って、 みんなでそういう話したんだって。そすたらねえ、 一人、


「なに、 おらとこでは、 神、 仏、 食うわけでもねえから, 生きた人たちが食うもの買ってくっから、 

おれ帰ってくる頃になあ、 うどん鍋かけて
 おけよ、 ってゆったから、 腹立ってねえ、 お土産ひとつあげられねえから、 あんまりごしょっぱらやげっから、

 三つになる子、 うどん鍋の脇さ、
こう、 炉端に座ってたから、 腹立つからその子をつんのめしてやった。 そすたらその煮立った鍋さ、 

すっぽりかぶって火傷して、 今頃大騒ぎ してるべ。
我が子を失えばかわええから、 おらたちにもあげっぺから」

 

って、 ゆったのが、 聞けば聞くほど自分の家のお仏さまの声なんだと、 死んだおじいさんの。
はてな、 今しゃべった人は、 うちのお仏さんだなあ、 
この話、 八方から集まってきた仏さまが、

自分が寝ているここの陰へ集まって


  語ってんのを聞いていたのか、 と思ってねえ、 急いで帰ってきたらねえ、

 あたりの人がいっぱい集    まって大騒ぎだったと。 


    まるっきり頭からすぽっと煮立ったお湯をかぶったからねえ、 全部火傷してねえ、
    「いつまでおら家の父っつぁん帰ってこねえんだべ」 って、
    がかさま泣き泣き、 大きい着物その子包んでねえ、 泣いてだったと。 それからお医者さんさ走ったって、 

途中で死んですまったんだと。
 そすたら我が子かわいいからねえ、 抱きしめて泣いたけんども、 仏の罰だ、仏の罰だだってねえ、 自分が。
「我が子かわいければおらさもおらさもあげっぺって、 じいさまゆった。 がかよ、 おら悪かったなあ、

 自分たち親子だけ食って仏さんに
 なんにもあげねっから、 おこったんだ。 だから自分が連れてったんだ」
 それからねえ、 お盆がきても彼岸がきてもねえ、 やはりよそのうちのように、 花もあげればねえ、 

いろいろなものあげてねえ、 
 送り彼岸にもお土産どっさり持って帰るように、 あげるようになったんだって。
 明治の頃のはなしなの。

       (宮城県、「女川・雄勝の民話」松谷みよ子・日本民話の会)
         昔話十二か月  松谷みよ子編   講談社文庫   
    

41、彼岸の餅

   むがす、 嫁と姑が、おふがんだず、 お彼岸だずと言って口けんがば、したんだと。
  したれば姑、 嫁ごに負けんのがくやすくて、 おっさん(和尚)のとごろさ、手土産持って行って、
   「おっさんおっさん。 オラ家の嫁ご、 こごさ聞ぎに来たらば、 お彼岸だと言わず、 おふがんだと言って、 ようくきかせでけせね」
  と、 頼んで来たんだと。
   したれば今度、 嫁ごの方でも手土産持って、 おっさんの所さ行って、
   「おっさんおっさん。 もしもおがさま、こごさ聞ぎにきたらば、おふがんと言わず、 お彼岸と答えでけせね」
  と、 頼んだんだと。
   したればおっさん、
   「よしよし。 相、 判った」
  と言って帰すたんだと。 そしてしばらく経ってから二人ば呼んで、

   「これこれ、 いいが。 先の三日はおふがんで、 後の三日はお彼岸だ。
  そして中の一日を中日として、 二人で仲いいぐ餅ついでお寺さ持ってこう」
と、言ったんだと。
   ほんでお彼岸のお中日には、 かならず餅ついでお寺さ持って行くことになったんだと。
  それからダンゴは、 みんな仲良くまるくおさまっているという意味でお墓さ持って行って先祖様に上げんのだどや。


           
岩手県・「老オウ夜譚」佐々木喜善・郷土研究社
  昔話十二ヶ月 「三月の巻」 松谷みよ子                                         講談社文庫


42、火事のしらせ
 
  
   愛知県西尾市にある実相寺(じっそうじ)に応通禅師(おうつうぜんじ)いう住職さんがおったときのことや
  ある日、 とつぜん、
  「経山寺(けいざんじ)が火事じゃ、 早よう水汲んでこい。早よう、早よう」
  と叫んだそうな。 慌てふためいた雲水たちが手桶に水汲んで駆けつけたが、火事どころか、煙ひと筋たっとりゃせん。
   なんのこっちゃらと、あきれて立っていると、禅師に叱りとばされた。
  「なにぼけっとしとるのや、 早よ水かけい。 そこや、 その石の上やが。 それ、つぎつぎ水汲んでこんかい」
   さあ、なんのこっちゃらわからんけど、 雲水たちはつぎつぎ水汲んできては、庭の石にざあざあかけた。
  「うむ、 もうよかろう、 おかげで消えたわい」
   と、にっこりわろうて、さっさと部屋へはいってしもた。 雲水たちは首をかしげて、

  

  「経山寺いうたら中国やで」
  「そや、ここの住職さまが修行にいかはったところや」
  「その寺が焼けるのが、なんで日本におって分かるのやろ
  「たとえ焼けていると分かったかて、日本で水かけて、それで火事が消えるのかいな

  「おかしなこっちゃな」

といいあったけれど、いくら首ひねっても分からんものは、分からん。
  それっきりになってしもた。
  すると、 一年ほどたったある日のことや、 中国の経山寺から、使いがやってきた。

  「先年の火事の際にはありがとうぞんじまする。 おかげさまで本堂が焼けずに残りました。
  お礼に、寺の四隅につるしてある釣鐘の一つを差しあげとうぞんじまする。 なにとぞおおさめください」

   使いのものはそういうて、一つの釣鐘を差し出した。
   これが実相寺の釣鐘やと。 そやけどどうして中国の火事が分かったもやら、
  消せたものやら、ふしぎなことだと語り伝えている。
                         愛知県 
 
  日本の伝説 (下) S50,C54
   松谷みよ子編著          講談社文庫


43、山犬の話

   むかし、甲斐の国(山梨県)北巨摩郡熱見村のじいさまが、 諏訪へ用たしにいった帰り道、送り犬にとりつかれた。
  たくさんの山犬が暗がりに火のような目を光らせながら、あとになり、さきになり、ときにはじいさまのかかとへ、鼻息がかかるほど

   近づいてくる。  そのうちに、一匹がぱっとじいさまの頭の上をとびこえた。
   ははあ、来たなと思って、じいさまは、
   あわてもせず、ちょんまげをほどいたという。 まげをひっかけられて、転ばされないためだ。

   山犬にあったら、落ち着くことがかんじんだ。 山犬は転んだらとびかかってくるから、もしころんだときには、
   「おおやれ、 休んどう」
   といって、わざと休んだようにみせねばいかんという。
   さて、、じいさまは転びもせず、ゆっくりゆっくり家までかえった。  すると、山犬たちはそこにすわりこんで
   しまった。
   そこでじいさまは飯を椀に盛って、
   「どうもながいところを送ってくれて、御苦労でごいした」
   と、ていねいに礼をいった。 山犬はそれを食べて帰っていったそうな。

やっぱり北巨摩郡大泉村の、中島幸左衛門という人が花戸が原をとおった時のこと一匹の
  山犬がひどく苦しんでいた。 山犬は幸左衛門をみると、道の真ん中まで出てきて
  いかにもお願いしますというように、口を大きくあけ、すりよってきた。 幸左衛門がのぞいてみると
  山犬の喉に骨がささっていた。 それをとってやると、山犬はひどくよろこんだ様子で、去っていった。
   それからしばらくして幸左衛門がまた花戸が原をとおると、ひたひたとそばへよってくるものがある。
   みればさきごろの山犬であった。 山犬は幸左衛門のたもとをくわえてしきりにひっぱるので

   「なにしるどう」
   といったが、山犬がぐいぐいひっぱるもので、そのままひかれていった。

  やぶのかげまで来たとき、 ざわざわと、 気味の悪いもの音が近づいてきた。
  幸左衛門はなにごとかとそっとのぞいたとたん、 からだじゅうの毛がそそけだった。渡り狼の大群が
  ひたひたとすぎていく。
  これに出あっていたら、 いのちはないところであった。

山梨県

 

日本の伝説 (上)   松谷みよ子 編著  S50・C53                 講談社文庫


44、狸の和尚さん
 
   天明の頃というから、今から二百十年あまり前のこと、中仙道板橋の宿の本陣に、一丁の駕籠(かご)がとまった。
  乗っているのは相模の国、鎌倉の建長寺の和尚さん、 山門を建てるため、諸国をまわっている途中ということなので、
  本陣の主人はうやうやしく出迎えた。
   駕籠の中からゆらりと出た立派な和尚さんは、その様子にも似合わずあたりをみまわして、まっさきにこういった。
   「犬という犬はつないでおくようにと、こう申しつけたが、つないであろうな」
   「へぇ、 村中の犬は、つなぎましてございます」

   すると和尚さんはいかにも安心したように奥座敷へとおった。

 

   ま、 それだけなら犬ぎらいの和尚さんということで、話はすんだのだが、 夕食の時、 またおかしなことがあ  った。  女中が給仕をしようとすると、
   和尚さん、 あわてて手をふる。
   「いらんいらん、給仕はいらん、わしひとりでいただきますわい」
   「へぇ、 それでも・・・・・・・」
   「よいよい、 さがってくだされ。  あ、 それからな、わしが飯を食うところを、
  けっしてのぞいてはなりませんぞ」

  「へぇ、 のぞくなんて、 とんでもねぇ。 そんなことはいたしません」
  女中はぷりぷりしてひきさがったが、おかしなもので、のぞくなといわれると
急にのぞきた
  なった。

そこで立ちどまって考えていると、部屋の中からグシャグシャとおかしな音がきこえてきた。 あれ、 

なんの音だべ、
  まるで犬がもの食っているような騒ぎをしてと、 そうっとのぞいてみてたまげた。
  和尚さんは、 汁もおかずも御飯も、みんなお膳の上にぶちまけて、グシャグシャ、ペチャペチャ、

口をつけて食べておった。
  つぎの朝、 和尚さんは、
  「犬はおらぬじゃろうな、 犬は」
  と、あたりを気にしながらたっていった。

  こんなふうだったので、この和尚さんのいく先いく先、妙な噂がたった。
  「風呂へはいるときも、バシャバシャとえらい騒ぎ、おかしいと思ってのぞいたら、

尻尾で水はねちらかしていたそうな。
  ほんとうのことじゃと、練馬の宿ではもっぱらの噂だ」
  とか、
  「わしのところでは、障子に映った影法師が狸でしたぞ。 そうっと開いてみれば、和尚さんだったが・・・・・・」

  などと、 噂はひそひそと伝わっていく。 なにせ鎌倉の建長寺というたら臨済宗でもきこえた寺だ。 
 そこの和尚さんが狸だなどとめっそうもない、 と、おこる人もあれば、 いやほんとうだと、力むものもある。
  どこへいってもまっさきにいうことは、 犬は飼っているか、いるならつないでくれという言葉だ。 あれが怪しい。

  こんな噂が、駕籠かきどもの耳にはいったから、
  「ようし、そういうことなら、犬をかしかけてみべぇ」
  と、青梅街道を行く途中、わざと駕籠をおろして犬をけしかけた。
  犬は、グエングエンとほえながらとびかかり、とうとう和尚さんを

かみ殺してしまった。
  「そうれ、狸め、正体をあらわすぞう」
 
 駕籠かきどもはやんやと手をうって、和尚さんがいつ狸にかわるかとみていたが、いつになっても
  和尚さんは和尚さんのまんまだった。   坊さん殺しは大罪である。
  駕籠かきどもは青くなり、震えながら役人のところへいき、かくかくしかじかと申しあげた。
  どんな重い罪になるかと生きた心地もしなかったが、駕籠かきどもは、なんのお咎めもうけなかった。

三日目に、和尚さんの姿は大狸に変わったという。
  駕籠の中には、狸の和尚さんが集めた山門建てなおしの金が三十両と、銭五貫二百文あったという。  狸と金はすぐ建長寺へおくりとどけられた。

  「これは、この寺の山林に数百年すみついていた狸でござる。 じつはこの寺で山門を建てなおす相談があったあと、わしは病気で倒れもうした。
  このからだでは旅に出られぬと心を痛めておりましたところ、金を集めるために必要な絵符と人馬帳がなくなるという、ふしぎなことがおこりましてな、
  いったいどうしたことかと思いわずろうておりました。
  おそらく狸め、 わしが病気になったのをみかねて、かわりに金を集めにまわってくれたのでござろう。

  不憫なことをいたした」
  建長寺の和尚さんはそういって涙を落とした。
  この狸は、書をかいたり、絵を描くのが好きだったとみえ、あちこちの宿に書きのこしたものが、いまも残っている。
    東京都
 
  日本の伝説 (上)   S50                         松谷みよ子編著
             講談社文庫 


45、仙人の碁打ち

  むかし、 菅平のふもとの仙仁(せに)という部落に大平さんという木樵がすんでいた。今日も一日山で木を切って、 さぁ帰ろうと、
 荷股にちょうどいい木がぼやの中にあったので、 一本ひきぬいて杖にし、 すたすたくだってきた。

ふとみると、目の前をいつあらわれたか、ひとりのおじいさんが歩いていく。 長い杖をつき、真っ白な髪と長いひげ、着ているものはなにやらゆったりしたもので、ただの人とは  思われん。  「はて、どこの人だらず」 とついていくと、仙人岩のあたりでふっと姿を消した。  「ははあ、ありゃ、仙人かもしれぬ」  大平さんはひとりだうなずいて岩をそろそろまわった。 仙人岩は中が洞穴に
 なっていて仙人がすんでいるといわれていた。
  大平さんがのぞいてみるとどうだろう。 いましがた目の前を歩いていた老人
 と岩穴の主人らしい老人が碁をうちはじめるところだった。
  どちらも品のよい姿でのんびりと石をおいていく。 静かな山の空気の中に
 ぱちりぱちりという音がすんでひびいた。大平さんは木樵ながら碁がすきだった。 石の数がふえていくにつれて、すっかり夢中になった。
   「あそこの石はこうしたらいいのに」 と思ったり、「さすが仙人の碁は、おらたちとちがう」
   感心したりしているうちに、どのくらいたったのだろうか、はっと気がついた。
   「はて、もう家へ帰らねば」
  と、ついていた杖を取りなおそうとしたとたん、大平さんはよろよろとよろめいて倒れた。
   杖の木はいつの間にか朽ちていた。 いや、大平さんもすっかり年をとって白髪のおじいさんになっていた。 

   ようようと起きあがって仙人岩をのぞくと、もう仙人たちの姿はなく、静かな夕暮れの風があたりにふきわたっていたと。
                                                               (長野県) 
    日本の伝説(上) 松谷みよ子編著 S50・C53         講談社文庫


46、猟師渋右衛門

  信州北安曇の北城、青鬼というところに、むかし、渋右衛門という猟師があった。
 からだのたけは六尺あまり、ひげだらけのあばた面で、すねの毛はさかさにはえて四寸、それをこきさげて藁(わら)でくくれば、
 きゃはんがいらなかったという。

  小さい時から猟が好きで、一年じゅう山を駆けまわっていたが、山へ行かない時は一貫二百匁もある大鍬をふりふり、畑をたがやしたそうな。
  ずいぶんの力もちで、松本に江戸相撲がきた時、のこのこ出かけていったが、音にきこえた大力の相撲取りを、ぐっとだきしめて土俵の外へ
 出してしまった。 その時は、でか騒ぎになって、ぜひ相撲取りになってほしいとたのまれたが、渋右衛門は首をたてに振らなんだ。
  そして、南蛮鉄四尺二寸というどでかい銃ををもち、白馬岳から槍ヶ岳、唐松岳、五竜岳、青木湖から木崎湖、またある時はザバザバと姫川を渡り
 、戸隠の奥まで、我が庭のように歩きまわって一生を終えた。
  そのあいだには、かずかずの山のふしぎに出あったという。

  二子岩の山の神にあったこと
  

  ある時、 渋右衛門は西山へ猟にいって、 白馬、鑓ヶ岳の近くの岩穴で泊まった
 よく晴れた晩で渋右衛門が、晩御飯の麦こがしを食っていると、 急に激しく山鳴りがし
 雷が鳴って、 外は物凄い大荒れとなった。
  渋右衛門は、 えらい降りになったと思いながら、 煙管に煙草をつめ、すぱあっとふかした
 すると目の前がかっと明るくなって、 物凄い落雷があった。 渋右衛門が驚いて外をみると
 入り口のこもをあげて中をうかがっているものがある。 よくみると、 十六、 七歳の愛らしい
 娘であった。
 「おのれ、この山の中に・・・・・怪しい奴」
  渋右衛門は鉄砲をひきよせたが、 娘はするするとはいってきて、 にこっとわらった。
 「渋右衛門 煙草の火をかしてけろや」
 「うむ」
  渋右衛門が火を出すと、 娘は四尺ほどもある煙管を出して、 すぱすぱとすう。 煙草を出すと
 両手にもりあげるほどとって、一度に煙管につめる。 麦こがしをやると、 三、 四升もあるのを
 片手に受けて、 一口にぺろりとなめてしまう。

渋右衛門はひどく感心した。 あの小さな口と、 小さな手で、 よくもあんなに食えるものだ。 これが話にきく山のかみとか、 山んばとかいうものだろう。
  山んばのことなら小さい時から、 よくきかされた。 なんでも小さな徳利に、 三斗ぐらいの酒がどこまでもはいっていくそうな。 そうだ、
  これが山んばにちがいない・・・・・・・・・
   つぎの夜も、娘はまたやってきた。
  「渋右衛門よ、 わたしは二子岩にすむものだが、 これからいっしょに行かないか」
  これには、 さすがの渋右衛門も二の足をふんで、
  「用事があるでなあ」
  と断った。
  「用事とはなんぞい」
  「玉がなくなったで、 家へとりにいかねばなんねえ」
  「玉か、玉ならわしのところにある、 さあ、来ておくんなんし」
   そうまでいわれて渋右衛門、 断るわけにもいかず、 山んばの暮らしがみたくもなって、 いっしょに出かけた。
  二子岩の岩穴にはいると、 娘は、 渋右衛門になにが好きかときいた。 もちが好物だというと、
  「そうか、 それならついてやろう」
   そういって、 娘は岩穴の奥にむかって叫んだ。
  「おうい、渋右衛門はもちが好きだとよう」
   すると、 姿はみえないのに、 いく人もの女の声がして、 うすだのきねだのが出てきた。
  かまどに火がつく。 もちつきがはじまる。 たちまち、 熱いつきたてのもちが、 膳に乗って出てきた。
   渋右衛門は、 腹いっぱい御馳走になったが、 あまりのうまさに、 そっと一つをふところにいれ、 土産にしようとした。
  すると娘は、 すぐ気がついていった。

  「渋右衛門よ、 このもちはここで食うならいくら食ってもいいが、 一つでも外へもちだすと石になるで」
  「むう」
   「渋右衛門は生返事をして、 つぎの朝かえる途中、 そうだ、 きのうのもちはと思ってふところをさぐって   
   みると、もちは白い石になっていた。

   この時、 渋右衛門は、 黄金(こがね)の玉を二つもらって帰ったという。
  この玉は、 好きなところへうてばかならず命中し、 左手をのばしていると、 そのてのひらのところに
  かえってくるという、 ふしぎな玉であった。
  「この玉が、 もしかえってこないことがあったら、 猟師はやめれ」
   娘はそういったという。

 西山の化け物を退治したこ

   渋右衛門には弟がいた。 ある日、弟を連れて西山へ猟にいった時
のこと急に夕立ちが来て、谷川の水かさがました
 どうしても渡れない。 するとうまいぐあいに、川上から黒い丸太がながれてきてひっかかり、いい橋になった。
  ふたりはその上を渡り、ようやくむこう岸についた。 岸につくと、渋右衛門は黙って歩いていたが、
 そのうちやっと弟のほうを振りむいて、
  「これさ、 さっきの橋をてめぇはなんとみたやぁ」
 といった。
  「おらぁ、 黒い大木だと思ったが」
 弟は答えた。

  「ふむ、 そうだったかなぁ」
 渋右衛門は、なさけなさそうにいった。
  「おまえ、 あれの正体がわからなかったとすると、 これからは猟に連れていくわけにはならんぞよぅ」
 その丸太とみたのは、じつは大きなうわばみだったという。

  そのころ西山には恐ろしい化け物が出るといわれていた。 丸太とうわばみのくべつがつかないものは、
  とても危なくて連れていかれない。 渋右衛門は、またひとりで山歩きをするようになった。
   そしてある日、化け物にであった。 

 それはちょうどったそがれどき、夜の闇が音もなく谷間へおりてくる頃であったという。 ふとみると、岩の上にみたこともない老婆がすわって、釜に火をたきながらしきりに、苧(お)を積 んでいる。  む、 これこそ化け物とばかりに、十二、三発、つづけさまにうったがあたらない。 すると、老婆はこちらをむいて、にかにかとわらった。 その口は耳までさけ、 釜の火の照りか 
  えしで、白髪も赤くもえるよう。
  その物凄さはない。 渋右衛門はまたうった。
 手ごたえがあったのに、老婆はまだわらっている。釜の火はさかんに燃えて 、湯はぐわらぐわ 
  らと沸きたっている。 渋右衛門は、あっと気がついて、釜の 火めがけてぶっぱなした。 と、
  「渋右衛門、 やりよるのう」 しわがれた声がして、釜の火は、 ぱったりと消えた。 老婆の姿も消えた。 つぎの日、朝日ののぼる頃いってみると、年老いた大むじなが
 うち殺されていたという。

  狼の子

   渋右衛門は狼の子を飼いならして、猟犬のかわりに使っていた。
  ある時、 猟に出て姫川のほとりの岩穴に泊まった。真夜中のごろのことである。狼の子がしきりに吠えだして、どう叱ってもなきやまない。

  そればかりか、 しまいには主人の頭の上をとびこえては吠え、とびこえては吠える。
  渋右衛門はかっとなって、
   「くそ、 いよいよ狼の本性をあらわして、主人を食い殺す気だな」
  というよりはやく、ガンと一発くらわした。 狼の子は悲鳴をあげたが、最後の力をふりしぼって岩屋の入り口にとびつき、どうと倒れた。

  その時はじめて渋右衛門は、 岩屋の入り口に、自分をのもうと、うかがっている大蛇のいるのに気がついた。

   狼の子は主人にそれを知らせようとして、哀れにもうたれたのであった。  
  渋右衛門はみごと大蛇をいとめたが、そのままへたへたとすわりこみ、手足をのばして倒れている狼の子をだ   いて、 あついなみだを流した。


  つぎの日、 渋右衛門は、狼の子をかつぎ、 ぼうぜんと山をおりた。
 そして山の神のほこらのそばに埋め、 しるしに柳の枝をさした。

  やがてそれは根づいて、 三かかえもある大木になったという。

  女龍のたのみ

   渋右衛門は戸隠の奥のほうへもよく出かけた。 そこには上(かみ)の淵と下(しも)の淵があり、 上の淵はせまくて水もかれがちなのに、
  下の淵は青い波をたててうつくしかった。
   渋右衛門が、 ある日、 下の淵へいくと、 ひとりのうつくしい娘があらわれた。

 「渋右衛門よ、 どうかおりいってのたのみだが、 おまえをみこんでのことだからきいておくれ。   わたしは長いあいだこの淵にすみなれてきたが、 今夜こそ、上の淵の男龍にせめられ、    追いはらわれて しまう。   ずうっと前から、 上の淵の男龍は、 この淵をわたせといって、 わたしをせめたてているのだよ。  今夜は、 どうしても逃げることができない。 おまえが、 腕のいい猟師だということも、 山の神から、  黄金の玉をもらったことも、 知ってのたのみだ。 今夜、 あそこにみえる滝をのりきって、 ながながと火の玉のような目をもったものがのぞきこんだら 、  狙いを定めてうってくれ、 ひとうちうちこんでくれさえすれば、 あとはわたしがかならず勝つ。  けれど、 おまえが手伝ってくれなければ、   口惜しいけれども、 わたしは危ない。 きっと食い殺され、 この淵をとられてしまう」

 うつくしい娘は、 こういってたのんだ。 渋右衛門はひきうけて、 夜になるのを待っていた。
  やがて夜も更け、 真夜中ごろ、 激しい雷とともに、 滝のような雨が降りだした。

  その雨風に乗るように、 凄まじい勢いで、 滝を乗りきってくる大きな火の玉がみえた。  さてこそと、 渋右衛門は銃をかまえて、 あっといった。 火縄が消えている。   むかしの鉄砲は、火縄が消えては使えない。
  鬼渋とうたわれた渋右衛門が、 こんなへまをしたのである。   火の玉は下のふちへ転がりこみ、 下の淵からは水煙が立ち、 恐ろしい
  たたかいがつづいた。
   夜が明けてみると、 淵は血にそまり、 女龍のからだは大きなうすのように、
  いくつかに食いち ぎられて沈 んでいた。   渋右衛門は、 おのれのふがいなさを、 死ぬまでくやんだという。
  渋右衛門の持っていたという、 どえらい鉄砲や山刀などは、 
  今でも村に残っていると。                          (長野県)
日本の伝説   (上)  S50・53           松谷みよ子編著    講談社文庫

47、鳥呑み爺(とりのみじい)  
  昔、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでおったと。
 ある日、お爺さんは山の畑で働いておったと。
  お昼になったので弁当に持って来たかい餅を食べ、残りを木の枝に塗りつけて、その木の下で昼寝をしたと。
 
  そこへ一羽の山雀(やまがら)が飛んで来て、木の枝に止まった。
 そしたらかい餅がくっついたと。
  鳥が羽をバタバタさせてもがいている音で目を覚ましたお爺さん、
  「おうおう、可哀そうに、待て待て、そんなにあばれると羽に餅がついてしまうぞ」
 というて、山雀を手にとって、その足についている餅をなめてとってやろうとした。
 そしたらなんと、爺さんに歯がなかったもんで、餅を吸いとっているうちに山雀も一緒に、つるんと呑みこんでしまった。
  「ほい、 しもうた」
 というたが、あとのまつり。 腹の中で山雀がぴくぴく動いとるのだと。

  「こりゃ、どうしたもんか」
 と腹をさすっておったら、そのうち、ヘソのところで何か触るものがあった。
 見ると、山雀の尾羽の先がヘソからちょこっと出ているのだったと。
  爺さんがそれを引っぱってみた。

  チチンプヨプヨ ゴヨノオンタカラ

  と、鳥の啼(な)くようなオナラが出た。
 「ありゃ、ありゃりゃ、でもおもしろいな」
 というて、また、それを引っ張ってみた。

チチンプヨプヨ ゴヨノオンタカラ

というオナラが、また出たと。

ゴヨノオンタカラとは何だかめでたいな、婆さんにも聞かせちゃろ」
  というって、急いで家に帰ったと。
   お婆さんにわけを話して、二人で何度も何度も山雀の尾羽引っ張って楽しんだと。
  そのうちお婆さんが、
  「お爺さんや、こんなにめでたいオナラをふたりだけで聞いているのはもったいないなや。
  これは、お殿様にもおきかせなされませ」
 と、すすめるので、次の日、殿さまの御殿へ出掛けて行ったと。
  御殿の裏の竹やぶで竹を伐っていると、番人がやって来て、
 「殿さまの竹を伐るのは何者だ」
  と、とがめたと。 お爺さんはここぞと思って、

  「わしは日本一の屁放り爺でごじゃる」
  と、胸をそらせた。
 「なに、日本一の屁放りとな。 それなら殿さまの御前でおきかせしてみよ」
  というて、お爺さんを御殿の中へ連れて行ったと。
  殿さまの前へ出て、ヘソのところに手をやり、山雀の尾羽を引っ張った。

    チチンプヨプヨ ゴヨノオンタカラ

   と、そりゃいい音が出たと。
  殿さまはじめ、そこにひかえていた家来一同大喜び、
  「当家が栄えるめでたい屁じゃ」
 という者もあって、お爺さんは大いに面目をほどこしたと。

  殿さまの竹を伐ったのもおとがめなしで、褒美をたくさんいただいて帰り、

お婆さんとふたり、一生安楽に暮らしたと。 いちご さかえた。

長野県 最話 六渡邦昭


48、狐の渡し

  昔、奥信濃に渡し守のおじいさんが、おばあさんと二人で暮らしておりました。
 おじいさんは雨の日も風の日も、一日と休んだことはありません。
 おばあさんもそんなおじいさんが好きです。

 さて或る年の春、近くの野原で狐の夫婦が七匹の子を生みました。
 父さん狐も母さん狐も、子供達に食べさせる獲物を探して、毎日まいにちそれは大変でした。
 やがて冬がやって来ました。

  すっかり厚い雪に覆われた野原に、七匹分の食べ物を探すのは容易なことではありません。
 雪が深くなるにつれ、二匹の親狐は何も持たずに、疲れ切って夕暮れの住処に帰って来ることが
 多くなりました。

 冬の或る日、渡し守のおじいさんは千曲川の土手の上に二匹の狐がしょんぼりと向こう岸の
 鴨の群れを眺めているのを見つけました。
  気になったおじいさんは陸に上がって、尋ねてみました。

狐からわけを聞いた気のやさしいおじいさんは、二匹を船に乗せて
 向こう岸に渡してやりました。
  二匹の狐は喜び勇んで枯れすすきの陰に消えていきました。

  こうしてお客が一人も乗らない日でも、二匹の狐を乗せた渡し舟は
 冬じゅう川を行き渡しました。
 やがて春が近づいて来ました

  雪解けの川は七巻八巻に渦を巻いて流れ、水かさが急に増えてきました。
 おじいさんにとって、この季節が一番骨が折れます。
  じーんと顔をこする冷たい風に向かって棹(さお)を出すと、おじいさんの
 口から真っ白い息が勢いよく出て、ほほが赤んのように真っ赤にそまります。

二匹の狐は毎日まいにちやって来ました。  
  そんな或る日、おばあさんが風邪をこじらせて寝込んでしまいました。
  おじいさんは心配でしんぱい、夜も寝ずに看病しましたが、おじいさんの所では
  高い薬は手に入りません。
   買うお金など、どこにもなかったのです。

  熱を出して、なんぎそうなおばあさんは、それでも朝になると


  「おじいさんや、 狐さんが待っておりますよ」
   とおじいさんをうながします。  おばあさんの
容体を気使って口に
  出せないおじいさんも
 
  「そうだったな、 ではじきに帰って来るでのう」
  と心配そうにでかけて行きました。

  船着き場までやって来たおじいさんは、びっくりしてしまいました。

  親狐を先頭に、 もう親狐と変わらないほど大きくなった、 七匹の子狐達がずらっと並んで、
  おじいさんを待っておりました。

目を丸くしているおじいさんに、父さん狐が言いました。
 
  「おじいさん、今までありがとう
  子供達はこんなに立派に育ちました。
  お役に立てることがあったら何でも言いつけてください。」

  おじいさんは目を細めて、子狐達の成長を喜びました。
 それでも家で寝ているおばあさんのことを思い出すと、しょんぼりしてしまいます。

  心配顔でおじいさんがわけを話しますと、七匹の子狐たちは輪を作って何やら相談をして言いました。

 
 「おじいさん、 心配しないで早くおばあさんの所へ行ってやりなさい
  これから一走りして来ます。
  そう言うと七匹の子狐は山の方へとびはねていきました。

  夕暮れになりました。
  看病に疲れたおじいさんがついうとうとしていますと、「トントン・トントン」
 と何やら表戸を叩く音がします。

  不思議に思って出てみると今朝ほどの子狐達がめいめい薬草やら、油揚げやらを
 口にくわえてちょこんと座っております。
  おじいさんは大そう喜んであったかい味噌汁に油揚げを入れ、薬草を煮込んで
 おばあさんに飲ませてやりました。

  するとみるみるおばあさんの熱は下がり、顔のつやも良くなって、何だか前より若  
  返ったようにみえました。
  それを見た子狐達もさも満足そうに、今度は一匹一匹別々の方角に向かってとん  
  で往きました。
  おじいさんと親狐は子狐達の無事を祈ってお別れを言いました。

それからというもの、おじいさんが流れに棹をとられて悲しんでいると、戸口に新しい棹がちゃんと置かれていたり、
   重い風呂敷を背負って歩いていたおばあさんの背中がきゅうに軽くなったりしたということです。
    おかげでおじいさんとおばあさんは元気に仲良く暮らしたということです。


    信濃の伝説             文、稲田彩・ 絵、外谷恵子        出版所(カ)ナカザワ(長野市)


49、仁王様の夜遊び

   ある村に澄心寺というお寺があった。
  そこのお寺の仁王様は、朝から晩まで仁王門の中に立ってばかりいたので、退屈で
  退屈でたまらない。昼間は人に見られるので緊張して立っているが、
   「人のいない夜くらいは、少しは遊んで歩いたって悪かあないら」というわけで、ある夜、
  意を決して仁王さまが夜遊びにでかけた。初めのうちはお寺の近所をぶらぶらしていたが、
  そのうちにだんだんと遠く、人家のある方まで遊びに行くようになった。

  ある夜のこと、仁王さまがいつものように門の中から抜けだして、村の方へぶらぶら
  とやってくると、一軒に家から明かりがさしていた。
  そっと側へ寄って障子の穴から覗いて見ると、一人のおばあさんが糸車を
  ブンブンブンブンとまわして糸 を操っていた。

仁王さまは初めてそんなところを見て珍しいので、
    夢中で覗いていると、、、、、

そのうちにおばあさんが大きなおならをした。
  それがあまりにもおかしかったので、外の仁王さまが思わずクスクス笑ってしまった。
  その声を聞いておばあさんは、誰か村の若い衆でもいたのかと思って、

   「におうか」

と聞いた、
  びっくりしたのは仁王さまで「仁王か」というところをみると、俺がここに隠れて
  いることをちゃんと見透したに違いない。
  恐ろしいばあさんもあるものだと、急いで逃げ帰って寺の門の中へ入って知らん顔をしていた。
  それからは、仁王さまは門の外へ出なくなったという。

 

民話の森      小沢さとし


50、木やりを歌う

  木曽福島の城山にはお稲荷様があって、昔そこに使いめの狐がすんでおった。
  その狐は木やりがうまい狐で、月のいい晩など狐の歌う木やりの歌が良く聞こえてきた。
  その歌声がだんだん遠くへ行くときにはなにごともないが、歌声がずんずん近くなるときには、町に災いが起こるといわれていた。
  その狐はまたたいそう人なつこい狐で、よく山村の代官さんのあたりへ出てきて遊んでおった。
   「狐さ、狐さ、今夜はひとつ、わしに木やりを聞かせておくんなんしょ」
  狐をつかまえて、こんなことをいうばあさまもあった。
  するとその夜、山から木やりがきこえてきたそうな。

   きょうの材木は山の神材木
   人足大事にうしろへ三尺
   おんぽいさいてこい
   もう五分さいてこい
   人足手足を大事にたのむぞ
   エー ヨイトショウ

   するとたくさんの声が続く。
エー ヨイトショウ 
   エー重いね ヨイトショウ
   みなさまが ヨイトショウ
   エー 力をな ヨイトショウ
   エー そろえてね ヨイトショウ
 

声はだんだんかすかになって、いつか消えてしまう。

やあやあ、耳法楽をしたぞい。木やりが遠くへ行ったで、今夜も町には
  何事もないずら」やがて福島の町は木曽川の霧につつまれて静かに更けていくのだった。

  ところがある春の夜のことであった。

  山村の代官さんが山沿いの道を歩いていると、狐のきやりがきこえてきた。
  ところがその歌声がだんだん近づいて来るではないか。

   兎どの おまえの目玉はなぜまるい
   三年前の凶作な、もくれんじ食べたで目がまるい

  代官さんは目をまるくした。狐の木やりをこんなに近くで聞いたのははじめてだった。
  歌声はどんどん近づいて、もう耳のはたで歌っているようだった。

   エー 手強くも ヨイトショウ
   エー ねじたてて ヨイトショウ
   エー たのむぞよ ヨイトショウ

  木やりはそこで、ふっつりととぎれた。
   「ふーむ、これはなにごとか起こるぞ」
  代官さんはあわててとんで帰ると、さっそく家来に町の中を見まわるよう、いいつけた。
  その夜、代官さんは何べんも何べんも夢をみた。エー手強くも、

エーねじたてて、エーたのむぞよ、エーヨイトショウ、夢の中で
  狐の木やりがくりかえし、くりかえし、こう歌っていた。
  つぎの朝はよい天気だった。桜がはらはらと散ってくるのどかな日で、

山の檜が濡れたように鮮やかだったそうな。
  代官さんは顔をこすり、やれやれ、わしも狐に化かされたようだわい、と思った。

  きのうの夜は木曽川の霧に酔っぱらったのか、狐の木やりにみんごとだまされて、
  でか騒ぎしたぞ。おまけに夜中うなされるとは、わしももうろくしたわい。
  そこでその夜は、みんなぐっすり眠ってしまった。ところがつぎの朝、

たいへんなことが起こった。
  代官邸の千両箱が盗まれている。代官さんも家来もじだんだ踏んだがおいつかない。
  さあとばかりに追っ手が繰り出され、山狩りがはじまった。
  泥棒は裏の山でうろうろしているところをあっけなくつかまった。
  そして代官さんの前へひったてられると、頭をかかえていった。

「はい、こんなおかしな目にあったのははじめてですだ。

実はおとといの晩からお屋敷の縁の下にもぐって、
  忍びこむのをねらっていたですに。ところがはい、おとといの晩はえらいにぎやかな酒盛りが
  夜明けまでつづいたもんで、はいるにはいれず、、、、、、、、、、」
  これを聞くと、代官さんも家来も妙な顔になった。
  おとといの晩は酒盛りなんぞなかった。あの夜は、、、、、、
  そうだ、狐の木やりに教えられて町じゅう見まわりしておった。
  そして代官さんは一晩じゅう夢にうなされておった、、、、、、、。
  泥棒は言葉をつづけた。
  「そこできのうの晩やっと忍びこんで千両箱をかつぎ出し、裏山まで逃げたところがどうだ、
  目の前に霧がかかったようでどうにもなりません

とうとう夜明けまで一本の木のまわりを、ぐるぐる、まわっていやしたわい。

まあず、狐に化かされたあんばいで。
いや、悪いことはできねえもんで、、、、、」


ここまで聞くと代官さんも家来も、ふーっとため息をついた。お城山の狐がこんな

にわしらを守ってくれたのかと、手を合わせて拝みたい気持ちだった。
お城山のお稲荷さんへ、その日、油揚げが山のようにあげられたのはいうまでもない。
それからも木やりを歌う狐は、ときどきいい声をきかせてくれたが、ある日、代官さんの

裏山へ遊びに出たところを、彦七という大工に
鉄砲で打たれたそうな。
それから狐の木やりはきくこともなくなって、お城山も淋しくなった。

 

日本の伝説(上)      (長野県)       松谷みよ子


51、大歳の焚き火

   昔々ある田舎に、貧乏な一人の馬方がありました。
  明日は元旦だというのに一つも仕事がなくて、空の馬をひいて家に帰って来ようとしますと、街道の松並木の陰に、きたない

  乞食が倒れてうなっていました。
   「やれやれ俺よりもまだ気の毒な人があったか、」
  これは助けてやらなければならぬと思って、幸い空っぽの荷鞍の上に載せて戻って来たそうです。
  そして女房と相談をして、土間にむしろを敷いて横に寝かせ、何もなけれど
  地炉の火だけはうんと焚いて、どうやらこうやら年だけは取らせました。
  元旦の朝はお天道様の高く上がらっしゃる迄も、その乞食は起き出して来ませんから、
  傍によっておいおいと、起してみても返事がない。

なんだか冷たくなっているようだと思って、びっくりして掛けてやった藁の莚をめっくて見ると、
  乞食だと思ったのはおおきな黄金の塊でありました。
  それを使ってその馬方は、すぐに大金持ちになったそうです。
  めだたしめだたし。
 
   ( 三河南設楽郡)
   日本の民話 S5年版  柳田国男


52、塞(さえ)の神様の借金 

 

村はずれの塞(さえ)の神様は、山の神様から借金があった。
  ところが返すと約束した正月の十五日があす  に迫ってきたというのに、
  銭こはさっぱり手もとにねぇ。
   「はて、どうすべかな

さすがにのんき物の塞(さえ)の神様も、思案にくれた。
  「なんといいわけしたらいいべ、前から日は決まっていたのに、今ころ銭こねえといっても、
  勘弁してくれないだ。。。。。。。。。。。
  なんとしたらいいだべなあ」
  一晩じゅう考えていた塞(さえ)の神様は、んだ、と膝をたたいた。
  そして、夜が明けるとさっそく、藁を山のように積み上げて火をつけた。藁はごうごうと
  燃えあがり、火の粉と煙をふきあげた。

ちょうどその時、山の神様が山道を、のっこら、のっこら、借金の催促にやってきた。
  「やあやあ、山の神様、よくおざってくれた。ところがこのとおりの丸焼けで借金どころじゃ
  ねえのだす。ぶちょうほうだどもあと一年待ってけろ」
  塞(さえ)の神さまはここだとばかり、でっかいため息をついてみせた。こうなっては山の神さま
  も返せとはいえん。

 

「それは気の毒なことだ。だども、おめえは無事でなによりだった。せば、また来年の
  一月十五日に来ス」
  と、のっこら、のっこら帰っていった。
  さて、のんき者の塞(さえ)の神さまは、つぎの年も、またつぎの年もそうやって、
  山の神さまに借金のいいわけをした。

  それから下檜木内村(しもひのきないむら)では、正月の十五日になると、塞(さえ)の神さま
  のところへたきぎを集め、藁を積みあげてどんどんと焼き、「火事、火事」と、はやしたてるようになった。
  こうやって塞(さえ)の神さまの借金のいいわけの手伝いをするのだと。

      (秋田県)
日本の伝説(下)より     (松谷みよ子編著)

走り書き)  塞(さえ)の神さままたの名前は,金精様、道祖神様、蹴鞠の神。猿とも天狗ともいわれる怪奇な風貌で人気がある猿田彦の命。
  日本書紀に、天孫ニ二ギ尊が地上に降臨するとき、この神が天の八街(天との別れ道)で出迎えた。その姿は背が高く、鼻が長く、口と尻は明るく光っていて
 、目は八たの鏡のように丸く大きくて真っ赤なホウズキのように照り輝いていた。
  その異様さが警戒されて、天孫に随行していたアメノウズメの命に詰問されるが、疑いを解いて高千穂まで導いた。
  アメノウズメの命は、天の岩戸に隠れたアマテラス大神を外に誘い出すために、熱狂的な踊りを披露した、神楽の祖神とされる女神。(芸能の神)
  アメノウズメの命と猿田彦の命は後に結婚して、夫婦になった。   日本の神様      PHP研究所    戸部民夫

 

 

 53,大姥様 (奈良尾)

 

            昔、富士嶽は火の山でした。 この山の本尊として木花開耶姫が御神体となる時のことです。

     姫は従者として、乳母や薬師(侍医)を連れ頂上をめざしました。ところが、中腹まで登った所で年老いた乳母は、その峻しさにお供する事が出来なくなりました。

   炎は天をも焦し、火柱の立つ中に姫が消えていきます。乳母は幼少より手塩にかけてお育て姫をいとおしんで「お富士ヤー」と絶叫してそのまま絶命し、石ななったといいます。それは、黒谷の風穴の上にある大岩のところでした。「大姥様」が大きな口をあけて叫んでいるのは、そういう訳なのです。

    なお、お薬師様は男でしたのでもう少し上まで登れたそうです。ですから、お薬師様の方が「大姥様」より、山の上の方に祀られています。