和歌    物語

「歌は世の常、人の道を教えてくれる。」と江戸城を築いた、大田道灌が教えています。

いろいろな批評があると思います、個人的に気にいった和歌だけを載せています。

 

和  歌    七重八重花は咲けども山吹の  実の一つだになきぞかなしき
和歌集 後拾遺集
読み手 醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王
感  想 大田道灌が狩りに出かけ、雨具を借りによった、農家の娘のさしだす山吹を見て疑問に思い考えたこと。
一重の山吹は実を付けるけど、八重の山吹は実をつけない。

自分が進む道の、人の道として、案内をしてくれる鬼の提灯に書かれている歌。
この歌は、常に心の中で、歌っています。
和  歌    ひびきゆく鐘の声さえ匂いふらむ 梅咲く寺の入相の空

ながむれば知らぬ昔の匂いまで おもかげ残る庭の梅が枝
和歌集    
読み手   村上頼平の家人、埴科文次
感  想   甲越合戦の頃、飯田市川路、開善寺の梅の精のお話(下段にお話を載せました)
和  歌  七夕はいまやわかるる天の川 川霧立ちて千鳥鳴くなり
和歌集 新古今集
読み手 紀 貫之
感  想 天の川かぁ。 漢。 水の無い川と言う意味。 去年は、よく見えたのに、今年は雨の日が多く、天の川を
眺めることができません
和  歌 春すぎて夏来にけらし白妙の  衣ほすてふ天の香具山
和歌集  
読み手 持統天皇
感  想 香具山を見れば、春が終わり、夏が来てしまっているらしい。
この歌は万葉集巻第一の雑歌の28番目。新古今和歌集巻第三の夏歌の最初にあり、
小倉百人一首の2番目に出てくる。
和  歌 言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが  練の村戸にあざむかえけり
和歌集 万葉集巻4-773番目  紫陽花にて
読み手 大伴家持
感  想 ものを言わない木でも紫陽花のようにいろいろな色を見せて何かを訴えようとするもの。
和  歌 山振の立ち儀ひたる山清水  酌みに行かめど道の知らなく
和歌集 万葉集巻2-158番目   山吹
読み手 高市皇子
感  想 知る気にもならずかな。
和  歌 天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ  をとめの姿しばしとどめむ
和歌集 古今集雑上872番目と小倉百人一首12番目
読み手 僧正遍照
感  想 小学校だったか、中学で教わった百人一首でおぼえているのは、この歌だけ。なぜだか印象に残っている。
この歌は五節の舞姫を見てよめる。父の安世は桓武天皇の皇子、遍照は仁明天皇の死から出家して叡山上る。
のちに僧正、僧官の最高位になる。六歌仙の一人。子供は素性法師
和  歌 名に愛でて折れるばかりぞ女郎花 われ落ちきにと人に語るな
和歌集  
読み手 僧正遍照
感  想 女郎花という名にめでて折っただけだ、私が堕落したなどと人に語るなよと言う歌高い位にあっても、人を忘れないところがいい。
和  歌 白河の清きに魚もすみかねて  元の濁りの田沼恋しき
和歌集  
読み手  
感  想 老中の田沼意次が失脚させられ、寛政の改革がはじまる。
清い政治が始まり経済を弾圧し勤倹節約それだけで皆が
豊かになれるのか。時代は変わらない気がする。
和  歌  年の瀬や水の流れと人の身は  明日またるるその宝船
和歌集  
読み手  宝井其角・大高源五忠雄
感  想

赤穂浪士の大高源五忠雄は吉良の動きを探るべき動きをする。俳諧にも造詣が深く、

「子葉」しよう)という号を持っています。討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの

[すす竹」売りに身をやつした源吾は、俳諧仲間の師匠「宝井其角」偶然にあいます。

  其角は、源吾の身なりを身て、その落ちぶれように本当だと勘違いし、もう合うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。そして、最後につけ句を、と橋の上から隅田川の

流れを身ながら、「年の瀬や、水の流れと人の身は」とだします。

源吾は、その夜が「吉良邸」へ討ち入りですから、「明日またるるその宝船」と返す。(長年の念願だった本懐を遂げる事が出来る。宝船みた いだ。)其角はこの意味が

分からず、その足で、俳諧の指導をしている旗本「土屋主税」の屋敷へ行きます。

そして、この話をすると、

    主税」は、この「付け句」の謎を解くのです。「土屋主税」の屋敷は、吉良邸の隣にあります。

和  歌 山をさくちからもおれて松の雪
和歌集  
読み手  
感  想 大高源五が討ち入りの後大高の妹や基角や松浦鎮信いる松浦邸にいれた文に書いてあった歌。
松浦の太鼓が鳴るのは、山鹿流陣太鼓。山鹿流陣太鼓は創造の世界みたいです。
赤穂浪士は日本テレビでやった、里見浩太郎が大石内蔵助を演じたものが気にいています。
DVDも2本あるので全部通しで見るには、時間がかかります。
自分の仕事も12月14日が創立記念日なので、とくに。
和  歌 底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそ仇波は立て
和歌集 古歌
読み手  
感  想 暗闇が広がって浅瀬がわからず、迷う部下達に,波音の荒いところを渡れと命じ、
みずから先んじて馬を川に乗り入れ、やすやすと対岸へ渡ってしまった。
和  歌 今さらに見るもあやうし丸木橋 渡りし跡の水の白波
和歌集  
読み手 上杉鷹山の御近習頭、莅戸善政
感  想 御近習頭を退任するとき、樵夫が山間の丸木橋を渡っている絵に、この歌を記している。
和  歌 立ち帰りまた踏みそめし丸木橋 行方は知らず谷の白波
和歌集  
読み手 莅戸善政  上杉藩中老職
感  想 55歳にして、上杉鷹山の再三なる説得により,事態がきわめて困難な藩政に、余生捧げるべく再び中老職に就くにあたり、丸木橋の絵に歌を記する。昭和51年京都府綾部での研修会で知り合った、宮津の小川進さん、京都府を代表する黒和牛を飼うおじさん。牛を相手に和歌を詠み、善政と同じ性格の人でした。
和  歌 東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
和歌集  
読み手 菅原道真
感  想 法王とのあいだは無残にひきさかれ、護衛をつけられて大宰府への旅程についた。そのときに残した歌
和  歌 君が住む宿の梢をゆくゆくとかくるるまでもかへり見しはや
和歌集  
読み手 菅原道真
感  想 同じく西へ向かう道真が残した歌  いつも思う歌
和  歌 年を経し糸の乱れの苦しさに  衣のたてはほころびにけり
和歌集  
読み手 前九年の役のとき、上の句は蝦夷の頭領安部貞任、下の句は八幡太郎源義家
感  想 義家が衣川の柵を落としたとき、柵から馬で敗走する貞任を、義家も馬で追いながら衣のたてはほころびにけりと歌の下の句を貞任に投げつけたとき、振り返ってにっこり笑い年を経し糸の乱れの苦しさにと上の句を返した。
無知で卑しいとされてきた辺境の武人が、都の人間以上に雅心を持っていたことに、義家は唖然とし、感動して追跡をやめた。約40年前、京都は宮津の黒和牛の牛飼い、小川進さんにであったとき、上世屋は細い道をずっと登った奥にあり、すごい所だった。牛を飼いながら和歌を詠む、雅心の持ち主だったことに感動した。
和歌にに興味をもったのもここから。ちなみに今は新しい道路があいています。
和  歌 もろこしのむさむさ坊主ひげ入道さしたる事はいはじとぞ思ふ
和歌集  
読み手 一休さん
感  想 達磨といえば実在のインド人で禅宗の開祖。その達磨さんも一休さんの手にかかればこのとおり。たいしたことはいっていないというのだ。名僧、高僧とあがめることが、もっともその教えから遠い。読売の四季の欄に、長谷川櫂さんがのせている。不精ひげを生やした顔の、一休さんを思い出してうなずいています。
和  歌 釧つく たふしの崎に今日もかも  大宮人の玉藻刈るらむ
和歌集 万葉集  巻1の41  
読み手 柿本人麻呂
感  想 持統天皇が伊勢の国へ行幸されたときに、京にとどまって作った歌。韓国のイー、ヨンヒさんの本によれば、万葉集は古代韓国の漢字で書かれており、日本語で読んだ言葉の意味と、韓国語で呼んだ言葉の意味がかなり違ってくると書いてある。日本語では美しい詩の様になっているが、古代韓国語によれば、もっと人間くさい、どろどろしたことが書いてあると言う。自分の感情を人に知られないようにして、表しているのかと思う。ますます意味の深い興味深いものになっていく。
和  歌 人はいさ心も知らずふるさとは  花ぞ昔の香ににほひける
和歌集 古今集,巻1、春上  百人一首、35
読み手 紀 貫之
感  想 人の心は変わり易いけど、昔なじみのこの里の梅はなつかしい香りがにおう。
万葉集を古代朝鮮語でも、他の国の言葉でも読むことができるとあったが、どういうものかわからない。広い十分な知識を集めすぎて、もっていればいるほど、こじつけやごろあわせが、いっそううまくいくと金田一春彦先生が書いていました。
一つの事を、10冊の本を読むと良くわかり、100冊の本を読むと訳がわからなくなりノイローゼになる、200冊の本を読むとはっきりとした答えが見えてくると何かの本に書いてありました。自分もそう思います。
和  歌 けふまでとみるに涙のます鏡  なれぬる影を人にかたるな
和歌集 今昔物語集巻24第48  鏡に添えられた和歌に心をうたれる話
読み手 詠み人知らず
感  想 986年出家して宋に渡った大江定基の朝臣が三河の守をつとめていた頃、飢饉に人々が困窮していた。朝臣の屋敷に、鏡を売りにきた女性。漆塗りの張箱に金の蒔絵。鏡といっしょに和歌が。道心を起こしていた定基の朝臣は、米10石と鏡もいっしょに女性に送ったとあります。だれとも聞かずに。これも道心のなせる力かと思う。
和  歌 門松は冥途の旅の一里塚  めでたくもあり めでたくもなし
和歌集  
読み手 一休禅師
感  想 前から載せようと探していたが、見つかりました。目の前において置いた本に。

この当時のはめずらしく、一休さんには奥さんや子供もいたといいます。型にしばられないところがまた、いいところです。
和  歌 思いきや人の行方ぞ定めなき  我ふるさとをよそにみんとは
和歌集  
読み手 蒲生氏郷
感  想 信長、秀吉に仕える。文武兼備の大器伊勢12万石から会津42万石への移封のときに詠まれている。
伏見において40歳で亡くなる。氏郷の死は秀吉にとって大きな痛手となった。キリスト教徒でもあり、会津若松城に利休の養子(宗淳)を匿っていた。 氏郷がいなければ、現在の三千家を宗家とする茶道は無かったらしい。
和  歌 時々の花は咲けども何すれそ  母とふ花の咲き出来ずけむ
和歌集 万葉集  巻20-4323
読み手 丈部真麻呂
感  想 母は編笠百合との説も。奈良の森野旧薬園には沢山咲き誇るようです。
和  歌 まそ鏡持てれど吾はしるしなし  君が徒行よりなづみ行く見れば   
馬買はば妹徒行ならむ  よしゑやし石は踏むとも吾は二人行かむ
和歌集 万葉集   13-3316
万葉集   13-3317
読み手 作者未詳
感  想 安土桃山時代の武将山内一豊の妻千代の逸話に類似する歌だそうです。

防人の歌

和  歌 水鳥の発ちの急きに父母に  物言わず来にて今ぞ悔しき
和歌集 万葉集 巻20ー4337
読み手 防人 上丁有渡部牛麿
感  想
防人は664年、中大兄皇子が朝鮮半島の白村江の戦いに敗れ、防衛の為に組織された。
父や母に、ろくにあいさつをせずに、あわただしく出てきてしまい、思いがいそう深まる気持ち。
防人の歌には、父母のわかれの歌は4首、母だけは2首、父だけはかろうじて1首だそうです。
父は昔も今もかわらずか。
和  歌 山川に鴛鴦ふたつ居てたぐひよく  たぐへる妹をたれか卒にけむ
本毎に花はさけどもなにとかも   うつくし妹がまた咲き出来ぬ
和歌集 孝徳記 大化五年の記事
読み手 中大兄皇子の側近の野中川原史満
感  想
中大兄皇子の妃、蘇我造媛の死を中大兄皇子がたいへん悲しんだ。皇子を慰めようと野中川原史満が読んだ2首。
防人の丈部真麿がこの二番目の歌を知っていたのではないかと言う歌。1300年前も今も、人の気持ちは変わらない。
和  歌 忍ぶれど色にいでにけりわが恋は  ものや思ふと人の間まで
和歌集 百人一首 40番
読み手 平兼盛
感  想
天徳4年(960年)内裏歌合の結びに、「忍ぶ恋」を題詠に平兼盛と次に出てくる壬生忠見とが大激突。
判者の藤原実頼も判定を下すことを迷った。
 歌 恋すてふわが名はまだき立ちにけり  人しれずこそ思ひそめしか
和歌集 百人一首 41番
読み手 壬生忠見
感  想 判者の藤原実頼も判定をくだせずにいた時、天皇が兼盛の歌をふと口ずさんだのを、耳聡く聞きつけた源高明が天皇の気持ちは兼盛にあるのではと伝え、実頼は兼盛の歌を勝ちとした。壬生忠見はたいへん無念を感じたらしい。
今まで和歌は、万葉集、古今集、新古今、などから江戸時代頃までの気になった歌だけだった。
この頃は少し気が変わって、明治ごろのからの無名の人たちの歌も目に止まってきた。
和  歌 古土間に母がとり来し朝の桑なほ 香りに立ちて蚕飼始まる
和歌集  
読み手 原 正二      北佐久郡望月町布施出身
感  想 小学校教師であり、あららぎ会員  下向きな真面目ひとすじの人らしい。自分の所をはじめこの辺は養蚕が盛んだった。我が家の奥さんのお袋さんが布施から立科町へ嫁に。そしてむすめが立科町から塩田の私のところへ。
和  歌 こころよき親しみありて三角草  咲きいたりしを夜半におもえり
和歌集  
読み手 鳥海昭子    睦月の誕生日の歌
感  想 三角草、花言葉は優雅    ラジオ深夜便、誕生日の花と短歌365日より。
鳥海昭子さんが一日、一日を読んでいる。花と花言葉は柳宗民さん  1月は家のお母さんの誕生日に。
和  歌 花房の白きアセビの続く道  きさらぎの空高く晴れたり
和歌集  
読み手 鳥海昭子    如月の誕生日の歌
感  想 アセビ、花言葉は二人で旅をしよう。柳さんの言葉では、自分の誕生日の花言葉がいい言葉ではなく、聞いた人ががっかりしてはいけないので、感じの良い言葉を選んで書いたとあります。 2月は私の誕生日。
和  歌 恋しいと言えぬ年月ありまして  海老根はひっそり育ったのです
和歌集  
読み手 鳥海昭子    皐月の誕生日の歌
感  想 エビネ、謙虚な恋  5月は娘の誕生日。
和  歌 実生なるマンリョウ赤く色づきて  年の瀬の庭にぎやかになる
和歌集  
読み手 鳥海昭子   師走の誕生日の歌
感  想 マンリョウ、寿ぎ  12月は息子の誕生日。

 

物語
 和歌を読んでいく時に、今昔物語集や神話など、おもしろい話や怖い話などがたくさんあり、興味の引く話などから
自分が見やすいように、書き出してあります。  民話は本棚に並べてあります

今昔物語集、宇治拾遺物語、十訓抄、日本の伝説、他

開善寺の梅の精

村上頼平の家人である埴科文次は、 この上なく梅の花を愛した。
甲越合戦のひまをぬすんで開善寺の梅をたずね、

 「ひびきゆく鐘の声さえ匂いふらむ 梅咲く寺の入相の空」と詠んでうっとりとしていると、

 この世のものとも思われぬ美しい乙女があらわれ

「ながむれば知らぬ昔の匂いまで おもかげ残る庭の梅ヶ枝」

と詠んで、ほほえんだ。

花か人かーーー。

やがて東の空が白むころ、 乙女は消え、 あたりは梅の香りばかり

さては梅の精であったかと、 文次は次の日、心おきなく戦って討死した。
八重の白梅は信濃梅ともいわれ、 毎年、 他の梅にまさって
美しい花を開いた。

 

                         信濃のはなし           宮沢憲衛著                             信濃路 



天稚彦の草紙

昔、 長者の家の前で、 女が洗濯をしていた。

   そこへ、大きな蛇(くちなわ)が出てきて、 こう言った。

   「わしの言うことを聞いてくれるかな。 

  いやだと言うなら、 ぐるぐる巻きにしてしまうぞ。」

   「どんなことでしょうか。 

  わたしに出来ることなら、 かならず仰せのとおりにいたします。」

  蛇は口から一通の手紙を吐き出した。
   「ここの長者に届けてくれ」
  長者が手紙を開いて見ると、
   「お前の三人娘をいただきたい。 くれなければ、 お前達 夫婦もろとも殺してしまう。 娘をくれるなら、 どこそこの池に面して、
  間口十七間の釣り殿を作れ。 私の体はそれでも狭いくらいだ。」と あった。
  長者夫婦はただ泣くばかりだった。

 仕方なく上の娘に事情を打ち明けた。

   「とんでもない。 死んでもごめんです。」

  次女の答えも同じであった。

  いちばんかわいがっていた末娘が、

   「父上、 母上を見殺しにするくらいなら、 私などどうなっても

  かまいません。」 と言った。

 


   あわれにもいじらしい言葉を聴いて、 両親は涙にかきくれながら、 末娘に行ってもらうことにした。
  人々が末娘を、池の前に作った家に送り届けた。

  夜も十時頃であろうか、 さっと風が吹き、 雨がぱらぱらっと降り始め、 雷鳴がとどろき、 闇をつらぬいて稲妻がぴかっぴかっと
  池の面を照らした。  池の中ほどに、 波が高くもりあがった。

   娘は生きた心地もせず、 おそろしさに ぐったりしていた。 

  目の前に十七間の家に 入りきれないほど

  大きな蛇が姿を現した。

   「こわがることはない。 刀を持っていたら 私の頭を切れ。」

  おそるおそる命じられたようにすると、 大蛇の頭は、

  化粧道具の爪切り刀で 簡単に切れた。

  中から貴人の直衣(のうし)を着た美しい若者が走り出てきた。

若者は大蛇の皮を身にまとい、 娘をうながして 小唐櫃(こからびつ)の中に入った。
  娘はおそろしさも忘れて、 この貴公子と夢のような一夜をすごした。

   それ以来、 二人は仲むつまじく、 この家で暮すことになった。
  家は豊かさに満ち溢れていた。 家来や召し使いもたくさんいて、 なんの不自由もない。
  ある日、 夫の貴公子が自分の正体をはじめて妻に打ち明けた。

   「私は本当は海底の海龍王なのです。 また、 天にもしばしば登っていきます。 急用で明日か明後日には、 天に登らなければ
  ならなくなりました。
  七日ほどで帰ってくるつもりですが、 思いどうりにいかず、 もし帰ってこれない場合は、 二週間、さらには三週間待ってください。
  それでも帰ってこなかったら、 帰らないものと思ってください。」
   「お帰りにならなかったらどうしましょう。」 と聞くと、
   「西の京に一夜瓢というものを持っている女性が住んでいます。
  それをゆずり受けて、 天まで登っていらっしゃい。 実際はとても難しいことですが、 万一登ることができたら、 道々
   「天稚彦はどこにおられるのでしょうか
 と、 私の居所を尋ねて来なさい。

 
  ここにある唐櫃には非常に大切な品が入っています。 

  どんなことがあっても絶対に開けてはなりません。

  開けたが最後、 私は永久に帰ってこれなくなりますよ。」 

  と 言って、 天稚彦(あめわかひこ)は天に登っていった。

二人の姉が、 妹の幸せを聞きつけて、 様子を見に来た。
  聞きしにまさる豊かさを目(ま)のあたり見て、
   「あなたは果報者ね、 私達こわがって損をしたわ。」 などと言いながら、 あちらこちらを開けてまわった。
  そうして、 開けてはならない唐櫃の中を何がなんでも見たいといいはる。
   「鍵を持っていません。」 とことわると、
   「なぜ隠すのよ、 おだし。」 と、 ふたりで妹の体をくすぐる。
  大事な鍵は袴の腰にしっかりと結び付けてあった。  くすぐられて身をよじったはずみに、 鍵が几帳(きちょう)にあたって音をたてた。
   「ほら、 ちゃんと持っているじゃないの。」

    ふたりはいとも簡単に唐櫃の蓋(ふた)を開けた。 

  中には何も入っていない。 

   一筋の煙がゆらゆらとのぼっていく


姉たちはつまらなさそうに帰っていった。

 

待ちこがれている夫からは、 三週間たっても音沙汰が無い。 夫の言葉にしたがって、 西の京へ行き、
  一夜瓢を持つ女に会い、 それをゆずりうけた。 (これに乗って、 大空高く昇ってしまえば、 もう帰ってくることもできず、 
  行方知れずになった私のことを両親はどんなにおなげきになるか)
  と 思うと、 後ろ髪引かれて、 心は千々に乱れた。 彼女の詠んだ歌。

   会うこともいざしら雲の中空に 

    ただよひぬべき身をいかにせん

天上に昇り着いた彼女がまず出会ったのは、 白い狩衣を着たうつくしい男だった。   すぐに聞いてみた。
  「天稚彦さまは どこにいらっしゃるのでしょうか。」
「知らない。 後から来る人に聞いてごらん。」
    「夕づつ、 宵の明星さ。」
  つぎに出会った男は 手に箒(ほうき)を持っていた。 この人も、
   「知らない。 後から来る人に聞いてごらん。 私は箒星。」
  と 答えて、 行ってしまった。

     またたくさんの人がこちらへ来る。

  聞いても答えは同じだった。

   「知らない。 後から来る人に聞いてごらん。 私達はすばる星。」
  <これでは到底 お会いできないではないか>と、 いよいよ心細くなる。

  しかし彼女は気を取り直して、 また歩き出した。

 向こうから立派な輿に乗った人が来た。  この人は知っていた。
   「もっと奥へ進むと、 地は瑠璃(るり)をしきつめ、 その上に玉で作った御殿が建っている。 そこへ行って、
   天稚彦さまにおめどおりしたい と、 申し入れるのです。

    こうして、 彼女はようやく恋しい夫とめぐり会うことができた。
  あてもなく無我夢中で後を慕って来たという彼女のあわれな話を聞いて、 天稚彦も心をうたれ、
   「私もつらい日々を過ごしていましたが、 あなたはきっと来てくれるにちがいないと信じていました。
  二人とも同じ気持ちだったのですね。」 と、 やさしく彼女を迎えいれた。
  二人の間柄は、前世からの深い契りで結ばれていたのである。

天稚彦は彼女の訪れが父に発覚することをもっとも恐れた。
   「さあ、 どうしよう。 わたしの父は鬼なのです。 父に知れたら、 あなたがどんなひどいめにあうか」
  驚いたけれども、 彼女はもう動じなかった。 いまさら、 下界に帰ることも出来ない身である。 すべてを運命としてなりゆきにまかせようと思った。

  いく日かたって、 本当に父鬼が来た。 その形相のすさまじいこと。 天稚彦は彼女を脇息に変えて、 それによりかかっていた。
   「人くさい匂いがするが」
  と、 うさんくさそうにつぶやきながら、 父鬼は帰り去った。 それからというもの、 頻繁にやって来る。 天稚彦は、 そのつど、 彼女を扇や枕の形に
  変えてごまかしていたが、 父鬼はますます疑い深く、 天稚彦が昼寝しているときに、 こっそり足音をしのばせて入ってきた

 今度は彼女を隠す暇もなかった。

「これは何者だ」

やむをえず、 ありのままを白状した。

「おれの嫁にちょうどいい。 召し使う女に事欠いていたところだ。 もらっていくぞ」
  天稚彦は、
   ああやはり恐れていたとおりになってしまった と嘆いたが、 逆らうことができない。
  父鬼は彼女を連れていった。
   「おれは数千頭の牛を飼っている。 それに朝夕餌をあたえよ。 昼は野に放し、 夜は牛小屋に入れるのだ」

  天稚彦にひそかに相談すると、 衣の袖をといて彼女にわたし、 困ったときは、
   「あめわかひこの袖、 あめわかひこの袖 と唱えて、 これを振りなさい」 と教えてくれた。 
  さっそく実行してみた。

 

  何千という牛は、 父鬼の命令通り、 朝は野に出て、 

  夕方は牛小屋に戻ってきた。

   「こいつは不思議だ」 と、 父鬼が感心していった。

次々と難題を吹きかけられる。
   「倉の中の米千石、 いますぐ別の倉にうつせ。 一粒も落とすな」。

 

   「あめわかひこの袖、 あめわかひこの袖

  無数の蟻があとからあとからあらわれて、 たちまち運び入れてくれた。

  父鬼は米粒の数を算木で数えなおして、

   「一粒たりない」 と機嫌をそこね、 「かならず探し出せ」 と気色ばむ。

ただごとではすまない剣幕である。
   「はい探してまいります」 と、 探し回っているうちに、 腰の折れた蟻が一匹、 一粒の米を運びかねていた。
  ほっとして、 その一粒を父鬼のところへ持っていった。
  今度は「女を百足の倉に閉じ込めよ」 と、 その中に入れられた。

 

  内部は鉄張り、 一尺をこえる大百足が、 四、 五千、 口を開けて待ち構え、 

  目もくらむ恐ろしさ。

  気を失いそうになりながら、

   「あめわかひこの袖、 あめわかひこの袖と、 袖を振った。

百足は隅のほうにかたまったまま、 寄ってこようとしなくなった。
  七日目に父鬼が倉の扉を開いた。 おどろいたことに彼女は無事であった。
  また、 蛇の城にも閉じ込められた。

 

  百足のときと同様、 今度も呪文の力で、 一匹の蛇も近づかない。

  七日後に父鬼が見にきた。 彼女は何事もなかったように生きていた。

さすがの父鬼ももてあましたにであろう、
   「お前達二人、 よほど深い因縁で結ばれているようだ。 許してはやるが、 しかし、 一緒に暮すのは月一回だけだぞ」
  ところが、 彼女は肝心のところを、 聞き間違えてしまった。

 

   「年に一回だけとおっしゃいますか」

   「いや、 そう、 そう、 では、 年に一回だけ許す」

  父鬼が手に持っていた瓜を投げつけると、

  それが「天の川」 になって、 二人の間をへだてた。

天稚彦は「彦星」(牽牛星)、女は「七夕」(織女星)。
  今もこの二人は一年に一度、 七月七日の夜だけ会うのだという。

 

(絵巻たなばた 上巻より)

 

 

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

 

絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)

 

 

 

 

(絵巻 たなばた 上巻より)


               

                                         天稚彦草紙より                               瓜と龍蛇        福音館書店  


雷神の婿になろうとした息子

むかし、 あるところに、 ひとりの息子があった。
   ある日、 母親にいいつかって なすの苗を買いにいったところが、苗売りの爺のいうがままに、 一本百文もする苗を買ってきた。
   母親があきれて、 なぜもっと安いのをたくさん買ってこなかったか、 と聞くと、 これは一本百文でも、 実が何千何百となる苗だ
   と言うから、 このほうがずっと得だと思ってこれにした、 と言う。

    息子は苗を畑に植えて、 毎日、 せっせと水をやったり、 こやしをやったりして、 だいじに育てた。
   苗はずんずん大きくなり、 のびてのびて、 とうとう見上げるような大木になり、 ついには天を突き通してしまった。
   そのなすの木にはなんともきれいな紫の花が、 いく百いく千となく咲き、 まるで、 木に雲がかかったようになった。
   やがて花は ひとつひとつ実になった。

    そうするうちに ちょうど七月七日になった。
    「今夜は七夕だ。 せっかくだすけ、 なすでもとって、 七夕さまにあげもそう。 お前は木に登ってもいでけろ。」
   と、 母親が言うので、 息子はなすの木にハシゴをかけて登っていった。

    登って、 登って、 登っていくうちに とうとう天上に来てしまった。 すると目の前に、 目にもまばゆい御殿が建っている。
   おかしな所に来たもんだと、 あちこち見わたすと、 りっぱな座敷に白いひげのじいさまが、 ぽっつんとすわっていた。
    「おらは日本から なすを採りに来たもんだが、 おらの家のなすが ここまでのびあがって こんなにたくさん実を
   つけたので、 採っていってもいいかね。」
   と 聞くと、 じいさまは、はじめて気がついたようにふりかえり、 にこにこして、

 

  「ああ、 このなすの木はお前さんのものか。 

  おかげで毎日ごちそうになっている。 さあさ、 勝手に採っていってくれ。

  だが、 せっかく、 ここまで来なさったのなら、 

  上がってゆっくり話でもしていきなされ。」

と 言った。
   言われるままに息子が座敷に上がると、 姉妹らしいきれいな娘がふたり出て来て、 いろいろもてなし、 息子も
   いいこころもちで、 たんとごちそうになった。

    そのうち昼になると、 じいさまは、
    「やれ、 客人が見えて、 思わず時をすごした。 さあ、 娘ども、 したくだしたくだ」 といって、 のびをして立ち上がった。
   娘たちも立ち上がる。 それからじいさまは別の部屋に入っていったが、 しばらくして出てくると、 その姿は前とうって変わって、
   まっぱだかに虎の皮のふんどし、 頭に二本の角が生え、 口は耳までさけ、 どこからどこまで鬼としか見えない。
   キャッと叫んで息子が腰をぬかすと、 じいさまは笑って、
    「これこれ、 さように驚くでない。 わしは先ほどの年よりじゃ。 ちょっとこれから仕事にかからねばならんので、 仕事着
   に着替えたまでのこと。」
    「ど、 どんな仕事だ。 人でも取って食うか。」 と、 息子が聞くと、
    「それではまるで鬼ではないか。 じょうだんではない。 実はわしは雷神でな。 
   これからすこし、 下界に夕立を降らしてやらんと作物がのびんわい。 どうだ。 お前さんも手伝ってくれんか。
   降られるほうはどうか知らんが、 降らせるほうは、 これでなかなかおもしろいもんだ。」
   という。
    かいがいしく仕度して出てきた娘たちもわきから勧めるので、 息子もその気になった。
    「そんでは、 とにかくやってみるべ。 おらの役はどんな役だかね。」
    「いちばんたやすいのは雨を降らすことだ。 ひとつやってもらおう。」
   じいさまは息子に錫(すず)の徳利を手わたして、
    「この中に雨がいっぱい入っとるから、 ただかたむければいい。」 という。 よしきた、 と息子は引き受けた。

    そこで雷神が七つの太鼓をひっかつぎ、 両方の角に雲を引っ掛け、 真っ先かけて飛び出すと、 つづいて娘どもは
   鏡を手に、 ぴかぴかぴかぴか、 ひらめかし、 そのあとから、 息子が徳利を持って、 雨をそそぎそそぎ、
   走りまわり、 みんなして、 雲の上をむちゃくちゃに駈けずり、 跳び回った。

 

   下界では七夕の日で、 あちこちの村で鎮守の祭りをしていたから、

  ぴいぴいからから、 おはやしやら、 踊りやらで、 たいそうにぎやかであった。

  そこにいきなり にわか雨が降ってきたから、 上へ下への大さわぎ。

  そのうち雷神の一行は、 めぐりめぐって、 息子の村の上空にやって来た。

  ここでも やっぱりお祭りで、 見ると、

より集まっているのは、 たいがい息子の知り合いや仲のいい連中だ。 こいつは 一つからかってやれ、 と
   息子は雷神と娘たちに頼んだものだから、 さあ、 雷神はどんどこ太鼓をたたき、 娘たちは、ぴかんぴかん鏡をひらめかし、
   自分も夢中になって、 雨の徳利を右へ左へ振り回した。

    村では大あわてにあわてて、 祭りによりあった連中はくもの子を散らすように逃げていく。
   ゆかいゆかい と息子は大わらいしながら、 娘たちのほうを振り返ると、 これもまた無我夢中で鏡を振りたてているから、
   着物ははだけて胸もあらわ、 すそはまくれてまっ白いすねが出たりしている。
   息子はまたそれがおかしくて笑っているうちに、 ついつい、 雲を踏みはずしてしまった。

    あっというまに下界に真っさかさまに落ちた息子は、 畑の桑の木の枝に引っかかった。
   天ではそれを見て、 ことに娘たちが息子を慕って、 それはそれは残念がったが、 もうどうしようもない。
   そこで父親の雷神は、娘たちの気持ちを思って、
    「 わしは これから桑の木のあたりには落ちぬ事にする。」 と言った。
   それで いまも、 雷の鳴るときには、 桑の小枝を折ってきて、 軒端(のきば)に挿すということだ。

 

 岩手の昔話

 

                  瓜と龍蛇           福音館書店



まぼろしの大法会

後冷泉院の御代、(天皇在位1045~68)天狗があちこちに出没して、 世の中が騒がしかった時のことである。
比叡山の西塔に住む僧が、 京都に出かけた帰り道、 東北院(法成寺の東北にあった寺)の北の大路で、子供たちが木の枝で鳶を
打ちのめしているのを見かけた。
「おお、 かわいそうに。 何でそんなことをするのか」
「こいつを殺して、羽をむしり取るんだ」

僧は憐れんで、 持っていた扇と取り替えて

鳶を逃がしてやった。

僧は「よいことをした」と思いつつ、

しばらく歩むうちに、

路傍の藪の中から、 異様な姿をした老法師が出てきた。
「先ほど助けていただいた者です。 命拾いをしました。 お礼をしたいのですが」
「はて、 別段思い当たることもありませんが。」

「そうでしょうとも。 実は、 わたしは東北院の北の通りで、 ひどい目にあっていた者です。
 どんなものでも、 命ほど大切なものはありません。 ぜひとも恩返しがしたいのです。 お望みのことをおっしゃってください。
  わたしはちょっとした神通力があります。 どんなご希望でもかなえますから」

僧は「奇妙なことだな」と思いながらも、

   老法師がしきりに言うので、

「わたしにはこれといって望みはない。 ただ、 お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)でご説法なさった様子だけは、 どんなに
  すばらしかったことだろうと、 朝夕心にかかって見たいと思っている。 その様子をまねて見せてくれませんか」
   「そんなことはお安い御用です。 物真似はわたしどもの得意とするところです」
  と言うと、 老法師は僧を連れて下がり松(左京区一乗寺下り松町付近)の上の山の方に登っていった。
   「ここで目を閉じて、 じっとしていてください。 仏様のご説法のお声が聞こえてきましたら、 目を開けてください。
  ただし、 決して尊いとはお思いなさらないように。 あなたが信心のお気持ちを起こされますと、わたしどもの身に危険がおよぶのです」

   しばらくすると、

  お釈迦様のご説法のお声が聞こえてきた。

   目を開けてみると、

山は霊鷲山、地面は紺瑠璃の宝石、 木々は七宝で作られている。 お釈迦様は獅子座の上におられ、 普賢・文殊の両菩薩が
   左右におられる。 その他の菩薩やお弟子の方々も大勢集まっている。 帝釈天・四天王・竜神八部の神々も控えている。
   空からは花が降り、香ばしい風が吹き、 天人たちが雲に乗って音楽を演奏している。 お釈迦様は蓮華の宝座にお座りになり、
   まことに深遠な教えを説いておられる。 もったいないことこの上ない。

    しばらくの間は、 僧は「上手に似せたものよ」と感心していたが、 さまざまのすばらしい光景を目のあたりにしているうちに、 
   お釈迦様が本当にご説法なさっている場所にいるような気がしてきた。

  そして、しだいに信心の気持ちがわき起こり、

   感激の涙があふれ出てきた。

   とうとう真心から仏を信じる気持ちで

  いっぱいになり、 手を額に当てて、 

  心も身も投げ出して礼拝してしまった。

すると、 山はがらがらとすさまじい音を立て、 目の前の大法会はあっという間に消えてしまった。
  僧はまさに夢から覚めたような気分だった。
   「これはいったいどうしたことだ」
   びっくりしてあたりを見回すと、 さっきいた草深い場所である。 あきれ果てるばかりであったが、 そのまま比叡山にのぼっていくと、
  途中で、 先ほどの老法師が出てきた。
   「あれほど固くお約束いたしましたのに、信心を起こされてしまいましたね。 護法童子(仏法守護のため善神に使役される童子姿の
  鬼神)や天童(仏法守護のため天人などが少年の姿になって現れたもの)が下がってこられて、 「どうして、 これほどの信者
  をだますのか」と、 わたしどもはひどくこらしめられました。
  雇い集めた連中も、 みな肝を潰して逃げ去り、 わたくしめもこのとうり片方の羽を打たれ痛い目にあいました」
  と言って、 法師はぱっと姿を消してしまった。

  十訓抄  巻一第七話
    となりの神様仏様    稲垣泰一      小学舘
 



丹後の守保昌が下向の時、致経の父に会う事 (致経の父に会う事


  これも今は昔、丹後の守保昌(藤原やすまさ)が任国に下った時、与佐の山で白髪の武士一騎と出会った。
道の傍らの木の下に入って馬を留めていたが、国司の家来たちが、「この翁はどうして馬から降りぬのか。けしからん。責めた出して降ろせ
と言った

  このとき国司が、「一騎当千の勇者の馬の留め方である。ただ人ではないぞ。せめだてしてはならぬ」と、制して通り過ぎるうちに、三町ほど行って、大矢(強弓の射手であることからきた通称)の
左衛門尉致経(むねつね)が多数の軍兵を連れて来るのに出会った。

 国司が挨拶したので、致経が、「そこで老人一人にお会いになられたと存じます。この致経の父の
平五大夫(平到頼。勇者と知られる)でございます。
頑固な田舎物で、わけも分からず、さぞかし無礼をいたしたでございましょう」と言うのだった。

 致経が通り過ぎて後、国司は、「やはり言ったとおりであったろう」といったとか。


清水寺で観音から御帳を給わる事 (清水寺に参詣する事

今はもう昔の話、頼っていく先もなく、清水寺へ足繁く熱心に参詣する貧しい女、もう何年となく続けたのだが、別にこれといった御利益もない。
 何ともはやたよりがない限りで、とうとう長いこと住みなれた所ひきはらい、あてもないまま出奔、とはいうものの、もともと身寄りのない身の上、観音が恨めしくもあり、「どんな前世の報いなのかは、わかりませんが、ほんの少しでも結構ですから、何かお恵みを」と、泣く泣くお願いし、観音の御前にうつ伏し寝てしまった。

その夜のこと夢の中で、「御前から」と、「そう熱心に言うもので、気の毒には思うのだが、少しでもあるだろう余裕もない、その事が気掛かりで残念でならない。
これを授けよう」、 御帳のまくをきちんとたたんだもの前に置かれる様を見た。
  夢から覚め、灯明の光で見れば、確かに夢の通り、御のまく、目の前にたたんで置いてある。
「さては、この他には、私にくださる物もないのだろう」と思うに付け、わが身の上の不幸思い知らされる思い、「このまくは決してもらうまい、
私に少しでもゆとりがあるならば、錦を御帳に縫ってあげたいところなのに、この御帳だけもらったのでは、帰ろうにも帰れない、お返ししなければ」
と、犬防ぎの中へ差し入れておいた。

 
さてまたうつらうつらまどろむうち、夢の中で、「どうしてこざかしい事をするのだ、折角の贈り物を、こうやって返してしまうとは、けしからぬことだ」
と、再び授けてくれる、目覚ませば、前と同じに置いてあり、泣く泣く戻した。

 
  こんな事三度も続け、なおも返したのだが、最後には、「今度も返すというのは、無礼な振舞いだぞ」と戒められた。
そこで、寺の僧に、自分が御帳のまくを盗んだと疑われるのもいやだから
まだ夜更けのうちにまく懐に入れ、そこから去った。
 まくをどうしたらよいものかと、広げて考えた末、着るべきものも持たぬ身、ひとつこれを着物に仕立てて着る事にしたのだが、

いざ着てみれば、男であれ女であれこの女をみるものすべてが、この女をいとおしく思い、
縁もゆかりもない人から、様々なものを沢山贈られる。
 大事な人の訴訟沙汰も、その着物着て、見も知らぬ高貴な人の所へもって行くと、すべてまとまった。こうして、人から贈り物され、立派な夫にも恵まれ、楽しく過ごすことが出来た。

  そこで、その着物を大切にしまっておき、ここを先途と思うときだけ取り出して着れば、何事も必ず上手くいったということだ。

  宇治拾遺物語巻十一、第七

1112年今昔物語集が成立らしい。
1221年宇治拾遺物語成立らしい。
どちらも編者は確定されていない。



人倫を侮らざる事

菅原文時邸の老尼

二条大路の南、東京極大路の東は、菅三位、菅原文時卿(平安中期の漢学者。道真の孫)の邸宅である

 卿が死んでから何年か経った。ある美しい月の夜、しかるべき人々は昔を思いしのび、邸の跡に集まり、月を眺め、遊興のうちに一時を過ごしていた。
 その終わり近くになって、ある人が「月はのぼる百尺の楼」(月はのぼるひゃくせきのろう)と詩の一節を口ずさんだところ、周りの人々も声を合わせて、この句を何回も朗読したのだった。

その時、荒れはてた中門(表門と南庭の間の門)の陰の蓬の生い茂った中に、いかにもみすぼらしい年を取った尼が一人、露に濡れながら一晩中じっとしていたのだが、「今晩のお集まりは本当に素晴らしく、涙も止まらないほどでございます。ただ、先ほどうたわれた詩が違っているのではと、至らぬ耳に聞こえましてございます」と言うのだった。


 人々は笑いながら、「おもしろい尼さんだなあ。どこが違っていたのかい」と行ったところ、「そうでございますとも。きっと、そう思いでございましょう。しかし、ひそかに思いますことには、月はどうして楼に登ることがありましょう。「月にはのぼる(月に誘われ、楼に登る)」とこそ、亡くなられた御主人様はおうたいになっていらっしゃいました。私めは物張りの下仕の女でおりましたので、自然とうかがうことがございました。」
 と言ったので、人々は恥ずかしくなり、皆、立ってどっかへ行ってしまった。


 これは、意図として人を馬鹿にしたわけではないが、思いがけない出来事といえよう。
このようなことにまで心を配っておかなければいけないのに違いない。「藪の中に豪傑」



月のなかに人がいるわけ

母親が子供に水を汲ませようとすると、どうしても
いやだといって、炉端の前にある台木を火箸で叩いたり、つづいたりしながら、「お前は人でなく台木だから、水を汲む仕事などせずにすむんだ」とうらやましそうにいう。
 また炉端を叩いたり、つついたりしながら、「うらやましいなあ、お前は炉端だから、水など汲まなくてすむんだな」という。

 戸口のところへいっては、戸口の柱を叩いたり、つついたりしながら、「うらやましいなあ、戸口の柱は、水など汲まずにすむんだな」といって、なかなか仕事をしようとしない。
 それでもやがて水桶をもって、しぶしぶ川端へ下りていった様子だった。

ところが、今度はいくらたっても帰ってこない。
心配になった母親は、子供を捜しに川端へ下りていくが、履物だけが残っていて、その姿も影も見あたらなかった。
 母親が川伝いに下りていくと、イトウ(魚)の群れが上がってきた。「お前達は子供の姿を見かけなかったか」
と聞くと、イトウの群れは「私達は、子供のいるところを知っているが、人間達からいつも大口、大口といわれ、肉がまずいといっては、木の枝にひっかけたりして粗末にするのがしゃくだから、教えてやらない」といって、去っていった。

た。

 今度は、マスの群れがやってきた。子供の姿を見かけなかったかとたずねると、マス達は「人間達は、私達が川に入った頃には大事にするが、少し老いると粗末にするから、教えてやらない」と言い捨てて、そのまま川を上がっていった。
 母親が途方にくれているところへ、サケの群れがやってきた。サケは「私達が、人間の所へ行くと、人間達はいつも神の魚よ、神の魚よと呼んで、骨まで粗末にしないで大事にするから、子供の居場所を教えましょう。
子供はあそこの、高い空へ行ったのです。あんまりものぐさなので、神様から罰せられ、手桶を持って、月の神のところで立たされているんです。あれをご覧なさい」
 
 それを聞いた母親が頭を上げて月を見ると、なるほどその言葉どうり、子供は水桶を下げて、月の中に立っていた。

 アイヌの神話 月の中にウサギいると言う話は、日本をはじめ、インド、ミャンマーなど各国にあるそうです。

これに対して月に人がいると言う物もあり、中国では、男が大きな桂の木に永遠に斧を振り続けるという物や
フランスの、働き続ける男など。

 



月のウサギ    帝釈天 

昔、天竺(古代インド)にウサギとキツネとサルの三匹の獣がいた。
 ともに仏道を求める心を起こして、修行を積んでいた。

  「わたしたちは前世での罪業ゆえ、この世でいやしい獣として生まれた。
 生命あるものを憐れまず、
財産を惜しんで人に与えなかったからだ。このように罪深かった報いで、
 地獄に堕ちて長い間苦しみ
  を受け、そのあげくこうして獣に生まれ変わったのだ。だから、今度生まれ変われる時こそ、
 この獣の身を捨てたい」

こう考えた三匹の獣は、年齢が自分よりも上の者を親のように敬い、少し年上の者を兄と慕い、
年下の者を弟のようにかわいがった。そして、自分のことよりも他のことを優先させていた。
 帝釈天がこの様子をご覧になり、
「この者たちは獣の身を受けているとはいえ、なかなか殊勝な心がけである。だが、人間は
、やたら生き物を殺し、他人の財産を奪い、父母を殺し、兄弟で敵対し、表面上は笑っていても
内心では悪い事を考え、思慕する姿をとりながら内心では怒りを隠している始末だ。
 人間でさえそうなのだから、このような獣が真に心深いはずがあるまい。ちょっと試してみよう」

 そこで、いかにも力が無く、疲れ果てた老人に身をやつして、三匹の獣のいる所にやって来た。
「わしは年をとって疲れ果て、どうしようもない。お前達よ、わしを養ってはくれまいか。
わしは子供もなく、貧乏で食べる物もない。聞けば、お前達は慈悲の心が深いというが、ほんとうか」
 「ほんとうです。では、すぐに食べ物を用意しましょう」
サルは木に登って、栗、柿、梨、棗、ミカン、などの実を取って持ってきた。
また、村里へ出向き、瓜、茄子、大豆、ササギ、粟、稗、黍、などを取ってきて、老人の好みに
応じて食べさせた。
 キツネは墓地に行き、人が供えておいた混ぜご飯やアワビ、鰹その他種種の魚貝類を持って
来て食べさせた。

 
 老人はすっかり腹いっぱいになった。このようにして何日か経った時、老人はしみじみと言った。
 「サルとキツネの二匹の獣は本当に慈悲の心が深い。もはや菩薩と同じだ」
 それを聞いたウサギは、自分も頑張らねばと思って、灯火をともし、香を取り、耳をぴんと
高く立てて背をまるめ、目を大きく見開き、前足は短くとも尻の穴を大きく開いて後足をふんばり、
東西南北あちこちを飛び跳ねて食べ物を探し求めた。しかし、何も得られなかった。                
 サルもキツネも、そして老人もこんなウサギを微笑しつつも励ましたが、どうしようもなかった。
 
「わたしはこの老人を養おうと思って野山を駆けめぐった。だが、野山はとても恐ろしい。
人に殺されるかもしれないし、他の獣に食われるかもしれない。何もせず無駄に命を失う
のは悔しい。いっそ自分の身を捨てて、この老人に食べられて、獣としての命を全うしよう」
 
 ウサギはこう決意すると、老人のところに行って、
「これからわたしはちょっと出掛けて、おいしい食べ物を探して持ってきます。
木を拾って火をおこして、おまちください」
 と告げると、さっといなくなった。そこで、サルは木を拾って持ってき、キツネは火をおこして
薪をつけ、ウサギが帰るのを待っていた。すると、ウサギが何も持たずに戻ってきた。
 
「おまえ、いったい何を持ってきたんだ。やはり思ったとうりだ。嘘をついて木を拾わせ、
火をおこさせて、おまえはそれに暖まろうと考えたのだろう。憎たらしい奴だ」

「わたしは食べ物を探してこようと思ったのだ。けれども力が及ばなかった。だから、
わたしの身を焼いて食べてください」
 こう言うなやいなや、ウサギは火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。

 と、その時、帝釈天は老人から本来の姿に戻った。そして、この火の中に飛び込んだ
ウサギのすがたを、月の中に移し入れた。
それは、今後生きるとし生けるものにウサギの姿を見せようとしてのことであった。
だから、月の表面に雲のように見えるのは、ウサギが火に焼けた時の煙であり、
また世に「月の中にウサギがいる」というのはこのウサギの姿をいうので
ある。


今昔物語集 巻五第十三話
この話の原話は玄奘三蔵の大唐西域記に記されている



和歌を載せるにあたり、私が手元に置いて見ている本を記しておきます。同じ和歌でも解説する人や花や風景が、変わるとまた違ったあじわいを持ち、自分自身の現在の心境により、歌の受け止めが違ってくることがおもしろい世界です。

本の名前

作者 出版社

やまと、花と萬葉

片岡寧豊 東方出版
短歌一生  上田三四二 学術文庫
日本の詩歌 塩田丸男 グラフ社
万葉を哲学する 吉永哲郎 上毛新聞社
小倉百人一首  マールカラ ー文庫
小倉百人一首 井上、伊藤 旺文社
小倉百人一首 鈴木、山口、依田 文英堂
小倉百人一首 松阪弘 日本文芸社
小倉百人一首 田辺聖子 学習研究社
小倉百人一首(上) 田辺聖子 角川書店
小倉百人一首(下) 田辺聖子
角川書店
小倉百人一首 長谷川孝士 学校図書
小倉百人一首
望月光 中経出版
  百人一首 竹西寛子 講談社
古今和歌集 中島輝賢 角川ソフィア文庫
古今和歌集 佐伯梅友 岩波文庫
新古今和歌集 佐佐木信綱 岩波文庫
防人の歌は愛の歌 山本藤枝 立風書房刊
万葉、野の花々 今野寿美 永岡書店
万葉、花さんぽ  中西、入江 小学館文庫
万葉の大和路 犬養、入江、 旺文社文庫
短歌の世界 岡井隆 岩波新書
短歌の本 岡野、佐佐木、武川 筑摩書房
花と短歌  鳥海昭子 NHK
短歌入門  枡野浩一 筑摩書房
古歌散策  畑良次郎 東京図書出版会
佐久の歌人たち 松本武 千曲川文庫
短歌に親しむ 島田修二 NHK
日本の歴史(飛鳥の朝廷)   小学館
日本の歴史 (平安京   中央公論社
日本の古典(万葉集(1)   小学館
日本の古典(万葉集(2)   小学館
日本の古典(万葉集(3)   小学館
万葉集(上) 桜井満訳注 旺文社
万葉集(中) 桜井満訳注 旺文社
万葉集(下) 桜井満訳注 旺文社
万葉集 石井秀夫 学研
日本の古典    千明守 PHP
日本古典読本  秋山、桑名、鈴木 筑摩書房
歌よみに与える書  正岡子規 岩波文庫
古典文学1300年史 佐中雅徳 学燈社
短歌講座  日本文化スクール  
日本語のふしぎ 中西進 小学館
梅干と日本刀、上、 樋口清之 祥伝社黄金文庫
梅干と日本刀、中、 樋口清之 祥伝社黄金文庫
梅干と日本刀、下、 樋口清之 祥伝社黄金文庫
秘密の日本史  樋口清之 祥伝社ノン.ポシェット
仙人の壷  南伸坊 新潮文庫
仏教とは 山折哲雄 中公新書
神道 武光誠 河出書房新社
図解日本史 野島博之 成美堂出版
日本語講座  柳川圭子 アスペクト
万葉集(1) 中西進 講談社文庫
万葉時代の日本人 中西進 潮出版社
大和物語A系統大永本 高橋 新典社
いろは歌の暗号 村上通典 文藝春秋
啄木歌ごよみ 山本玲子 石川啄木記念館
王朝秀歌選 樋口芳麻呂 岩波書店
和泉式部集 清水文雄 岩波書店
日本の地名の話 北島ひろとし 毎日新聞社
処世教訓 一年夜話  僧侶 吉沢教学  
日本史年表/地図 児玉幸多(編) 吉川弘文館
日本語の味覚 岡田純快 星雲社
歌の基盤 大島史洋 北冬舎
詩人、、菅原道真 大岡 信 岩波書店
恋する歌音(カノン) 佐藤真由美 集英社文庫
万葉恋歌 永井路子 光文社
恋の歌、恋の物語(日本古典) 林 望 岩波新書
もう一つの万葉集 李 寧ヒ 文藝春秋
新々百人一首(上)春、夏、秋、冬 丸山才一 新潮文庫
新々百人一首(下)賀、旅、神紙 丸山才一 新潮文庫
私の百人一首 白洲正子 新潮文庫
歌道小見 島木赤彦 講談社学術文庫
日本文学史 上代、中古編 おうふう 山崎、針原、紙作、雨海、
今昔物語、宇治拾遺物語 古山、野坂 世界文化社
今昔物語、ふぁんたじあ 杉本苑子 講談社文庫
続、今昔物語、ふぁんたじあ 杉本苑子 講談社文庫
続々、今昔物語、ふぁんたじあ 杉本苑子 講談社文庫
神々と神話の謎(東洋編)   学研(ムー)
日本の歴史(飛鳥の朝廷) 井上光貞 小学館
日本の歴史(平安京) 北山茂夫 中央公論社
古典入門 (5) 今昔物語   学研
古典入門 (2) 万葉集   学研
論語    (S42) 下村湖人 訳 角川文庫
古代史の謎77 日本博学倶楽部 PHP文庫
日本文学全集第一集 清水義範 集英社文庫
日本文学全集第二集 清水義範 集英社文庫
古文の読みかた 藤井貞和 岩波ジュニア新書
となりの神様、仏様 稲垣秦一 小学館
漢文脈と近代日本 斉藤希史 NHKブックス
日本の古典(平家物語) 小島孝之訳 世界文化社
世界仰天むかし話 立木恵章 こう済堂出版
古代史の秘密を握る人たち 関祐二 PHP研究所
日本の歴史(平安の都) 編集責任者 川崎 集英社
阿部晴明読本 豊嶋秦國 原書房
日本と世界の残酷童話 小林美和子 こう済堂出版
日本の100人(空海)   デアゴスティー二ジャパン
日本の100人(徳川光圀)   デアゴスティー二ジャパン
宇治拾遺物語、十訓抄 小林、増古、浅見 小学館
般若心経88講 ひろさちや 新潮文庫       ・100
福の神入門 ひろさちや 集英社文庫
紫式部集・大弐三位集・藤原惟規集 難波浩 校注 岩波文庫
瓜と龍蛇 いまは昔 むかしは今 綱野喜彦・大西 廣・佐竹昭広 福音館書店
今昔物語 西尾光一著 現代教養文庫
徒然草  -付 現代語訳 今泉忠義訳注 角川書店
伊勢物語   -付 現代語訳 石田穣二訳注 角川日本古典文庫
古事記物語   S30・43・59 鈴木三重吉 角川書店
古典の女たち 瀬戸内晴美 新潮文庫
日本の古典 天人の琴、竹取物語、宇津保物語 今西裕行   S41 小峰書店      
文藝春秋デラックス 万葉から啄木まで S49年5月号 日本名歌の旅 文藝春秋        ・110